昭和って下水無かったから、生活排水はドブから近くの川に流してたんやで で、ドブ掃除は子供の仕事
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そら川も海も汚れるわな
(´・ω・`) トンソルは今もそうじゃんWWW
チョョョォォオオオオンッッ(笑) 渋谷で古いマンホールみたけどレンガ積みでとてもキレイだった 多摩川が生活排水で泡だらけだった
魚がいないので川原でバッタを
取っていたよ >>7
そうそう
ドブはミミズだよな
水というか底は青白いというか洗剤流してるって色だった 田舎では今でも下水道なんか無い所の方が多いぞ
何でも東京基準で考えるなよ 生活用排水流すから段差でもあるとこならよく泡立ってたな
あとゴミとか空き缶だらけだった
そう思えば今の川は綺麗 東京の下水道はもう全都網羅したのか?
昔は下水道普及率が100%じゃない、首都のくせに恥ずかしいッてコトだったが ドブ川ってのがあってだな
いろんなものが流れていく様が観察できたんだよ 古い漫画を読むと普通にどぶさらいしてるよな
泥は道路に投棄 >>23
人口増加に追い付いてない
もう限界過ぎてるから都民を半分くらい強制移住させるくらいしねえと駄目なとこまできてる 横浜のラーメン博物館が昭和30年代の町並みを再現してるけど、側溝のドブとか汲み取り
便所の臭いとかを再現したらすごいことになりそう。 千葉とかの田舎だと庭に染み込ませてるよな
そしてその庭から地下水を汲み上げてる 下水来てないとこは今でもドブ臭い
本当は浄化槽ないと違法だけど浄化槽入れない家が必ずある >>36
洗濯は1950年代におれのばあちゃんやってたって聞いたな
金沢市内での話 浄化槽は各家庭にあったから、いきなりドブに流してはいなかったよ ネパールとかインドネシア行けば
今はそんな感じだろ。 そういえばドブさらいって今は行政がやってくれるよな ドブ掃除する必要のない地域に引っ越して来てマジ快適だわ。 >>48
日本の僻地、福岡に行く用事があるやつは九州土人と東京の上京土人だけ(笑) 東京の下水道はそのドブに蓋しただけの粗末なもんなんだけどな 泡だらけの堰堤に青白い洗剤の容器がクルクル回ってた >>9
違う川の水性昆虫がいなくなってたから魚が岸に上がって陸生昆虫を食べてた時代だ、もう少し続けば進化したかもしれないのに惜しいことをした ドブ掃除のことを「ドブさらい」って言ってな
なんだっけ忘れた自分で調べる気もないけど
特撮ヒーローの歌でも(俺の役目なんて)
「そうさ、この世のドブさらい」って歌詞があったくらいだからな >>38
小川でやってたんだけど直ぐ傍に犀川があってそれに小川が流れ込んでて、対岸には朝鮮部落があったそうな
ウトロにあったようなヤツ、戸がなくて垂れ幕がドアの代わりにしてたような アド街の立会川の第1位が
東京駅の地下水を
死の川と呼ばれた立会川に流して綺麗になりました ヘドロが堆積したドブ川に赤いイトミミズがわらわら湧いてた
そりゃアメリカザリガニもエサに困らないから増えるはずだわ 今のアジア諸国を見ればわかるじゃない
人権なんて無いんだよ 永井荷風によると玉の井(スカイツリー周辺)ではドブにドジョウが泳いでたそうな >>37
浄化槽はある程度土地に余裕がないと無理じゃね?
うちは庭がまったくないから浄化槽設置できないと思う うんこは、肥溜めにして
それを畑にまいて、
それで育った野菜を食べてた。
うんこからうんこへのループ >>55
ドラえもんで、のび太が親の言いつけで
ドブさらいしてたらお金発見してラッキー!
みたいな描写あったな。
子供にドブさらいさせるってのは
当たり前だったらしい。 いまの下水のシステムって下水に流した分、料金のメーターに記録されるの?
ウチの向かいのオヤジが洗濯の配管を家に隣接の町の用水に引き込んで流してるんだが・・・
用水というのも幅50cm程しか無いが田んぼの用水に使われている(怖 ヘドロで島になっていたり、染色工場がある地域だと時々川の色がカラフルになったり 75そうだよな、
町全体としては90年代中期までには下水道完備してるはずなんだが、どうなってんだろ
洗濯機の位置を10m程離れた別の側溝まで持ち運んだりいろいろやってる
あの様子じゃ炊事・風呂場の水も流してるっぽい 当時、ドブがある国は先進国なわけだが
隣国ではそこら中に糞尿垂れ流したうえに食してたくらいだからな
その隣国では豚に食わせてた >>70
東海道自転車の旅をしてたときに新富士駅あたりを通ったらすごい臭いしてたわ すまん俺んち未だに単独層で台所風呂は垂れ流しやわw浄化槽も登録してないからタダやし 下水道かんが今100年前のリペアが間に合わなくて大変なんだが 洗濯機の排水をダイレクトに流してたからいつも泡だらけ
瓶や缶はもちろん傘や自転車なんかも放り込まれてる
ヘドロの塊が浮いてたりメタンガスの泡がブクブク吹いて臭いのなんの
でもそういうところに赤虫やイトミミズの塊がいたりするんだよな
都市部のドブ川はどこもそんな感じだった なになに
「バキューム・カー」を知らないのか
一軒一軒「溜まってるウンコさん」を
吸い取ってくれる神車 >>79
地元民だけど日本製紙や大興製紙、王子製紙などの工場があるから仕方ないよ。 衛生防除ってのが今でもウチの集落にはある。
有機リン系の殺虫剤を溝にまくんだけど、今は下水が整ってるんで意味あるんかね。 家周りのどぶさらいをやったことがない人は昭和40年代以後に生まれた人たちかな?
自分も小学生の頃時々やらされてた
当時は道も舗装されてなくてどぶさらい用の細長いスコップでさらった汚泥を道に上げるだけでよかった
真っ黒で臭かったけどそんなに汚らしいという感覚はなかった >>89
でもヒルみたいな生き物いなかった?
頭が三角のやつ。 >>90
ミミズみたいなのはよく出てきたよ大きいのも小さいのも
頭三角のはコウガイビルだと思うが水の中にはいないんじゃないかな?
あの当時はビニール袋がまだ少なかったからか掃除がやりやすかったように思う >>68
飲食店の5秒ルールとかが実際にあるかどうかわからんけど案外と妥当かあるいは厳しい品質ルールかもしれないw 日本で最初に下水道を作ったのは豊臣秀吉
上水道は北条氏康 昭和中期はドブが多くて町内会でドブの消毒の為に
乳剤配って皆ドブに撒いて定期的にやってたな
焦げ茶色の液体だが水の多い所に流すと牛乳みたいな白い液になる
それに手洗い用にクレゾールも売られてたな >>89
ドブ泥が真っ黒で臭かったけど
俺はドブさらい好きだったな >>68
カーチャンの実家では庭に肥え桶埋めてそこに板二枚渡してうんこ
小便は昭和の小学校の便所みたいな溝に横からしてそれを溜め込む
うんことしっこは別々にして畑に運び畑で適当な粘り気になるようにブレンドして
肥料として撒いてるみたい
本来は落ち葉とか雑草の刈ったのを積み上げてそこに大小便を掛けて発酵させて
堆肥にするハズだが >>85
メルカプタンって言われててパルプを処理する時に発生するらしい
玉葱の腐った臭い、地球上で一番臭い物質と言われてるらしい 家の前が川だったから夏になるとヘドロの臭いが臭くてな 洗濯石鹸が有リン洗剤だったから川はいつもブクブクと泡立っていたな
東京湾、駿河湾から奇形の魚やタコが多く捕れて魚が大嫌いになった
そう言えば当時の足が50本ある奇形ダコの写真とか全く見なくなったけど
あれはなかったことになっているのかな? メッキ工場もクリーニング工場も廃液を川に流してたからな
だから江戸前寿司なんて有難がって食う奴の気が知れない 10年ぐらい前の噂の東京マガジンで千葉辺りの用水路浄化作戦特集しとったとき垂れ流しの話しとった覚え
そんな遠くない昔やん 完全に王子駅に対する挑戦だな
石神井川にウンコ流し続けた事がそんなに気に入らないのか! 北海道は農地だらけで住宅地密集してなかったから汚くなかった >>72
大阪なのに西武線がうんこ電車だったことをよくご存知で 昭和って63年もあるのに一括りにさせるとピンとこない話が多い >>106
庭とかの地流しからではなくトイレ以外基本全ての排水をドブまたは川、水路に流してた
それが各戸だから集落レベルになると台所や洗濯の洗剤で真っ先に見た目汚染される >>111
下水は行き渡ってて、どちらというと川の氾濫とかに苦しんだ時代かな ドブ掃除は町内会で月1やってた、底のヘドロをすくって上から消毒剤をまいて道路わきに放置 >>66
アルマイト工場からは流れていたのは
温かくてきれいな緑色だった だけど アレルギーって聞かなかった
ドブ浚った泥 何日もドブの脇に放置 乾いたころにリヤカーで回収
こんな流れだったと 爺ちゃんが言ってる 昭和30年代のオリンピックあたりから下水整備を急ぎだし
昭和40年代の半ばあたりから公害汚染対策に本腰を入れ始めた
そんな感じだよな。
特に40年代はウルトラマンなんかで背景見るとよくわかる。 おじさんが子供の頃は糸ミミズ採って釣り餌にしてたよ >>117
普通に死んでたからな
乳児の死亡率調べたら分かるが、昔は乳児期に死んでただけだ >>111
>>1は昭和とはいっても30年代から40年代(西暦にすれば1960年代)あたりの話だろ うちの共産が強かった自治体では、平成の初めまでそんな感じだったよ。
インフラにろくに金まわさず、学校の給食のおばさんが年収800万ぐらいもらってた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています