「表現の不自由展」天皇焼却映像作者“津田大介氏は「燃えてますね!」と笑っていた”

 そもそも失態の原因になった「表現の不自由展」は、いかなる経緯で生まれ、
また、どんなメンバーが運営しているのだろう。
 美術ライターによると、
「もともとは、2012年に東京・新宿のニコンサロンで予定されていた慰安婦の
写真展が、ニコン側の通告で中止されたことから始まりました。このニュースを
知って、行動を起こしたのが武蔵大学教授の永田浩三さんでした。永田さんは、
知り合いのギャラリーに企画を持ち込んで写真展を実現させる。これをきっかけに
『表現の不自由展』の実行委員会が立ち上がるのです」(略)

 事情通が語る。
「実は永田さん、元NHK職員で番組のチーフプロデューサーだったのです」
 さらに番組の4年後、放送前に故中川昭一代議士と安倍晋三党幹事長代理(ともに
当時)が、NHK幹部に圧力をかけていたと朝日新聞が報じる。このことは先述の訴訟
でも俎上にあがり、この際、NHK側のはずの永田氏は、原告側の証人に立ち、番組
改変を国会担当局長から命じられたこと、政治家の関与がなかったように幹部らが
口裏合わせをしたと証言したという。だが、裁判は原告の敗訴に終わり、永田氏は
09年、NHKを退局する。その後武蔵大の教授に転身していた永田氏、津田氏が引っ張り
出したとはいえ、今回の騒動の発火点には、そもそも慰安婦問題に特別な思い入れを
持つ“黒幕”とも言うべき人物がいたわけである。
 その永田氏に、今回の展示中止について聞くと、
「どうせ面白おかしく書くんでしょう。取材はお断りです」
 と、元ジャーナリストらしからぬ返事。代わって「御影焼却」映像の作家・大浦
信行氏に聞くと、こんな経緯を明かすのだ。

(続く)