俺のご先祖様って、徳川家康の槍指南番(超上級武士)だったんだけど で、お前らは?(笑)
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まさか水呑み百姓の子孫は、ν速にいないよね?(笑) 学生の頃に先祖が将軍お抱えの医者だったってのを本気で自慢してるやつがいたけど痛かったわ
何時代の話だよって影ではすげーバカにされてた >>1
あなたのご先祖様はすごい人だったんですね
で、お前は?(笑) いくら先祖が立派でも
子孫が5ちゃんにカキコしてグフグフ言ってるような臭いキモオタではなぁ ただの槍使いじゃんwwwだっせ
ウチの家系は信玄の重臣で武田24将の中の一人だ
当然苗字、家紋もそのまま同じ
江戸時代は旗本やってた 室町初期から明治まで山伏で神社もやってた
家に白川伯王家の当主が書いた御神体がある
ルーツは播磨に居た赤松家ていう話 本家はちゃんと家系図とかあるけど分家には関係なくね
子供の頃はよく分からん儀式に参加させられたりしたが 日本はほとんど出自を問われないフラットな社会だからねえ >>1
名前書かないと、柳生は剣術指南でいいのかな?
こういう役って普段暇なんやろな
武士の仕事って、かなり暇やったらしいな
週休6日とか、そんなペースで、仕事といっても一日中座ってるだけとか
でもこんな組織は、忙しい人は滅茶苦茶忙しかったんだろう 日本書記か古事記でも教科書で見なかったかな ?
仮に1500年前に30人位いて子供が4人ずつって話で計算してみてね。
疫病は無視してやってね。
遺伝は色々って話も簡単。 >>1-1000
おや、奇遇ですな ウリの先祖も両班ですニダ 「三代続く長者なし」と言って、先祖が金持ちだったからと言って今も裕福とは言えない。
徳川家自体も今は何の力もないし金もない。歴史に出てくるだけ。
自慢したいなら自分が成り上がってからするといい。 >>1
それが本当なら、お前( の先祖 ) を尊敬するよ
その家の菩提寺が先祖代々天台宗か真言宗なら無条件で尊敬する 親父の地元が山口県下関市なんだけど
クラスの半分が平家の末裔と言ってたって
そんだけ居れば源氏に勝てるやろw 実家は百姓、GHQの2度の農地解放で二束三文で手に入れた土地を売って一部にマンションを建てて1階に息子が店舗
東京近郊の中途半端な農村ではよくある話 嵯峨天皇
源融
源義光四天王筆頭渡邊綱
ま、格がちげーよ槍指南さん >>1
ご先祖すごい→俺すごい
そんな朝鮮人みたいなメンタルでご先祖に申し訳ないと思わないのか? >>79
嘘マジか
親父の家の墓
普通のより妙にデカくて立派なんだが
爺さん駅長、親父の兄役所勤めだし >>8
指南役が上級武士とかアホか
柳生一族でも大したことないのに
ホラ吹き >>90
君は静岡県出身じゃないなら
怠けた鈴木さんじゃなく
本来の目的のために頑張った方の鈴木さんだな >>257
いや御典医なんかよりはるかに上
うちも御指南番
御指南番が上級か知らないが、
明治以降は華族になったお殿様と
同じ学校に通っていた
学習院ではない
親戚に隣の藩の御典医の
家がそういっていた
藩の役職の仕組みはよく知らない ある県の特定の地域にしかない名前だから辿るのは簡単なのかな そもそも徳川家康自体が源氏でもなんでもない、
出自不明の坊主の子孫だし 豪農というか庄屋
江戸時代や室町時代より前から名字持っていたぞ >>41
いきなり旗本は無理筋だったようで。
水戸家の家来の養子に入れてそこの親戚筋の
旗本の娘とケコーンして旗本成りしたようで。 ゴツゴツ土器を薄くしたのは俺の先祖だ
お前ら感謝しろよ みんなすげえな
韓国人がみんな両班なのを笑えねえなw 父親が米問屋、同心の株買って息子を同心に仕立てたドラマやってたな >>24
うちは関所らへんに配置されてた下級武士w
上級のようにお屋敷はなかったし貧乏だから農作業しながら関所で戦ってた模様
郷中教育密かに残ってるけど今の薩摩隼人はもうだめだ(泣) 薩摩藩の家老の系譜
以前は八代に曾祖母の家があった そういう名前だけの武士の家って禄が少なくて
代を追うごとに借金まみれになるパターンだろ 徳川家は家康から数代遡ると
どこの馬の骨かわからなくなる >>192
柳生の人達大名クラスじゃなかったっけ
ホモホモ騒動ですったもんだしてるけど >>261
真面目に聞くんだが、その系譜が今の自分の人生のなにがしかのアドバンテージになってるの?家は金で苦労したことなく自分も小遣いたんまりもらって不自由したこと無いとか
ちなみに人生上知り合った中では松平さんというもちろん徳川の一族で親族会である松平会ってのに欠かさず顔出してる公家顔で所作も声も気品ある人がいたんだけど
その人流れのパチ屋店員だった
その気品ある店内アナウンスは絶品だったなぁ >>279
戦国時代ってそんな連中ばかりじゃん
北条早雲だって北条氏とは関係がないし
だいたいが清和源氏の末裔を名乗ってたり…ルーツがデタラメな可能性大だし 鍋島氏に仕えてたらしいけど詳しく知らね(´・ω・ `) 母方はさる家老職家系で結構な地主だったけど豊田商事事件で没落したらしい
父方は開拓集落のいち農民だから由緒ある水呑み百姓ですわ >>282
というか柳生だけが兵法家で万石超えた、だったかと
宮本武蔵は三百石 >>12
天領って聞こえはいいけどどうしようもない土地で幕府が管理するしかなかったところだよ >>1
忍者ってうちの爺さんが言ってた。どんなことしてたんだろね。 山伏
江戸末期頃には医者と寺子屋的な学校
明治以後には地主兼、町医者兼、小学校創設者
廃校になってるけど校庭に銅像がある ウチは母方は田舎の商家、父方は江戸で町道場の師範だったらしいが武家かは?だ
もちろん俺の人生に何のプラスにもマイナスにもなってないな 百姓だったよ
俺も仕事より農作業してるほうが楽しい
多分遺伝子レベルでデスクワークより農作業に向いてると思う うちの先祖は代々、小田原で規模の大きな鍛冶屋をしていた。
士農工商の、下から2番目だなw
立場としては、お百姓よりも下になるな。
家の家宝として、代々受け継がれているのが、北条氏康様から頂戴した感謝状。
鍵付きの金庫に大切に保管してある。
この金庫は、俺の父親しか開けられないし、鍵もどこにあるのか分からないがw
北条家に、刀と長槍を大量に納めたことがあって、【その方の比類なき働き、神妙であった。小田原の守りの要となろう。今後も励むように。】って
内容が、難しい文字(ほとんど解読できないw)で書かれている。
毎年正月に金庫からだして、家族全員で新年の挨拶をこの感謝状にしている。
当たり前だが、正月は早雲寺にも新年のご挨拶をしている。 本家は加賀百万石前田家の家老だけど元は徳川家の譜代からお目付け役で出向という変わり種
大名家だと学生時代の友人が信州真田家の子孫 で?お前自身のの戦闘力は?高校シメてた俺より強いの? >>282
柳生宗矩は家光の側近としての立場が強かったからな >>285
北条早雲こと伊勢新九郎盛時は超名門伊勢氏出身の幕臣だったというのが現在の定説 「公式の記録」に残っている一番古い自分の先祖は源行家を捕まえた僧兵。
北条政子から所領を貰ったことが吾妻鏡に載ってる。 武田の下っ端
明治の御一新を乗りこえられずに本家が破産
土地を切り売りしながら教員の一族へ 歴史好きの父親が、定年退職して暇だから
親戚回りと菩提寺とか回って、情報集めてたら
明治時代位までは家系図が出来上がっていたな。
結構珍しい名字で、祖父が曽祖父から聞いてた通り武士(直系かよくわからんが、中老〜家老 マックス4400石)の家系で
一族は歴史書&ウィキぺディアには出てきてたけど、明治維新で
食い詰て、維新後はちっちゃい桶屋を経営してたらしい(笑
上級武士でも、そんなに食い詰めるもんなの???
武士の家計簿とか見てたら、下級武士はつらかったみたいだけど
家に伝わる工芸品とかどこ行ったんだよ。 母方も、なんかようわからん武士の家系だが
鎧・刀とか第二次大戦で空襲でやられるまで、あったらしいのに >>1
子孫がここまで落ちぶれるとは
っとご先祖様も嘆いてるね
夢枕に出ていって説教してくる って言ってたから ヨロ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています