楠木正成も、足利尊氏への恨み言は言っていないんじゃないか。ただ「世の習い」と言っただけで。
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楠木正成が犬死する原因作った大坊聡のほうが恨まれてそう 尊氏「幕府を開いたと思ったら、ゴタゴタお家騒動の挙げ句に乗っ取られたでござる」 うちの近所に楠公の塚があるが、
裏山の飯盛山登ったら楠木なんとかの像が有った。
この人? >>3
後醍醐天皇とその取り巻きのどうしようもない馬鹿さ加減を誤魔化すため、後世尊氏が過度に逆臣化されたという事情がある 尊氏の人間的な魅力
1つ、心が強く、合戦で命の危険にあうのも度々だったが、その顔には笑みを含んで、全く死を恐れる様子がない。
2つ、生まれつき慈悲深く、他人を恨むということを知らず、多くの仇敵すら許し、しかも彼らに我が子のように接する。
3つ、心が広く、物惜しみする様子がなく、金銀すらまるで土か石のように考え、
武具や馬などを人々に下げ渡すときも、財産とそれを与える人とを特に確認するでもなく、手に触れるに任せて与えてしまう。
やべえ・・・完璧超人じゃんw >>7
ネトウヨからすればあんな鈍臭い大楠公なんてありえないらしい
おれはヤンウェンリーみたいで好きだけど [ ::━◎]ノ たまには新田の事も思い出してあげて. 史料としての太平記は脚色が過ぎるしな。
大河の方は一番好きだぜ。 後醍醐天皇と足利尊氏が日本史で一番好き
一字貰うくらいのマブダチなにの、別に朝廷建てて後醍醐天皇を打つ為に院宣だしたり
なかなか濃いよな 南木ってやつが楠木の子孫だって言ってたっけ
元気にしてるかな 鎌倉幕府崩壊後は端迷惑なだけの後醍醐天皇だが
楠木正成も尊氏も後醍醐天皇の事は敬ってたし
後醍醐天皇は劉邦みたいな理解不能なカリスマだったんかねぇ
あの時代って幕末みたいな勤皇思想も薄いだろうし
高師直ほど極端なのは少ないだろうけど朝廷への侮蔑みたいのは武士全般にありそうだし 正成は新田義貞みたいな無能は切り捨てて
尊氏を用いるべきだと進言したけど聞き入れてもらえなかった
後醍醐天皇も武士の事は武士に任せるべきだったんだろうが
そうすると全部乗っ取られちゃうと思ってたんだろうね
尊氏にその気は無かったんだけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています