自動車社会構築の功労者と業績を顕彰し、未来へ伝承していくことを目的として設立された「自動車殿堂」。
2019年の殿堂者として、マッハシリーズやZ1、KZ1300といった大型二輪車の開発によりカワサキブランドを確立した川崎重工 元常務取締役・大槻幸雄さん(御年90歳)が選出された。

11月15日(金)に行われた「殿堂入り」の表彰式で、大槻幸雄さんは「何とかして二輪車で世界を相手に商売をしよう」と格闘した当時を振り返り、次のように語ってくれた。

私は飛行機がやりたくて会社(川崎航空機)に入りまして、そのころ米軍のジェットエンジンJ47、J33のオーバーホールを受注して、
会社も気合いが入っていましたし、私も喜んでいたわけですが、会社を大きくするにはコンシューマーを対象としなければということになりました。
当時、ホンダ、ヤマハは世界を相手にしていて我々も二輪事業をとなったんですが、販売店も無いところからのスタートでした。

私が最初に携わったのは2サイクル90ccのエンジンで、当時はショートストロークが多いなか、低中速トルクを出すためロングストロークにしました。ただ、販売店作りからの出発です。
なかなかうまくいかない部分もあって、会社としても「もう二輪は辞めようか」という話も出たのですが「アメリカへ打って出る、絶対儲ける」ということになったのです。

そのために、アメリカのKMC(KAWASAKI MOTORS CORP USA)の声をよく聞きましたが、KMCはマーケットをよく知っていました。
そこで言われたのは「something new」「something difference」「best in the world」な商品を作ってくれ、と。
具体的には、ゼロヨン加速12秒台として世界一の加速を、販売価格は1000ドル以下、ゼロヨン加速12秒台を実現するリッター当たり100馬力の出力、それが開発条件になりました。

当時のカワサキは2サイクルの技術しかありませんでしたが、こうして出来た500SS──マッハはジャジャ馬と言われましたが評判はよく、ヒットとなりました。
3気筒エンジンとしたこと、CDIを採用したことは「something difference」になったと思います。

つづく

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191116-00010000-mcyclist-life