>>647続き
記紀を紐解いてみるに、推古帝以前においては女王、亦は女性が長と目される例は
それほど多くはない。これは記紀の編纂の時代背景によるものかもしれないが、
皇統譜でみるに神功皇后のみであろう。あとは神功皇后の熊襲征伐の折と神武東征の折に
2・3見られる程度である。それから、歴史解釈によっては崇神・垂仁帝の御世にみられる
伊勢の斎王の扱いだろうか。広げてみればスサノヲの夜這い先のヒメガミを解釈次第では
そうみられないこともないだろう。風土記などを参考にしてみると女王といえるのかどうか
微妙ではあるのだが、土蜘蛛の首長、在地勢力の首長として、女王の存在がおおくみられる。