F1界にとって5月1日は、“タンブレロの悲劇”の日として、記憶されている。
いまから、26年前の1994年。イタリア・イモラで開催されたサンマリノGPで、3度のワールドチャンピオンを獲得し、
'80年代後半から'90年代前半にかけてのF1で、絶大な人気を誇っていたアイルトン・セナが、
レース中にイモラ・サーキットの高速コーナーである“タンブレロ”で、原因不明のトラブルに遭い、コンクリートウォールにクラッシュし、34歳の若さで還らぬ人となった。

当時、最も人気のあったドライバーがトップを快走中に事故死するという衝撃は、
モータースポーツ・ファンだけでなく、普段レースとは縁遠い一般の人々にも大きな悲しみを与えた。

世界中のテレビや新聞がトップニュースでセナの死を伝えた。
日本もその例外ではなく、'87年から6年間、一緒にレースを戦ったホンダの東京・青山にある本社には全国から約4万5000人のファンが駆けつけたほどだった。

もちろん、セナの母国ブラジルは、さらに深い悲しみに包まれていた。
セナの遺体を乗せた飛行機が帰ってくると、空港から埋葬される墓地までの道路には、約120万人もの市民が繰り出し、母国の英雄の死を悼んだ。
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