>>51
マジやんけ…

この地の新井城に籠もった三浦一族は、北条早雲の大軍を相手に
3年間にわたって奮戦するも、1516年(永正13年)に三浦義同(道寸)を
始め将兵は討死にし、残る者は油壺湾へ投身して、湾一面が血汐で
染まりまるで油を流したような状態になったので後世「油壺」と
言われるようになったとされる[3]。

また、湾内の水面が油を流したように静かだからという説もある。