「誹謗中傷される側は人間である」という意識が薄弱

そして中傷される側は中傷する側と同じ、人間であることを忘れては
いけません。

「有名税」という言葉があります。筆者はこの言葉が好きになれません。
「有名になるほど何かの分野で結果を出し、利益を得ているのだから、多少
の批判は受け入れなさい」という中傷を肯定的に捉える姿勢だと感じるから
です。

しかし、中傷する人は相手が人間であることを忘れています。人間ですから、
嫌なことを言われたら当然、心が傷つくのです。これは痛ましい中傷の騒動を
見るたびに感じるのですが、「もしも自分の発言を相手から言われたら、自分
はどう感じるか?」を考えた上で発言するべきではないでしょうか。

「自分がされて嫌なことは、相手にもしない」、多くの人が小学生の道徳の
時間で学んだはずなのに、なぜか大人になると忘れてしまう人がいるようです。

「誹謗中傷」と「批判」の違いは?

最近、ある若い女性が中傷を苦に自殺をした事件を受け、有名人が「中傷され
たら訴えます!」と牽制する事態となっています。こう言われると「訴訟が
怖くて何も言えない」となってしまいそうです。しかし、批判と中傷は全くの
別物です。してはいけないのは中傷であり、批判は自由です。

そもそも、日本には言論の自由があり、思想や意見の自由が保証されています。

「Aは好き、Bが嫌い」

このような主張をして法的に罰せられることはありません。筆者も好きな作品
について「ここは良かったが、あっちは改善を期待したい」というレビュー
記事を書くことはあります。その際、できるだけ製作者にとって次なる改善の
アイデアにつながるよう、建設的意見になるように努めています。また、意見
を言う以上は責任も伴うと考えており、当然ながら事実と根拠に基づく意見を
出すようにしています。もちろん、中傷をしたことは一度もないのはいうま
でもありません。

「批判」は制作物に対する事実と根拠に基づく意見です。プラスのこともあれ
ば、マイナスのこともあるでしょう。一方で「中傷」は事実や根拠がなく、
それを聞かされる相手にメリットもありません。

「この人嫌い。見たくないから消えてほしい」
「センスなさすぎ! もうやめたらいいのに」

このような中傷は事実も根拠もないですし、言われた側も一切善処に繋がり
ません。誰も得しない、存在価値のない便所の落書き以下のコメントです。

批判と中傷を分けて理解することが肝要なのです。

続き
https://news.yahoo.co.jp/articles/e8f0413f56661c32aa286f911b69321891e5f66f?page=2