平家に使えていた源氏は滅亡したけど、源氏に使えていた平氏は滅亡してないよな
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
現代において平という姓は結構聞くけど、源はしずかちゃんしか思い付かない 源氏が日本人だからな
これが中国共産党なら平氏は
極々少数を残す「少数民族のサンプル」だけを残し
他は皆殺しだ >>8
氏と苗字は違うからね
氏は苗字にならないのが普通 >>8
清盛時代に数減らされて、源平合戦で度々同族殺し。
頼朝直系も北条に暗殺されて絶えた。
この時点で殆ど残ってないから、絶えたんじゃね? 弁慶「打倒ひらやっ!」
義経「平家だ! へいけっ!」 結構複雑なんだよ
義経が頼朝に討たれた様に割と近親間で殺り合う事も多かったしなw
親子間や兄弟間でも陣営別れるケースも多かったし >>8
全然関係ないけど、F先生が源義経と静御前にどんな思い入れを持っていたかの資料ってなんかあるかな? I Don't Want To Miss A Thing
スティーブン平ー
リブ平ー
確かに滅亡してないな 小学校低学年だった子供に平家物語の「祇園精舎の鐘の声」の最後の一文のくくりを「死して屍拾うものなし」で教えたら小五ぐらいで脳内リフレインして困ったらしい 昔、藤田平なんて人もいたし「源 平」なんて名前いるんだろうか 平家の落人は全国に散らばりすぎだろ
総力結集すれば、源氏なんぞ赤子のようにひねり潰せるはず >>23
ことさらF先生に限らなくても
昔はみんな義経が好きだった >>16
会社に源さんていた
みなもとさんだが由来はどうなんだろ? >>39
昔は自称はいっぱいいた。
天皇から授かる官位も自称しているのいっぱいいたし。 平家も源氏も帰化人の元韓国人
以外と知らない歴史の真実
覚えておこう >>37
徳川家康は松平から改姓する時に新田系の得川を名乗ろうとしたが得川嫡流が生きていたので名乗れず、一文字変えて徳川を名乗った紛い物やん 血統的に家康は源氏とは無関係だけど
天皇からもらった「征夷大将軍」の称号は源氏のことなんじゃねぇの? >>39
ある程度マシな武家の出自なら俺は源氏の子孫だぞぉが通ったんだろうな
後漢や三国時代の劉さんみたいなもんで
秀吉はいくらなんでも無理があると思ったから朝廷の方を極めたんだろう まぁ源氏は元が21個あるから
元が4っつしかない平氏に比べたら詐称しやすいわな 清和源氏みたいな感じで乱立してるイメージだったけど源氏ってそんな少なかったのか 織田信長は外国(朝鮮)から来た人だったゆえに革新的な思想を持っていた
しかし秀吉が光秀に信長を暗殺させ、外国人の統治からの独立を目指す日本人の支持を受けて天下を簒奪した
それを倒して太平の世を築いたのが帰化源氏の子孫である徳川家康
日本史は裏側を知れば知るほどおもしろい 平も源も使いまわしの氏やろ
その時の天皇の気分で臣籍降下した皇族にそれぞれの氏を与えてただけやろ >>47
天狗に教育を受けたとか言い出す、とんでもない中二病。 >>41
戦国時代の官位なんてほとんど全て自称だからな >>37
>>39
江戸時代通じて源氏長者だったわけだし 源平藤橘
藤氏以外は全て皇別氏族というね
ただまあ平安末期〜戦国時代で自称だらけになって日本における氏は解体してしまった
トップの徳川家が源氏を自称したわけだし
豊臣みたいに新たに徳川を賜姓してもらった上での征夷大将軍は出来なかったのだろうか
秀吉なんかは五摂家の猶子とはいえ豊臣という新参の氏で関白太政大臣になったりしてるわけなんだがな 源平合戦は関東の平氏と関西の平氏の戦いだったからな 家光だと浅井の血が入ってるから平氏の血筋であることは確かだけどな 源平合戦戦没者供養塔があったけど地元民以外立ち入るなって書いてあって閉鎖的空間だと思った
坂はやばい
あそこよく馬で降りたと思うわ ないわ >>8
細川護煕は源氏の末裔
源→足利→細川
と、分家 >>37
血は入ってないけど
家的には息子の秀康は
頼朝の庶子の子孫だからガチ源氏
まあ結城氏実際は藤原の支流だけど >>74
実際あの騎馬の運用術
どこで仕入れたんだろうな
信長は結構研究して桶狭間やったみたいだが >>51
源家から分家した、新田や足利
足利から分家した吉良、今川、細川…
いっぱいあるよ。
新田義貞、足利尊氏、吉良上野介、今川義元、細川護煕はみな源氏 >>71
氏は父系集団で決められるものなんですが… >>76
父系が源氏では無いからガチ源氏とは言わないんだよ >>29
ヨーロッパの人名でいうとマクシミリアンみたいなもの?
古代ローマのクィントゥス・ファビウス・マクシムスの「マクシムス」とスキピオ・アエミリアヌスの「アエミリアヌス」を合成した名前らしいw 今の天皇は、徳川、浅井、織田、豊臣、明智、前田の血が入ってたと思う >>75
日本新党の設立パーティーで、小池百合子が記念にサインを求めたら
細川さんは「源護熙」って書いた
つまり、天下を目指すという意思表示なんだが
本人も明確に自分の姓は源だと自覚してるんだよな 源氏平氏も鎌倉以降は氏性で一所懸命で土着した土地の名前を名のるのが普通だった
室町以降源平名乗るのは貴種に憧れる紛い物 >>87
普段源を名乗れるのは本家筋だけだろ。あちこちの奴らの名字が源だったらどこのどいつか分からん。 >>89
公家もそうだわな
藤原ではなく近衛とか鷹司とか九条とか
何故か鎌倉期あたりから日本では武家も公家も氏の名乗りが一掃されて名字ばかりになった 平氏筋も源氏筋も血筋ロンダリングで怪しいもんだけどな 藤原秀郷とか奥州藤原氏は結局自称なのか本当に藤原氏なのか >>93
鎌倉の初期あたりまでは系図も信用できるのでは? 本家と紛らわしいから分家は別の姓を名乗るんだ。
源氏で一番家格が上なのは久我(こが)家。
平家も伊勢平氏の嫡流が滅んだだけで傍流は千葉氏とか三浦氏とか
沢山ある。 >>1
平家は西日本に逃げて散らばった
末裔だけど東京で武士が先祖にいたとか言うエセ公多いけど
歌平家で黙るね 田舎の某村で塾もなにもあまり無いのに何故か理3だとか優秀な連中が多いと思ったら、平家が落ちのびてきて多く住み着いた村らしい >>41
源氏の棟梁しか征夷大将軍になれないからね。征夷大将軍狙ってる人は、源氏の家系をロンダした。 >>44
そういえば名前に「得」入ってた有名な在日チョンの死んだ弁護士
死後「徳」使われてたなw >>62
家康は伝統を重んじるタイプだから秀吉の真似はできない
秀吉は貧乏百姓の出ってのが皆にバレバレだったからさすがにあとからの詐称はできなかった >>59
新田氏の流れを汲む流れ者が三河の賀茂姓松平氏の食客となり気に入られて婿養子になって後を継いだんだ
だから俺らは源氏だと自称したんだよな
家康の自称以外の証拠がない
流れ着いた祖先は部下を従えていたというからそれなりの武者かもしれんがどこの誰かわからん人物 平家ってなんかかっこいいよね?
みんなも苗字を平家に変えた方がいいよ 徳川って松平なんて名乗ってたくせに源氏なのかよw
佐藤とか高藤はみんな藤原氏なのに >>100
そんなルールは無いぞ。
初代将軍は大伴氏
頼朝一家が断絶したあとの鎌倉将軍は藤原氏 千葉一族はもともと平家だけど源氏に転向したというよりは初期の武家社会では派閥の違いが一族の垣根を越えていたっぽい まあ、家康は武家で征夷大将軍となり幕府を開いた源家、その分家の足利家にあやかりたいので新田家の末裔を名乗りたかった。
ちなみに、源義国(別の兄弟が源家を継いだ)の長男が新田の祖、次男が足利の祖となった。つまり、家柄的には新田>足利
ただ、源頼朝の挙兵への対応で平氏に付くかでブレたため新田家は没落、足利家と大きく差がつき、直接的には新田義貞が鎌倉幕府(頼朝の嫁の実家北条氏に乗っ取られていた)を滅ぼしたのに足利尊氏が征夷大将軍に!?
新田義貞と足利尊氏は天皇家のお家騒動に介入し南北朝に別れ死闘を演じるも義貞は討たれてしまう。
家系を売ってまで征夷大将軍となった新田家の執念か!? >>113
時代によって位置付け変わるしね。難しい。
二代将軍徳川秀忠は、秀吉から「秀」の字、さらに後に豊臣姓も贈られてるので、豊臣秀忠もOK >>110
初期というより
一族よりも派閥なりの利益集団重視になるのが封建制だから >>121
本家筋は源を名乗っている。
別家筋は土地名を名乗っている。(足利、新田、武田、南部) >>123
本家でも本姓を戸籍名にしてる家は明治以降はない 鎌倉幕府で源頼朝の右腕だった大江広元だが、大江氏は源将軍家断絶後に執権北条氏との権力闘争に破れほぼ滅亡。ただ、広元の四男季光(相模国愛甲郡毛利庄を本拠地とした)の子孫は安芸に逃れ生き残った。
足利将軍家が権力を失った戦国時代初期、安芸に土着していた子孫、毛利元就が一代で中国地方を平定してしまう。
しかし、元就の孫の輝元は関ヶ原の合戦に敗れ(本人は大阪城から動かず)、徳川家康に領地をほとんど召し上げられ、毛利氏(大江氏)は再び中央から外され山口(長州)へ押し込められる。
そしてご存じの通り、長州から出た高須晋作や桂小五郎、伊藤俊輔が活躍し、徳川幕府を滅ぼす。
維新後、伊藤俊輔(博文)は初代首相となり、今の首相も山口から。
歴史は大河なのですよ 椎葉か豆腐の味噌漬けは絶品だぞ
昔椎葉の蕎麦屋さんで持ち帰りのおにぎり頼んだら、漬物と豆腐の味噌漬けが入ってて大層美味かった 「平家」の元は伊勢平氏だよ。それを遡れば高望王の流れで関東経由だけど。
関東に残った平氏系が「坂東平氏」になるのかな...
その坂東平氏の子孫は、関東〜東北太平洋側に今でも沢山住んでる。
例えば、大谷翔平(大谷氏)は渋谷氏の系統、新渡戸稲造なんて言うのは、千葉氏の系統だから...
逆に、清和源氏の嫡流、摂津源氏の源頼光の流れは、畿内〜岐阜〜長野〜新潟〜山形のラインで子孫が存在している... >>76
結城氏ならうちの先祖のとこにも嫁に来たぞ >>127
大江広元の長男、大江親広の子孫は山形県に多数いる。
大江広元の長男(寒河江)、次男(長井)が今の山形県に移住したため。
四男の大江季光から「毛利氏」が始まるんだね... >>133
山形に? それは知らなかった。勉強します。 平家が滅亡したっていうけど実際は平家(たいら家)だけどよな
傍系の平氏なんかもう源氏の味方してたし
たいら家はかなり嫌われてたんじゃねえの
んで分家や傍系が切れたと >>62
松平家は家康の何代も前から三河守になるために
源氏が必要で、こじつけで源氏の子孫を自称して
朝廷にしつこく働きかけて源氏を認めてもらってる
秀吉はどう転んでも源氏じゃないし、新たな姓を得て
天皇により最上級の地位の資格がもらえるなら、征夷大将軍より
格上の関白太政大臣の方がいいという判断だろう
秀吉にとって征夷大将軍は実質、それ並みの武家統帥権をすでに持ってるし
関白太政大臣も得て公家の最高位にも立てれば、その方が遥かにいいということだろう >>72
NHKの番組では執権北条氏はガチの平氏どころか
平氏の総本家で平清盛の平氏の方が分家筋だとやってた
最近の説で、現在、学会にどこまで認められてるのかは知らんけど え?
じゃあほぼたいら家殲滅戦争だったですやん
北条も源氏に味方してたし >>112
>家柄的には新田>足利
次男が家を継いで、兄が分家したので、足利>新田と聞いたぞ
だから新田は足利の分家筋なんじゃないの?
実際に人望が集まったのは新田義貞より足利尊氏だし >>72
伊勢平氏の嫡流の執事の分家。家柄としては悪くない。
北条得宗家の女系に婿入りして北条。 >>31
ほとんどが郎党つまり家臣の家系。一族郎党の郎党。平氏で無いのがほとんど。 >>146
頼朝の旗揚げで足利は馳せ参じたが新田は様子見をしていたのと
代々の当主の母が北条氏ということで差が付いた
1.義兼 母は頼朝の母方の従姉妹
2.義氏 母は北条氏(義の字は北条義時より)
3.泰氏 母は北条氏(泰の字は北条泰時より)
4.頼氏 母は北条氏(頼の字は北条時頼より)
5.家時 母は上杉氏(名前をもらえずに自刃)
6.貞氏 母は北条氏(貞の字は北条貞氏より)
7.尊(高)氏 母は上杉氏(兄の母は北条氏だが早死に)(高の字は北条高氏より)(妻は北条氏) >>146
そうなの?
ちなみに、旗印
新田が○に一
足利が○に= 源平合戦も結局は平家同士の争いで、源氏は不利だった北条に利用されただけって思ってる
頼朝以降なんて暗殺なんかで一瞬で消えて北条(平家)に幕府ごと乗っ取られてるしね >>69
違う、源義家の本当の拠点は三河
源氏の拠点は三河であり、それは鎌倉幕府の幹部を見ても分かる
三河政権たる鎌倉幕府の支配層一覧(三河つながり優遇)
【鎌倉将軍】源頼朝(母方:藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
■将軍御一家(頼朝姻族、頼朝女系の一族)
・足利氏(下野国足利郡足利)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))の家系
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
・一条氏(藤原北家中御門流)←頼朝同母(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))姉もしくは妹(坊門姫)の嫁ぎ先の家系
■御由緒家
・安達(小野田)氏(三河国八名郡小野田、三河県豊橋市)←安達(小野田)盛長は頼朝幼なじみ
・足助(賀茂)氏(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)←源頼家に室を出し、生まれた息が源実朝を暗殺した公暁
・比企氏(武蔵国比企郡)←頼朝乳母(比企尼)の家系←源頼家に正室を出す
・八田氏(常陸国八田郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系←八田知家の猶子である中条家長は高橋荘(三河国賀茂郡、三河県豊田市)地頭
・結城氏(下総国結城郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系 >>69
続き
■門葉(鎌倉将軍と血縁関係がある源氏)
・源範頼(三河守)←頼朝異母弟
・源広綱(駿河守)←古井城主(三河国碧海郡古井、三河県安城市) ←太田道灌の先祖
・平賀義信(武蔵守)
・山名義範(伊豆守)←実父は矢田城主(三河国幡豆郡矢田、三河県西尾市)の矢田義清
・大内惟義(相模守)
・足利義兼(上総介)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
・加賀美遠光(信濃守)
・安田義資(越後守)
■執権・連署
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
■政所(一般政務・財政を司う機関)
・大江氏←初代別当の大江広元は牛田城主(三河国碧海郡牛田、三河県知立市)
・二階堂氏(相模国二階堂)←初代令の二階堂行政は、母親が頼朝祖父(初代藤姓熱田大宮司(三河国額田郡、三河県岡崎市))の妹
■侍所(軍事・警察を担った機関)
・和田氏(相模国三浦郡和田) つまり三河で、美しく連続している
【三河最強伝説】
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士 >>127
底浅いな
山口県萩市が三河の萩由来の意味が分かるか?
家康が生まれた岡崎の平安時代の領主、高階惟長の嫁は大江広元の娘だった
実は明治政府というは三河国宝飯郡萩に隠れ住んだ南朝落人の政権で、同じく南朝系を称した徳川政権から禅譲されただけ
譲られただけだからこそ江戸城は無血開城され、今までどおり東京が首都になった
徳川幕府は崩壊していない
三河の萩の南朝の末裔が、大江氏に連れられ長州に移り住み、三河の萩を忘れない為に萩と名づけた
三河国宝飯郡萩と大江広元(毛利氏の祖)
大江忠成(海東忠成)
・鎌倉幕府評定衆
・大江広元の五男
・三河の藤姓熱田大宮司家に養子入り
・熱田大宮司
藤原実範(三河守)→季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→範忠→忠季→忠兼→海東忠成(養子入り)→萩忠茂(三河国宝飯郡萩、萩大宮司)) >>146
そりゃ、源頼朝の本当の本拠は三河だから
頼朝直系の鎌倉将軍家断絶後、その三河の王になったのは、頼朝と三河で繋がる足利氏だ
つまり三河の王になる事で、頼朝の跡継ぎになる資格を有した
三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
系図
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女→足利義兼(初代源姓足利氏) 頼朝は、幕府内を三河でガッチリ固めていた事実を知らなければ、見えてこない
源頼朝は嫡男の正室に、曽祖父が開発した三河国の荘園の荘官をしていた足助重長の娘を選んだ
源頼朝の曽祖父は三河県豊田市民→三河県岡崎市民
源頼朝の祖父は三河県岡崎市民
源頼朝の嫡男の正室(辻殿)は三河県豊田市民
その嫡男の息子が鎌倉鶴岡八幡宮でやらかした公暁
・吾妻鏡では辻殿を妻、若狭局を愛妾としている
・源頼家(2代目鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→由良御前→源頼朝 →頼家→公暁
・辻殿
足助(加茂)重長(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)→辻殿(母親は源為朝の娘)→公暁 骨肉相喰むのが源氏の宿命
甲斐武田氏なんかその典型だ 高校で日本史取らなかったからか、平家と平氏の違いを今初めて知ったわ。日本人として恥ずかしいわ。N国ありがとう。 平家と平氏の違い知ってる奴なんて日本人1%ぐらいじゃねーの?
あまりにもマニアック過ぎる >>121 源氏、平氏は天皇の子孫が賜った姓で多くの支族がいる。
その本家または支族の中の本家とその子孫を本家筋という。
現在では本家でも源姓は名乗らない。 武士のもとは平氏か源氏しかなかったからな。織田信長も平氏の子孫だって強引に名乗っていた。 同じ平氏からも攻撃されるとか
平家人望無さ過ぎてワロタ
ていうか源氏側に平氏の奴ら多すぎだろ
これもうほとんど平氏側の内輪揉めではないか >>167
清盛が圧倒的過ぎて、平家に非ずんば人に非ず、と言わせてしまう程になったから………。 >>7
ホントはあっちがメインでモー娘がおまけだったのに…… 保元平治の乱あたりは藤原氏を交えて平家も源氏入り乱れてた気がするな
源氏と言えど確かその頃は頼朝は身内とも敵対してた気がするし 湯西川温泉とか能登の輪島の先とか、平家の落人が棲み付いた。
湯西川温泉ではこいのぼりは居所がバレるからと、今でも上げない風習が残っている。 父方の先祖が平家
母方の先祖が公家
没落しまくりだかな 源氏の流派の格ってどうやって決めてんだ?
源氏になってから高い位階の登った人の人数とかか? >>175
時代によって違う、と思う。
平安末期(保元・平治の乱の頃)なら、三位を賜った、源頼政が源氏で一番位が高いから、
源頼光(摂津源氏)の系統が格が上だと思う。
それが、河内源氏(多田満仲の三男系)の源義家(八幡太郎)の活躍で、「源氏の棟梁」として、
この系統が、鎌倉幕府(頼朝)〜室町幕府(足利氏)〜江戸幕府(徳川)と続いていくことになる。
しかし、最初の源氏である嵯峨源氏以来、村上源氏など武家ではなく公家から「源氏長者」が出ていたので、
まあ、そうだなぁー、なんと言うべきか、皇室に近い方が格は上かな... そうなると位階制の無くなった現代では家格は不動になるんかね
それとも直系に総理や各大臣を輩出すれば替わるんだろうか そうそしてその構図を自らの箔付けに用いたのが朝鮮大名島津氏 >>176
源氏長者は室町まで村上源氏から出ていたから村上源氏が格としては一番上 女優の久我美子は村上源氏の清華家たる久我家のお姫様でしたね。 【名字】蘇我
【全国順位】 32,791位
【全国人数】 およそ90人
【名字】源
【全国順位】 2,898位
【全国人数】 およそ4,700人
【名字】足利
【全国順位】 3,668位
【全国人数】 およそ3,400人
【名字】豊臣
【全国順位】 41,678位
【全国人数】 およそ60人
【名字】徳川
【全国順位】 5,933位
【全国人数】 およそ1,700人
かつての有力者達も落ちぶれたもんだな。 >>88
中山王劉勝の末裔
劉勝が紀元前130年の人だから三国時代の300年前
さらに劉勝は酒と女に浸る毎日で子供が50人以上
そこから血筋が広がってもうめちゃくちゃ
劉備はおそらくハッタリだけど、劉備本人が知らなくても僅かな血なら本当に繋がってる可能性もある 俺の実家も福島の山奥にある平家の落人村だけど、源氏の追手にバレないように苗字は平野に変えたと伝わっているな。
祖先が落ち延びて来た時に先住の民がいたそうだが、その人たちも平安時代に京から逃げて来た落人で、同じ境遇の平家の人間を暖かく迎えてくれたと聞いている。 源氏本家に近い八幡太郎義家の血筋は山ほど残っているし
千葉と茨城南部は平氏本家に近い家は残っているな
関東の周辺部には割ととんでもない地方の名族が平気で健在してるから面白い >>8
でもドラえもんの何かの話で、スネ夫が源氏の子孫だと自慢して、ジャイアンが「俺は平氏の子孫、ご先祖の恨み許さねぇ」ってスネ夫を殴る話があったよな? >>1
うちの家系もさかのぼれば平清盛の三男知盛の子孫なわけだわ
鎌倉騒動のあとひっそり暮らしてたのが現在にいたる。うーんすごい >>185
惟宗氏の先祖は秦氏だから中国大陸やろ!? 使えると仕えるの区別もつかない奴がスレ立てすんなよ >>196
羽田孜は始皇帝の子孫とは思えないほど人が良かったよな >>197
わざと誤字ってツッコミどころを作ってるとしてもセンスがいまいちだよね >>198
始皇帝の性格は血筋よりも環境がひどすぎるんやろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています