俺のご先祖様って、徳川家康の槍指南番(超上級武士)だったんだけど で、お前らは?(笑)
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まさか水呑み百姓の子孫は、ν速にいないよね?(笑) >>8
指南役が上級武士とかアホか
柳生一族でも大したことないのに
ホラ吹き >>90
君は静岡県出身じゃないなら
怠けた鈴木さんじゃなく
本来の目的のために頑張った方の鈴木さんだな >>257
いや御典医なんかよりはるかに上
うちも御指南番
御指南番が上級か知らないが、
明治以降は華族になったお殿様と
同じ学校に通っていた
学習院ではない
親戚に隣の藩の御典医の
家がそういっていた
藩の役職の仕組みはよく知らない ある県の特定の地域にしかない名前だから辿るのは簡単なのかな そもそも徳川家康自体が源氏でもなんでもない、
出自不明の坊主の子孫だし 豪農というか庄屋
江戸時代や室町時代より前から名字持っていたぞ >>41
いきなり旗本は無理筋だったようで。
水戸家の家来の養子に入れてそこの親戚筋の
旗本の娘とケコーンして旗本成りしたようで。 ゴツゴツ土器を薄くしたのは俺の先祖だ
お前ら感謝しろよ みんなすげえな
韓国人がみんな両班なのを笑えねえなw 父親が米問屋、同心の株買って息子を同心に仕立てたドラマやってたな >>24
うちは関所らへんに配置されてた下級武士w
上級のようにお屋敷はなかったし貧乏だから農作業しながら関所で戦ってた模様
郷中教育密かに残ってるけど今の薩摩隼人はもうだめだ(泣) 薩摩藩の家老の系譜
以前は八代に曾祖母の家があった そういう名前だけの武士の家って禄が少なくて
代を追うごとに借金まみれになるパターンだろ 徳川家は家康から数代遡ると
どこの馬の骨かわからなくなる >>192
柳生の人達大名クラスじゃなかったっけ
ホモホモ騒動ですったもんだしてるけど >>261
真面目に聞くんだが、その系譜が今の自分の人生のなにがしかのアドバンテージになってるの?家は金で苦労したことなく自分も小遣いたんまりもらって不自由したこと無いとか
ちなみに人生上知り合った中では松平さんというもちろん徳川の一族で親族会である松平会ってのに欠かさず顔出してる公家顔で所作も声も気品ある人がいたんだけど
その人流れのパチ屋店員だった
その気品ある店内アナウンスは絶品だったなぁ >>279
戦国時代ってそんな連中ばかりじゃん
北条早雲だって北条氏とは関係がないし
だいたいが清和源氏の末裔を名乗ってたり…ルーツがデタラメな可能性大だし 鍋島氏に仕えてたらしいけど詳しく知らね(´・ω・ `) 母方はさる家老職家系で結構な地主だったけど豊田商事事件で没落したらしい
父方は開拓集落のいち農民だから由緒ある水呑み百姓ですわ >>282
というか柳生だけが兵法家で万石超えた、だったかと
宮本武蔵は三百石 >>12
天領って聞こえはいいけどどうしようもない土地で幕府が管理するしかなかったところだよ >>1
忍者ってうちの爺さんが言ってた。どんなことしてたんだろね。 山伏
江戸末期頃には医者と寺子屋的な学校
明治以後には地主兼、町医者兼、小学校創設者
廃校になってるけど校庭に銅像がある ウチは母方は田舎の商家、父方は江戸で町道場の師範だったらしいが武家かは?だ
もちろん俺の人生に何のプラスにもマイナスにもなってないな 百姓だったよ
俺も仕事より農作業してるほうが楽しい
多分遺伝子レベルでデスクワークより農作業に向いてると思う うちの先祖は代々、小田原で規模の大きな鍛冶屋をしていた。
士農工商の、下から2番目だなw
立場としては、お百姓よりも下になるな。
家の家宝として、代々受け継がれているのが、北条氏康様から頂戴した感謝状。
鍵付きの金庫に大切に保管してある。
この金庫は、俺の父親しか開けられないし、鍵もどこにあるのか分からないがw
北条家に、刀と長槍を大量に納めたことがあって、【その方の比類なき働き、神妙であった。小田原の守りの要となろう。今後も励むように。】って
内容が、難しい文字(ほとんど解読できないw)で書かれている。
毎年正月に金庫からだして、家族全員で新年の挨拶をこの感謝状にしている。
当たり前だが、正月は早雲寺にも新年のご挨拶をしている。 本家は加賀百万石前田家の家老だけど元は徳川家の譜代からお目付け役で出向という変わり種
大名家だと学生時代の友人が信州真田家の子孫 で?お前自身のの戦闘力は?高校シメてた俺より強いの? >>282
柳生宗矩は家光の側近としての立場が強かったからな >>285
北条早雲こと伊勢新九郎盛時は超名門伊勢氏出身の幕臣だったというのが現在の定説 「公式の記録」に残っている一番古い自分の先祖は源行家を捕まえた僧兵。
北条政子から所領を貰ったことが吾妻鏡に載ってる。 武田の下っ端
明治の御一新を乗りこえられずに本家が破産
土地を切り売りしながら教員の一族へ 歴史好きの父親が、定年退職して暇だから
親戚回りと菩提寺とか回って、情報集めてたら
明治時代位までは家系図が出来上がっていたな。
結構珍しい名字で、祖父が曽祖父から聞いてた通り武士(直系かよくわからんが、中老〜家老 マックス4400石)の家系で
一族は歴史書&ウィキぺディアには出てきてたけど、明治維新で
食い詰て、維新後はちっちゃい桶屋を経営してたらしい(笑
上級武士でも、そんなに食い詰めるもんなの???
武士の家計簿とか見てたら、下級武士はつらかったみたいだけど
家に伝わる工芸品とかどこ行ったんだよ。 母方も、なんかようわからん武士の家系だが
鎧・刀とか第二次大戦で空襲でやられるまで、あったらしいのに >>1
子孫がここまで落ちぶれるとは
っとご先祖様も嘆いてるね
夢枕に出ていって説教してくる って言ってたから ヨロ 皇族、もしくは公家の血筋こそほんまもん。
武士?下克上で、何処の馬の骨か、わから
しまへん。北面にてさぶろうてはったら
よろし。 大体みんな武士とか貴族の子孫だよなw
100年前までは9割は農民だったはずなのにどこかのタイミングで絶滅して武士、貴族、地方豪族の子孫が大量増殖してしまうというミステリー
うちもばあちゃんが「うちの先祖はお姫様で城に住んでたんだよ」って聞かされたわw
悲しませたくないから「ホント?すげー!」って言っといたけどw >>323
その呪いのせいで
お前が女日照りになっているのか 日本人なら30代も遡れば全員天皇家の血を引いてそうだよね じいさんがよく三浦一族の末裔だって言ってたらしい
確かに墓の墓石古いのあったが
切腹が似合う 名前を変えられて講談や芝居に登場させられている。
どちらかというと色物扱いなのが残念 藩の金庫番。商人だったけど、参勤交代の資金を肩代わりして名字帯刀許されてた。 >>172
役所の戸籍は明治元年現在の登録まで調べられる
うちのカーチャンが父方の戸籍調べたら江戸時代末期生まれの先祖まで辿れた
それとは別に菩提寺の過去帳も写してもらって来たが
戒名と名前と没年しか判らない
うちの墓にはただの石を置いた墓石が10個位あって長年の間に侵食されてて
字がほとんど読めないのがほとんどだったが >>320
平家は連綿と繋がってそうなイメージだが源氏は野に下ってから勝手に名乗ったり家宝の刀も落ち武者から奪ったのとか怪しいイメージ
末裔の人にとってはそれが心の支えなのかな? >>335
うちの墓石もそうだわ
そして、さかのぼるほど粗末になり、一番古そうなのは、漬物石をころがしてるような状態だった
御先祖様は貧乏なさってたようです >>248
赤間神宮に安徳天皇や平家一門を祀った墓があるな 今 落ちぶれてたら笑えんやろ
父方 のうか
母方 武家 九州では ほぉ的な >>1
まさか今現代を生きてるお前は上級じゃないなんて事は無いよね?
流石に年収5000万超えてるよね? 平家の落武者ですが何か(瀬戸内界隈では多い模様・・・ マジレスすると平安末期以降、源平藤原の一族が京都で食えなくなって
どんどん地方に移住して土着化。
その地でどんどんネズミ算的に増えたので(生粋の地元農民はそれほど増えない)
明治当初日本に住んでた日本人の子孫は大概源平藤原を通じて皇室の血が入ってる。 俺の祖先は家畜の皮剥ぎや太鼓作りをやってたらしい。武士かな? >>344
うちも九州の平家の落武者だよw
落武者多すぎる 織田信長の家臣で城主だったみたいだけど、昔過ぎて眉唾よね家系図って。 >>97
俺もご先祖様の土地が愛知県の某所に山を含めて結構な広さで持ってたらしいが
爺さんの代で何があったか知らんが破産して全財産失って
爺さんが炭焼きしながら死んだと言う
トーチャンも5才の頃に別々の遠い親戚に弟と二人預けられて
20年前時点で生きていたのが義理の従兄姉達になるのだが
義理の伯父の葬式に行った時にトーチャンが拾われ者だと言われた位で
詳細は判らず→判ってた人達は既に皆死に絶えてたから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています