>>46
弥生時代の北部九州の墳墓からは、鏡・剣・玉が多数出土し、しかもこの三点がセットになっている場合も多い。これは天皇家の三種の神器と文化的に直結する。

これに対して弥生時代の畿内の銅鐸文化は、次の古墳文化にまったく接続していない。もし邪馬台国が弥生時代に、畿内で自然発生的に、樹立され、これが大和朝廷の中にその痕跡すらないのであろうか。

大和朝廷の歴史書である記紀の神話には鏡の事は何回も出てくるが、銅鐸については何も語るところがない。

分かりやすく言うと畿内の先住民は
九州人に滅ぼされた