1963年まで日本では国後、択捉を「南千島」と呼んでいた。しかし政府は1964年8月に外務事務次官通達で「南千島」と呼ぶのを止めるよう求めた。
日本はサンフランシスコ平和条約で「千島列島」を放棄したが、後になって「国後と択捉は『千島列島』には含まれない」と言い出した。