釈迦如来がセックス・飯・金に拘るな言うが自分はそれらを堪能した後だからな
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
浄土真宗はそんなのクソ食らえという教義だからな
何であんなのが仏教の枠に入ってるんだろう でもお前らは金無いから良い飯も食えないし女も寄り付かないからセックス出来ない独身ジジイだから釈迦の教えを守ってるよね メソポタミアやヒンズーには神聖娼婦ってあるじゃないの 得ても失うしそもそも最初から得られないこともあるから執着してはいけないんだろう
女も大金も手に入らなければさっさと諦めろというのが仏教 ずっと賢者モードでいられて、分かりにくいけど良いこと言う=悟り >>6
最初からあれもこれも禁止とやると、悪いことはしなくて済むが、我慢するだけの一生になって煩悩が消えることはない。
ならばまず女でも金儲けでも飽きるまでやってみろ。飽きるくらいやればもういいと思うようになり、
無理しなくても自然に煩悩から離れられる。 >>6
日本の仏教って一度中国で噛み砕いたものを政治闘争のために持ち込んだものだからお釈迦様の教えは割とどうでもいいんだろ 紀元前1000年頃に書かれたソロモンの「伝道者の書」を読めw 貧乏な出の童貞が「セックス・飯・金に拘るな」って言って信じ・・・
あれ?どっかで・・・ 悟り(笑)
賢ぶりたいバカ向けの詐欺だよね
バカは簡単に引っかかる
まさに濡れ手に粟だろう タバコとパチンコは絶対やるな
堪能した俺はそう言ってる >>6
浄土真宗は阿弥陀という救い主のメシア教、即ちキリスト教に近いな ブッダが仏教の概念を広めるまでインドはまじカオスだったからな
一方で土人ヒャッハー状態の衆生と禁欲と苦行しか救いはないとしてるバラモン達
ブッダはどっちも偏らない生き方をみんなにわかりやすく話ししたインド人 日本の仏教なんて劣化同人誌のさらに劣化同人誌みたいな位置づけだろ >>12
釈迦の人生そのものだ
セブンセンシズに目覚めそう 少女の母乳粥食わされてエロい気持ちにならずにいる時点で9割方悟り完成してたと思う >>13
そのおかげで本来の仏陀の教えとは似ても似つかないものになってしまった。
仏陀は、弟子が自分の死後仏陀の像を作っても良いかと聞いたとき、
私の像を作ってはならないと言ったが、なぜか日本にはあちこちに仏像がある。
どうしてたかが木や石の人形に祈るのか。あんなものはただの木であり、石に過ぎない。 性欲なんか何の修行しなくても五十越えたら消えるよ。仏教とかアホちゃう。 >>6
『修行した者しか救われないなんておかしい』から発展したんだよ
普通の生活が大切って事 >>26
比丘はセックス禁止
オナニーも禁止
違反すると破門
でも中道って過度な禁欲と両立しないよな 超お坊ちゃまだからな
現代で言えば金持ちの息子がヒッピーになる感じ >>1
苦行も一通りやった後に
「あれ?これ意味無いわ!」
ってなったんだしな。 >>6
悟りとは自己満足なんだよ
悟りに至るまでのプロセスなんて仏教においてはどうでもいいんだよ
悟ったもの勝ち、それも自己申告
贅を極めてどうでも良くなって悟ってもいいし、死ぬまで我慢して悟ってもいいし、他人に丸投げして来世で悟らせてもらってもいい
実際、般若心経は全部丸投げの呪文が書いてあるだけだしな >>23
キリスト教なんじゃね?
キリストの墓が日本にあるし 薬師如来とか弥勒菩薩とかみたいなのは釈迦が考えたの?
それともあとから自然発生して来たもの? 俺も宗教作りたい
教義はこれだけ
毎朝ウガヌマって唱えるだけで死後幸せになれる
生きてるうちは気が向いた時に教祖に寄付すると死んだ時にさらに幸せになれるガチャを沢山ひける
何か凄い手品が使えたら奇跡とか言って庶民を騙せるのに https://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1553119305/
ムーンサリンパワー
悟りを開きたいならこのスレを見てね。
悟りを開く為の力、ムーンサリンパワーに付いて色々と解説されてるよ。 一方のジーザスは童貞のまま串刺しにされて神の子になった
シャカやマホメットのような俗物とは桁が違う ソクラテスもプラトンも、美少年食いまくったあとで
至高はプラトニックラブ!
とかいう変態 自分はこの世の快楽味わい尽くして弟子にボロ着せて托鉢させるのホントすき >>47
ソ ソ ソクラテスかプラトンか
ゲ ゲ ゲーテかサルトルか >>26
色欲と言って「できるだけ女から離れたほうがいい」と言ってる。ただ、これは色欲が良くわかった弟子向けの言い方であって、
誰にでもこう言っていたわけではない(仏陀は人によって言い方や言うことを変えていた)。性欲というのは、現代的に言えば
ホルモンの働きのことで、若いうちは大量に出る。若いうちは体も若いし「子供を作れ」という本能が強く働くから性欲も強くなる。
これは自然なことだ。もしこうなっていなかったら人類はとっくに滅んでいたはず。人間にとって必要な働きと言える。
なので若いうちはセックスを体験して色欲とはどういうものかを良く知り、子供ができれば人間としての役目を果たしたことになる。
なので若い人に対しては「女を良く知り、体験して性欲とはどういうものか学べ」と言うのが正しい。
問題はここからで、若いときのセックスは快感が強いので女が近くにいると性欲に溺れやすくなる。そうなると、勉強や仕事など
他に大事なことがあるのに女を追いかけてばかりになる。これが良くないので、そうなったら女から離れたほうがいい。
女が近くにいなければ性欲に振り回されず仕事や勉強に集中できる。いずれ年を取ればホルモンが減って性欲が弱くなり、
強烈な性欲はなくなる。女に会っても節度ができて中庸になる。こうなればもう性欲に振り回されない。 んまあ釈迦も解脱なんて絶対無理だから人間らしく生きろって言ってるし
禁欲の先に何か素晴らしいものがあると考えるのもまた欲望のなせる事だがや >>39
釈迦の教えでは物足りなくなった後世の仏教徒が考えた最強のホトケさまが薬師如来とか弥勒菩薩 釈迦族の王子でなに不自由なく暮らしたあと
嫁と子供をすてて出家したんだっけ? >>53
物欲は満たされていたが、王子だったために責任が重く、悩みも多かった。
これらの苦から逃れたいと思ったが、苦がどこから来るのかわからず、どうすれば苦がなくなるかも
わからなかったので、修行僧が答えを知っているかも知れないと思って旅に出たのが最初。 「私が亡くなった後の事であるが、仏法が滅しようとする時、重罪を犯す者が多くなり、魔道が盛んになるであろう。」
魔類が僧侶の格好をして教団や仏教徒の中に入り込み、仏法を内から乱し破壊していくだろう。
魔僧は酒を飲み、肉をむさぼり食らい、生き物を殺して美食を追求する。
およそ慈悲心など全くなく、仏の弟子たる僧たち同士、お互いに憎んだり妬んだりする。
(中略)
作物という作物は実をつけなくなり、疫病が流行し、死んでいく者も多くなって人々は苦しむ。
税金は重くなって、道理に合わない税のかけ方をする。
悪人が海の砂の数より多くなり、善人は一人か二人になる。
世界が最後になる寸前には、日月が短く、人の寿命も段々と短くなって四十歳で白髪になる。
男子は淫乱にして、精も尽き若死にするようになり、長生きしても六十歳ぐらいであろう。
女子の寿命は八・九十歳、あるいは百歳となる。
(中略)
時に、大水がにわかに起こり、富める者も卑しい者も水中に漂い魚の餌食となるであろう。
(中略)
仏法が滅する時は、例えば油燈の灯が油のなくなる寸前、光が盛んになるのと同様である。
これ以上は、説いて聞かせることが出来ない。
「その後、数千万年たってから、弥勒菩薩が下ってきて仏となる筈である」
(中略)
「この経文はやがて僧侶によって隠されてしまうだろう。」
ーーーーーーーーーーーー ゴータマ・シッダールタ ーーーーーーーーーーーーーー >>54
仏陀は、自分の像などを拝んでも意味がないと言っている。像などではなく「自分の教え」こそ
語り継いで欲しいと言っている。それこそが仏陀が広く知ってほしいことだし、苦から逃れる方法だから。
仏陀以降の仏教が仏像についてどう解釈しているかは知らないが、本質はこういうこと。 >>57
そういや、仏教の開祖として知られるブッダ紀元前5世紀頃にインド北部にあった釈迦王国で生まれたんだよな
現地調査の結果、釈迦族は古朝鮮洋式の生活を送っており、古代朝鮮語を話していたことが明らかになった
仏教の祖ブッダが韓国の血統であることは疑うことのない歴史的事実なんだ
そうそう、仏教と言えば日本仏教の「禅」は韓国仏教の「チャムソン」の偽物だから
騙されないように気をつけろよ 釈迦は偶像崇拝というより崇拝そのものを戒めてる
偶像を作る風習は釈迦の時代のインドにはなかったから 釈迦ってあんまり衆生を救おうとする気が感じられない
個人的に苦しい時にはキリストのが頼れる >>60
釈迦はただの哲学者。プラトン・ソクラテスと同じ。
本当の魂の救いはキリストであり神である。 >>1
ヤることやっても居ないのに知ったかで悟るわけ無いだろ ブッタは瞑想を第一としたからな
むしろ教義はいらないって考え
教義中心の日本の仏教は話にならん 拘らないってのは我慢することも執着することもしないってことだから難しいよ
快楽と苦行を極めないとそこには辿り着けないと思うね
釈迦が苦行に意味がないって言ったみたいだけど間違いだろありゃ 大体なんか色々偉そうに言ってるのは
日本のパチモノ仏教の後付設定だと思えばいい
ガンダムで言えば、GガンダムとかVガンダム セックス、飯、金に夢中になってる人は瞑想に専念できない
だから禁止、それだけ
在家は最低限のセックス、飯、金が必要
なるべく控えて瞑想をがんばれ 西洋的な考え方だと仏教って宗教って言うより哲学に近いんだろうな
仏教の根本は瞑想によって自我が虚構であるという事を理解させる
徹底した認識論に基づいたもの
釈迦ってあれしろこれしろ、あれするなこれするな的な道徳は厳密には
説いていないんだよな
まあ現代的な見方だと宗教ってより心理学に近い >>65
手塚治虫のブッダしか読んでないが修行と言う名の自傷行為に意味は無いだったかな。
本当かどうかは知らん。 >>65
ただその感情やら思考を観察するだけでいい
その観察してる純粋な意識こそが真の自己
禅で言うところの本来の面目 いわゆる苦行と言われる奴もこれがわかっているならば意味がある
傷みに巻き込まれずに観察する事が出来ればね
それを知らないでただマゾヒズムに浸るのは逆に欲望にとらわれてるw 釈迦もムハンマドも麻原彰晃も妻帯していた
聖人は結婚する
一方で宮崎勤や加藤智大、岩崎、青葉など犯罪者は独身が多数 >>8
中庸って真ん中がいいという意味じゃないと思うんだが 男子の子供とセックスはセックスにならないと偉い坊さんが決めたんだよね >>49
ニ ニ ニーチェかサルトルか じゃなかったっけ >>47
要は「愛のないのはイヤっ!」って事でしょ >>67
某教団のイベントに連れてかれて折伏された時に
俺を誘ったやつの上役(といってもまだ若そうだったが)が
それとほぼ同じことを言ってて、驚いた >>81
プラトンのファイドロス読んだら
「恋愛関係(ホモ)になっても、別れたあとにプレゼント代返せとか揉めるから
最初からセックスだけで付き合うほうが良いよね」
とか書いてあって噴いた思い出。 ブッダという実在する人物がいたかどうかわからんからね
こんな人がいたんじゃないか?って都市伝説を寄せ集め蓄積されたんだろうな 仏典と呼ばれる経典の内容が、大量で、しかも全く矛盾無く整合性が取れている事から
複数の人数でつぎはぎ的に仏教を作ったとは考えにくく
かなり高度な知性を持った一人の人間が仏教を作ったことは間違いない
それをブッダと呼ぶだけのこと >>80
49だがそうだった
ゲーテのわけがないよなw イスラム教始祖に、今のイスラム過激派の行いを見せてあげたい たった1回の人生で、解脱なんて無理なんですよ
善行を積みながら、ガンジス川の砂の数ほど、輪廻転生を繰り返し、
しかもその中でもめったに出会えない仏陀に 教えを授けてもらい
修行せんといかんのです。 >>87
初期のシーア派見ても、預言者はムハンマドで終わりだが
預言者の次を考えんなよと
頭抱えたと思う。 >>87
イスラム教に関しては最初から侵略して虐殺して占領して
というパターンだから
今のスタイルそのものかなと
宗教という名の政治統制システムでしかない側面がある >>91
いや実際そうだよ
聖書と違ってパーリ仏典は解釈の違いで論争になったりしない
仏典の意味が分からない人がおかしな事を言い出す事はあるが 仏教であれ何の宗教であれ 今じゃ偶像崇拝の祈れば叶う を主張するだけの下落したモノだw >>8
中庸って程々が良いみたいな意味じゃないぞ
真ん中=道を外れない=間違わない位の意味だよ こんなバカな世界で悟ったからってなんだというのかw 仏教でもキリスト教でも、今時の若い奴は本当に
神や仏がいるとおもうのか?マジで信じてるのかよ・・・・ >>101
そもそも仏教は無神論
信仰を前提としない >>14
あれって、原作を翻訳すると単に偉大な釈迦に帰依しよう!みたいなカルト宗教の勧誘唱歌みたいなもんだろww よっぽど親が金儲けがうまかったんだろうな
今でも浮世離れした
サイコパシーボンボンはたまにいるけど 堪能してもあきがこないのは尻穴の快楽だけニダヨ。
修行して徳のある僧侶や聖職者も癖になるニダヨ。 経験しなければ見えてこないものはある
童貞の話に説得力が無いのはそのせい >>62
釈迦は瞑想の達人
心の力を最大限に高めて煩悩を滅し、あの世からもこの世からも自由になるのが解脱 そりゃ
金持ちボンが
なんやかんややったら
脳内ホルモンの一つも自分で出せるようになって
俺ってサイコー
ってなれるだろう
だからどうしたっていうんだよ >>115
「俺ってサイコー」じゃなくて
俺なんていない、無我の境地にいたる
我が無いから執着、苦しみも無く
あの世とこの世に生まれることも無い 有漏路(煩悩)より無漏路(悟り)へ帰る一休 雨降らば降れ風吹かば吹け
生まれては死ぬるなりけりおしなべて 釈迦も達磨も猫も杓子も
白露の己が姿をそのままに 紅葉に置けば紅の玉
仏法は鍋のさかやき石のひげ 絵にかく竹の共擦れの声
世の中は食うてはこして寝て起きて さてそののちは死ぬるばかりよ
by 一休宗純 >>92
いや、なってるでしょ
テーラワーダでもマハシ派とパオ派では「お前らは間違ってる」と言い合ってると聞くぞ せやな
ブッダは賢者モードのときだけ信者に説教するんだよな・・・(´・ω・`) >>120
あれは経典解釈の違いじゃなくて、実践上のテクニック、捉え方の違い
ボクシングで言えば走り込みを重視するかしないか、スパーリングをたくさんやるかやらないかぐらいの違いで
ルール自体は同じボクシング >>1
そら経験もせずに「そんなもん(゚听)イラネ」とか言ってたら「童貞乙、貧乏人m9(^Д^)プギャー」ってな訳で
酸っぱい葡萄の寓話の狐だわ
「マンコ飽きた」ってなって初めてその言葉に意味がある
悟りってそういうモンじゃね? お前らが悟ってもこの世が如何にクソで性質が悪いか知るだけで落胆幻滅して終わりだろう・・・悟れない方が幸せだよ? >>123
いや、解釈が違う
涅槃がどういうものであるかという解釈自体が違う ウダーナだったと思うが、仏陀は涅槃は対象にならないという主旨のことを言っている
マハシでは涅槃は一切の認識が止まることで、人間と断絶された世界なので主客はない
パオでは涅槃を見ている自分を見るがそこに主客はない
全く解釈が違う そういうの散々味わい尽くした後じゃないと悟れないんやで >>127
パオもマハシも涅槃は経験、体得するべきものであるという見解は同じ
一般人は涅槃がどういうものか知りたがるからそこをクローズアップして見てしまうが
涅槃についてああだこうだ議論する必要はない、してはいけない
物事を見る角度によって見え方は違うが、大切なのは自分で見ること >>129
自分の体験によらずそういう論点があり、仏典の解釈に違いが現れるというのは現実だ >>130
議論してるのは誰?涅槃をまだ見てない一般人でしょ?
それは仏典の解釈じゃなくて仏典の不理解
涅槃を見た人はいちいち議論しない >>131
いや、マハシとパオの長老が論争してるって聞くけど? >98
「出家の所に一切の悪人を摂す」
ヤクザのこと極門って言ったり連想するよね。 そもそも仏陀が亡くなったあと阿羅漢結集でも話がうまくまとまらなかったじゃない
阿羅漢って自力で悟ってないだけで仏陀と同じ悟りなのにだよ >>132
してないと思うよ
そんな事より弟子の瞑想を指導する方が有意義だし >>134
それって戒律の細かいところだけでしょ?
ブッダの根本的な教義は議論の余地無いでしょ >>135
君がどう思い込みたくても、してるんだからしょうがない 一時期原始仏教が好きだったが、
やっぱり欲を捨てるのは無理だと思ったし、執着もありあり。 基本的に個々が自然と善を実践できる民族だと宗教の必要性がないからな >>143
そんな民族は無い
あったとしても低レベル
仏教で言えば十善戒を自然に守れる人がいたら奇跡 >>142
浄土宗系の根本やね
あれは基本クソ真面目に仏教勉強した人ほどささる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています