卑弥呼が魏と外交したり初期の神社を作っていた頃、天皇家は何をしていたの?
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邪馬台国の最有力候補地とされる桜井市の纒向(まきむく)遺跡を考える「第13回纒向学セミナー」(市纒向学研究センター主催)が7月13日午後1時半から、同市河西の市立図書館で開かれる。「神社のはじまりと纒向の王宮・王権」をテーマに、神戸大大学院教授の黒田龍二さんの講演などがある。
同市辻地区では2009年、女王・卑弥呼(ひみこ)と同時代の大型建物跡が見つかり、黒田さんは建物の復元図を作成した。セミナーでは、黒田さんと同センターの寺澤薫所長との対談もある。
入場無料だが、事前申し込みが必要。定員270人で先着順。問い合わせは、同センター。【藤原弘】
毎日新聞 2019年6月25日
https://mainichi.jp/articles/20190625/ddl/k29/040/512000c?inb=ra 1500年ぐらいだろ
その前は統一されてないのでは >>11
ほぼ九州で決まりなんだが、大学のお偉いさん方は頑なに畿内説をごり押ししてる >>10
関係ある、帥升とかククチヒコの居る倭九州王国が大和に吸い込まれる途中が邪馬台国連合 紀元前660年前は編纂の際に誇張して書かれたもので事実には基づいていないと竹内が言ってた まぁ妥当に考えてどっかの小さな国の頭だったんだろね。
ちなみに天皇家に勝るとも劣らない古い家系として阿蘇氏がいる。
定期的に国主として戦に負けても阿蘇神社の神主として存続し続けた面白い一族。 国譲りもありえないって言われてたのにありそうまで来てるから誇張じゃない可能性 まんがはじめて物語の常連だよな卑弥呼
「あら また来たのね?」 卑弥呼って当て字がおかしいんだよね
負けた側だから卑なんて入っているんだろうけど >>24
お前ら↑皆も
伊勢神宮の史実も考慮なく勝手に妄想するなキチガイども >>31
だから
魏の国の下級お役人のレポートを真に受ける現代日本はキチガイ >>12
九州説を唱える人間って
ほんと短角的近視眼の池沼 大和は九州の邪馬台国を征服して神になった
邪馬台国は邪魔なんで日本書紀から消しました >>39
大和朝廷は邪馬台国の存在を消してるよ
魏志倭じんでんに記録されなかったら、邪馬台国は教科書に載らなかった そのころ、アマテラスは弟のスサノオにイビられて、いじけて洞窟に引き籠り中の頃だろw
ま、一説ではアマテラス=卑弥呼とか言ってるキチガイ歴史家もいるらしいがw >>25
キツキのオオヤシロ
は、マジに万年前から歴史
三輪山もね。
で、椎根津彦が祭祀を任されたが祟りに合う。
これも実話 台与は「とよ」と読ませるのに邪馬台国は「やまとこく」でなく「やまたいこく」と読ませる不思議 >>31
魏の役人「おたくらの王様なんて名前なん?」
使者「なんちゃらかんちゃらヒメミコです」
魏の役人「は?...なにヒミコだって?」
使者「なんちゃらかんちゃらヒメミコです」
魏の役人「...あー分かった(めんどくさいからヒミコでいいわ。漢字も適当でええやろ)」 邪馬台国をやまたいこくって呼んだの誰なんだよ。どうみてもやまとだろ >>33
だって魏の国の下級役人のレポートの方が神話より信憑性あるんですもの。 九州説の人って
まだ絶滅してないんだ
いい加減現実みろよ 卑弥呼の正体ははモモソヒメだから、ちょうど一族のミマキイリヒコが表の政治を担当してた時代だよ >>42
大神神社の宮司は神社庁からの派遣なんだよね
元からいた人はどこに行ったんだろうか >>25
出雲の遺跡見つかったし
国譲り神話なんかどう考えても天皇家の日本支配の妥当性から真っ向から反する神話だもんな
わざわざあんな神話を創ったのだとしたら担当者殺されてるだろ 邪馬台国は朝鮮半島にあったのでは
倭もあったし
漢委奴国でつじつまあうよな 卑弥呼ってよくミステリアスな美女に描かれるけど、実際あの時代の女性は腋毛もマン毛もボーボーのクサマンだったんでしょ? 魏史倭人伝で登場する地名のほとんどは大阪府内に有る!よって邪馬台国は大阪!!! 臺與(とよ)は13才。幼女だけど女王様!
男ちょろいな 卑弥呼とか邪馬台国なんてのは中華の妄想 なんでバカにされたような文献を信じるかなぁ ヤマト王権は半島由来だろうな
海洋国家で海もないところに引きこもる理由がないだろ >>69
倭人伝の当て字のほとんどは小韻の首字と言ってその音を表す漢字の代表格
だから卑字を当てたわけではない 朝鮮半島南部、百済も倭人国家。そして任那は歴史的大和国の領土!韓国政府に領土返還を求めるべし なるほど
大和朝廷軍 桃太郎とキジ猿
邪馬台国軍 鬼たち >>81
炭素年代測定法の誤り
最近海外で研究が発表された >>70
シャーマンで「日の巫女」
一人称ではない。 卑弥呼が神社とかハチャメチャだろ
卑弥呼は九州の熊襲の女酋長だよ オリジナルの文字を発明できなかったのはしゃあないとしても
せめて漢字で文献を残せなかったのか 先祖か組織の偉い人だったんじゃねーの?
邪馬台国って朝廷の前身みたいなもんやろ?
無関係とも思えんけどな ヒミコさんは複数いて、アマテラスのモデルなんじゃないの? >>70
男の族長だったんだけど、国同士の争いが絶えないので巫女を指導者に祭り上げたとか
卑弥呼の死後、男の族長に変わって、争いが再燃したからトヨだかイヨという娘を指導者に祭り上げて争いを収めた ヤマトトトヒモモソヒメ:箸墓古墳、卑弥呼説
崇神天皇:卑弥呼の弟か台与の代の摂政説
豊城入彦命:崇神天皇の子で毛野国に入植…邪馬台国に従わない「狗奴国」が毛野国で、豊城入彦命が毛野国を屈服させた説 いやいや、どう考えたって邪馬台って
「ヤマト」って発音を支那人がテキトーに書き写しただけだろ 卑弥呼に会いに行きたい
どんな言葉を使っていたのか知りたい
踏まれたい まだ大陸に居たんじゃねーの
渡来人説が1番有力だと思うけどな テンコロカスより胡散臭いものはない
テンコロカス支持者は敵 基本は地上で政なんかしておらず
地べたを這う者たちを見守り誘導していた
卑弥呼だって密室で交信して、それを流布してたろ?
代替わりでそれが出来ないものが後を継いだ 卑弥呼は、その南方の卑弥呼弧が治める狗奴国つまり、熊本と完全なる戦闘態勢にあった。
卑弥呼とは、音を当てている。朝鮮は、獣偏やら、豸偏やらと、やたらに野蛮人扱いなのは、
倭が人偏なのと完全に格付けで、区別している。これは、秦の始皇帝時代に、5000名の
男女のペアーを作って不老不死の薬があるということで、徐福が済州島を介して、日本に
渡ったことが、徐福の報告で分かっており、漢族の子孫として倭を人偏とした。 今でこそ天皇家とか言って崇められてるけど
昔は親子兄弟で殺し合いの権力争いばかり 連合の長であり鬼道で衆を惑わすようなオカルトクソ女に徹底対抗した卑弥呼子が実は最強 南九州から天皇家が北上して北部九州の邪馬台国を取り込んで瀬戸内海から大阪に行って、出雲の国譲りが一番しっくりくるけどな。 ヒミコが天照でその子孫が神武なんじゃねいの?
とか素人考えするよな ガタガタ言ってないでタイムマシン開発したほうが早い 卑弥呼亡き後Dの一族は20人の豪族に襲われて邪馬台国滅亡、その20人が作ったのが後の大和朝廷
その前100年が空白の歴史と言われてて、ニコロビンが歴史の本文を追い求めてる 前660年にはいたのだから、普通に日本を統治していたんだろう
卑弥呼とかいうのは辺境の蛮族じゃないの その魏の曹家は今じゃ跡形もないし、途中モンゴル人に幾度も支配されるし、今の中華のトップのプーさんなんてお前どこの出やねんってレベルやし。 いまの天皇家は偽物なんじゃないのか?
人相悪くね? >>12
九州出身者だが自分の始祖を邪馬台国とされるより熊襲や隼人とされるほうが誇らしいと感じるわ、侵略者と戦った証だからな 古事記に出てこないのは 都合が悪い もしくは無かった話 もし征伐したり祖先なら当然記載されて然るべき 邪馬壹=大和 なのを江戸時代のなんとか言う奴がやまたいと誤読してそのままみたいな話もどっかで読んだな
まあ一つの説なんだろうけど邪馬台国は大和朝廷のことだろ >>120
いるわけねえだろ紀元前600年代からなんて 朝鮮由来
前方後円墳
鉄器
入れ墨禁止
馬具
王冠
邪馬台国と大和朝廷は敵対関係 天皇の墓とか古い寺社仏閣をもっと調査できたら分かるんだろうな
調査が中々進まない >>132
そのまんまと言うのはあれだが実際何らかしらの事実が有り
その事実をもとに神話や伝承になったなんて良く有る事らしいぞ? 完全創作なのに「史記」とか付けちゃうのが中国
割とリアルの話を神話として書いちゃうのが日本 >>132
キリスト教国なんて神話と歴史と科学がごっちゃなんだが。 >>132
計量文献学的に神話時代の話が古い時代のことを伝えているということが示されてるからな
例 固有名詞に万葉仮名が占める割合(口伝による音だけの伝承のため古い時代ほど万葉仮名が多くなる)
記憶術による語り伝えが多い等 奈良・大和の古い地名と似た景色が片っ端から九州に残ってるってのを、大昔謎学の旅かなんかで見たな
確認してないけど >>10
邪馬台国は中国語で
大和は日本語(´・ω・`) 卑弥呼の時代って神功皇后の時代なのに
何をやってたも無いのでは? >>12
大昔は九州の位置に近畿があったんだよ
今の常識で考えても真実にはたどり着けない >>123
いやそんな大昔から九州に住んでたとは限らないじゃんあんたの先祖w 天皇家は邪魔大王国と戦ってたんだから鋼鉄ジーグにでも乗ってたんだろう 邪馬台国 ヤマト朝廷
丘型墳墓 前方後円墳
銅鐸 馬具 王冠
縄文体型 弥生体型
入れ墨 儒教 論語
青銅器 鉄器 神話に出てくる剣の形も現存する古いもので2〜3世紀に大陸で作られてたタイプだし
大和朝廷の元になったのは卑弥呼の時代と同程度かそれ以降、3世紀〜あたりに現れた勢力だと思う
初期の天皇のやたら長寿なのを常識的な寿命に戻してもだいたいそれぐらいになるだろう
紀元前660年はさすがに盛り過ぎ みんな詳しいんだな
俺なんてモンストで出てきてほんの少しぐぐったくらいのうっすい知識しかないわw 邪馬台国があったのは愛知県岩倉市東町掛目188-1 >>33
あれだけ詳細に地名も明記してるんだから
軍事外交情報としてちゃんと記すだろ普通 邪馬台国はヤマト国だと思うけど
邪馬台国のあったのはたぶん福岡とか佐賀の
南の方あたりなんだろ?
九州にヤマトがあったってこと? この辺りの時代は適当な事言っても許されるから学者は楽しいと思う。 >>64
13才は幼女ではない!
これは絶対に譲れない。絶対にだ。 >>165
キングダムは紀元前2世紀から3世紀
時代で言うなら春秋戦国時代〜秦にかけて。
邪馬台国だなんだってのそれから450年後ぐらい。中国はちょうど三国時代 >>122
それは南北朝のゴタゴタも絡んでくるから
言ってはいけない話。 >>158
現在はイワナガヒメの子孫が住んでる訳か >>71
九州にしろ大和にしろ水上交通の要衝じゃないか。 お前ら 天皇 に嫉妬しすぎやろw
生まれた時点で違うもんな >>79
今は違うが、当時は民族的には近かったというのは
どっかで聞いたきがするよ ヒミコ=天照大御神=伊勢神宮内宮
トヨ=豊受大神=伊勢神宮外宮
内乱があって正統から外れたけど、祟りを恐れて旧勢力者を篤くまつってあるって事なのではないの? 古代中国がオタクの国の名前は?聞いて聞こえた発音を中国語に置き換えたのが邪馬台国
古代中国の発音ではヤマトに近いらしい 中臣鎌足、藤原氏は百済出身
蘇我蝦夷、入鹿などは全羅道出身 >>101
渡来人という考え方が微妙だよね。
統一新羅王朝以前の半島南部は倭人じゃないかという人もいるし、
そうなら九州も近畿も半島南部も同じ民族で文化圏だった可能性も
あるんじゃないだろうか。
ならば、半島から来たとしてもそれは倭人の王ということになるし。
イロイロかんがえるとおもしろいねぇ。 なんでみんな邪馬台国>>75の人に直接聞かないの? 古代中央アジアで勢力を広げていたアーリア系騎馬民族スキタイの神話には三種の神器とか万世一系とかやたら日本神話と類似した箇所が多い
吉田敦彦らの研究によればヤマト王権はスキタイあるいは古代騎馬民族の影響を少なからず受けているとされている >>113
その者の指差す先にはソープランドの看板が! 騎馬民族説は昔はやったねぇ。
今の沿海州のあたりは騎馬民族やったんやろかねぇ そういえばイスラエル10支族が日本に来て天皇になった説もあったな
卑弥呼とは関係ないけど じゃあ初代子供部屋オジの須佐之男がマジキチなのも実話? >>133
>卑弥呼ってなんて読むの?中国語でしょ
1). pemoho ピモフオ
2). pomehu
3). pömake
101). föbikkɘ
>上代日本語には中国音韻のハ (h) 行(喉音<暁>や喉音<匣>)の音韻がない
>上代日本語のハ行はパ (p) のような唇音であったので、中国中古音韻の
>喉音<暁>や喉音<匣>の声類に属する字はカ行音に表記されている。
>倭人伝の訳音語は上代日本語の音韻の種類と同じ性質を持っていることを示唆する。
>中国原音に基づかない、「卑弥呼」や「対馬国」などの表記がある
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/1657842/p014.pdf
>上代特殊假名遣の橋本進吉による再發見以降、これに就いて生じた主要な問
>題は以下の二つである。
中略
>2)
>上代特殊假名遣に於る甲類對乙類の辯別的特徵を
>a. 母音(的特徴)に求める見解
>b. 子音(的特徴)に求める見解
>
>(2)bの檢討は、本稿の紙幅を大幅に超えるので別稿にて行なふこととし
>
https://doors.doshisha.ac.jp/duar/repository/ir/16522/054000010001.pdf
>1C+1S+1V・・・・・・・・・・一般拍
>N,M,G(撥音),Q(促音),T(入声音),R(引き音節)・・・特殊拍 >>179
何かなぞらえてあるんだっけか
詳しくは忘れたけど井沢説は引き込まれるよな >>67
とりあえず反日県は日本の歴史のこと語る権利なんてねーから >>12
生粋の大阪府民の俺から見ても近畿はねーわ
九州中南部だろ 初期の神社つっても
宇佐クラスになるといつからあったのかすらわからん古さだぞ >>157
モンストで出てきてググったくらいの知識って…
ソシャゲやる前にちゃんと学校行け >>182
>古代中央アジアで勢力を広げていたアーリア系騎馬民族スキタイの神話には三種の神器
>とか万世一系とかやたら日本神話と類似した箇所が多い
愛新覚羅溥儀の「吾が半生」の中に、昭和天皇に招かれた時に、
「私の持っている三種の神器はもっと大きい。」と奇妙なことを言っている。
魏略で、倭は「太白の後」と言ったというが、
つまり、古代中国の最古のものである詩経・易経には、倭に付いてはなくて、匈奴については書いている。
貊族(夫餘・高句麗・沃沮・濊の 4 つの下位グループに分かれるは、百済が、扶余であるから、仮に、
天孫降臨では、此れを差すとすると、満州女真族(朝鮮族)の清朝のラストエンペラーの愛新覚羅溥儀が、
三種の神器を持っていてもおかしくはないのです。
日本でも、色んな論壇人が、日本書紀に出てくる百済の人質の扶余豊章が天智天皇だとか、新羅の人質
の金達が天武だとか言っており、それが、本当であれば、強ち、信じられる。 古事記・日本書紀は渡来人が都合のいように捏造創作したもの
あれで歴史を紐解くのは無理 チョンって建国してからずっとうだつ上がらないから昔の話好きだな、でも残念昔の半島に住んでた奴とチョンは何の関係もないんだわ そもそも邪馬台国も卑弥呼も中華の生み出したフィクションだろ
向こうの都合で作っただけの創作にいつまで振り回されてるんだよ 普通に考えれば倭国は我が国だし、卑弥呼は日の巫女もしくは姫巫女で、卑弥呼の後継いだ台与もトヨと読ませてんだし、邪馬台はヤマトだろ。 >>203
創作するメリットあんのかなぁ
邪馬台国って国があって卑弥呼って婆さんが治めてる。
って創作を中国がするメリットって?
討伐したとかならわかるけど。 ヒミコを日巫女とするか姫巫女とするかは別れてるけど
日巫女のが天照大御神と同一視できそう
そうなると王家の姫に受け継がれる巫女の才能って設定がゼルダみたいでカッコイイ
古代の神通力なんて天文学と医学薬学程度だろうけどさ >>11
今の学会では畿内説が有力とされている
でも何かの新発見で覆るかもしれないね 魏志倭人伝は現代から読み取れる史実、日本書紀も漢文で書かれたものだからそれ以前は神代文字や象形文字など統一されたものは無く石に刻まれたものなどしか現存しない訳で年代を追える書物がそれしか無いからそれを基軸としてるだけ
漢字を使うのはこの頃からってだけでそれ以前の文字の存在を消しているのは何かしらの策略なのか? 当時の日本は畿内にあった政権(ヤマト王権の前身?)を中心とした緩やかな連合国家で、邪馬台国はその出先機関だったと勝手に想像している >>210
日本の古代文字は学術的には否定されてるだろ 倭人伝の投馬国や伊都国それに奴国や狗奴国あたりは距離や方角から見ても疑いようがない北部九州
邪馬台国がどこであっても北部九州は古代から現代までずっと文明の地
有史以来一度も栄えていない農村や山国の連中に貶される謂れはない
東国人は黙ってろよ 漢字は仏教とともに来たんじゃ無いかと思ってる仏教を受け入れるか受け入れないかで争ったわけだしね、結果権力闘争が起こるわけだが >>216
いや大和王朝が大陸からの征服政権なんじね? >>5
やめてくれ、この手の伝説と史実の摩り替えが結果的に日本の歴史と皇室の価値を下げるんだ。 邪馬台国は無かった説の方が合理的なんだけど頑なにあるっていう人は頭おかしいの? >>210
古代文字が古墳時代以前に使われていた形跡はない
石に刻まれたのも比較的後世なんだろう 遺跡の規模から言って九州の勢力<近畿の勢力
九州に邪馬台国があったとしても、それ以上にデカイ国が近畿にあったはず >>210
文字って概念が生まれるには一定の条件が必要なんだよ。
「必要無い」と思えばソレを作ったり使ったりする事も無いワケであって。
中国自体、春秋時代初期まで「文字による害悪」という考え方もあったと史記に書かれているぐらい。
蜀の異民族から外交官がやってきた時、中国側の官僚が
「オマエ達は文字も持たない非文明国だ」と侮辱した。
すると蜀の使者はこう答えた。
「事を伝えるのに文字が無ければ会って話せば良いだけの話。
会えばわだかまりも生まれず打ち解けて判り合える。
なのに中国人は文字を使い、手紙で物事を済ませ、ゆえに兄弟・親類同士疎遠になって戦争をする。
それが文明的と言えるのか」
日本が漢字を導入したのは、海を隔てた中国や朝鮮との外交するのに漢字が必要だからであって、
それ以前には漢字どころか文字そのものが必要無かった可能性もあるだろう? 朝鮮の方の前方後円墳は、日本より新しいからな。
日本の大和朝廷が、影響を与えた可能性がある。
そこら辺りは、韓国が必死に否定するけど、
古典でも倭の勢力範囲が朝鮮半島の南部にあるみたいに書いてる 239年 卑弥呼 魏に生口10人を献上
ショボすぎるだろ蛮族の奴隷もらっても嬉しくないだろ 日本と中華の話をしてるのにいちいち朝鮮を絡めてくるやつって病気なんだろうな >>207
そういう国があってそういう人物がいたほうが都合が良かったというだけだろ
大月氏を上回る大国で女性の呪術使いが仕切ってる特殊な国とも友好関係になるという功績を
司馬懿をあげましたと アイヌもとうとう文字を持たなかったらしいな
まあ結局文字なき民族は蛮族なわけだが 稲作も中国から海経由で直接九州に伝わったほしいのう
華北が麦作地帯。半島は寒冷だからそもそも稲作に適していない
稲作してるのは華南で、この辺は海洋交易も盛んだから九州位なら船で来れるからのう
まあ当時の日本の技術だと陸伝いに行かないと無理なんで、こっちから出向くときは半島経由になっちゃうが >>227
まあまあ、アポロだってわざわざ月まで行ってちょっと石拾ってきただけやし。
当時「本当に海の向こうに国が存在すんの?」程度の感覚だった『扶桑国』『蓬莱山のある場所』とまで言われた伝説の地から使者が来ただけで
「さすが魏スゲー!呉や蜀なんて目じゃねーぜ」
ってマウントとれたんだと思うよ。 どこの国の王族も神権統治で大義名分得てる
日本は国産みで最初にできたのが淡路島だし、イザナギ、イザナミは淡路島土着の(ローカルの)神だったらしいし
そのへんが天皇のルーツだろ >>227
重要なのは距離やで
遠いところであればあるほど良い。それだけ中華皇帝の威光が広く伝わったという証になる
なので大したことない贈り物で大喜びされる。まあ大抵のものは中華でもあるし、品質も上ってなるから、他所の国のものの質にこだわってない
地続きで近い国は、逆にどんな豪勢な贈り物してもたいして喜んでもらえない。それをして当然という扱いだから >>236
江戸幕府が大名行列やオランダ人や琉球人や朝鮮人を庶民の見世物にして
俺sugeeeeeeってやってたのと一緒かな 考古学的には卑弥呼の時代の前に
同じ様式の同製品使う文化圏が
静岡〜北九州で存在していたんだよな
緩やかな部族連合か同民族割拠が2-3世紀頃のこの地域であった筈 天照大神が卑弥呼、スサノヲが須佐地方のリーダーとかで
卑弥呼死亡で混乱した時にスサノヲが王になろうとしたけど部族連合の他の長たちが拒絶し連合から追放、
それでスサノヲは一族連れて出雲に移住し、そこにいた大蛇信仰してる越の国の連中と戦って出雲勝ちとり王国作る
みたいな妄想すると楽しいな >>89
紙が中国で発明されて100年も経ってない頃なんよ。
まだ出来立てホヤホヤの最新技術で外国に伝えるなんてトンでもないレベルだったんだろう。
紙以前から中国で使われていた木簡は日本にも伝わっていたと思う。
しかし、当時の日本には大切な物は呪術的に『埋める』という文化だったらしく、
銅鏡や銅剣はみな埋められた状態で発見される。
もし一緒に木簡も埋められていたとしても腐りやすい日本の土壌では現存はほぼ不可能だろうね。 >>230
あいつら中世に元寇から逃げてきた大陸の部族じゃん
北海道に先住していた倭人をどんどん駆逐した。 >>231
じゃあ何で死んだの?神が死ぬんか?
あるいは死んでないなら今どこにいるの?戦争とかあったのに核爆弾堕ちたのに何もしなかっただろその役立たずのゴミ神は まぁでも小学生に夏休みの自由研究として
宮内庁に質問してみて欲しい 当時の天皇と卑弥呼の住んでた場所って
今で言う日本ブラジル以上の距離感だろ >>12 同意。
A:邪馬台国=倭国
B:卑弥呼の時代:九州が中心で畿内に侵攻中
C:卑弥呼の居所:九州のどこか 私的には卑弥呼は皇室の分家説はなんかしっくりくるんだけどw >>236
魏志倭人伝で邪馬台国の場所が南と書かれている通り
敵国呉の向こう側にある国だと思っていたので喜ばれたとか >>225
老荘思想で、文字は人間社会に不必要なものなんだよな
今でいうとスマホが要らないって言っているようなものだが 元々和の首都は別にあったが連合政権になった時に近畿を首都に定めたのかもね。
本格的な混乱の痕跡がないから、本当に連合というか寄合世帯として始まったんだろう。だからいつまで経っても論争に終止符が打てない。 福岡行った時に金印展示してる博物館と志賀島回ろうと思ってるんだけど、レンタカーですぐ行ける?
あと立花宗茂の親父が島津にぶっ殺された城にも行きたい >>207
邪馬台国のあったとされる時代の中国は三国志の時代。つまり中国が三国に別れて戦っていた。
魏志倭人伝は実は三国志魏書東夷伝倭人条の事を指す、つまり三国志の中の一部。
三国志は三国時代終了後、三国統一をした晋によって書かれた。晋とは元々魏の国(邪馬台国と交流があった国)の事。
邪馬台国は記述上は沖縄の東の海上にあり、さらにの南には邪馬台国と敵対する狗奴国が存在すると書かれてある。
魏の南東にあって海に面する呉からすると、
自分達の東の海上に魏と同盟を結んだ邪馬台国という国があり、さらにその南にはその邪馬台国と対立する狗奴国という国もあるという事になる。
邪馬台国の存在は呉にとって脅威であり、それと対立する狗奴国とは是か非でも交流を結びたいと思うのが普通だろう。
こうして呉は実在しない東の海上国に日々怯え、同じ存在しない更に南の国を探し求める事になる。
(実際に大軍で台湾まで行き、そこで疫病にかかって大勢の人員を失っている)
魏にとって同盟国・邪馬台国の存在を喧伝するのは大変有効な事だった。
邪馬台国の場所の記述がいい加減なのはコレが原因であると断言して良いレベル。 >>253
高橋紹運の墓のある岩屋城は俺も行ったぜ。
道路整備されてんのに結構険しい山だった。
徒歩かレンタカー借りるか、あるいは自転車しか交通手段は無い。俺は徒歩。
ぶっちゃけ、墓に着いた時には高橋紹運に対する追悼の思いより島津軍への同情心が勝るレベルのキツさ。
金印は見に行ってないけど、たぶん凄く離れてると思うよよ。 >>251
なんか判るんだよね。LINEは便利で楽しいけど、LINEタイプのSNSでないと起こらないトラブルも多い。
「じゃあメールでいいじゃん」「そもそも電話で全て足りんじゃね?」
ってなるわな。 >>254
色々な人物の口伝みたいなものを集めてるからヤマトの国の位置がバラバラで不正確。
辺境の蛮族の地の話だし、中国の歴史に影響及ぼしてないからそんなもんでしょ。
呉の国に対する工作とかは全く考えてないと思う。 魏が呉を牽制するために、邪馬台国の位置を実際よりも南(呉の東側)にズラした説の矛盾点は
「倭人はモロ“土人”」ということ。
刺青を彫って葉っぱを頭に巻いてるような。
本当に呉をビビらせたかったのなら、もっと強そうに描くと思う。 まあ天皇のご先祖様は必ずいるけど、それはひょっとしたらここにいる誰かと同じ祖先かもしれないんだぜ 親魏倭王=卑弥呼、壹与=北九州
親呉倭王=おおきみ=奈良
邪馬台=大和=倭=日本列島&現韓国領のほぼ全域 >>228
いや、それはしゃーない。
当時の朝鮮半島には魏の代官が常駐していて、そこを通して邪馬台国と交流していた。
代官の名前誰だっけな?藤原カムイの漫画『雷火』に出てくる悪役ボスの張政ってのは下っ端で、
その上司が代官で、呉征服戦で結構活躍してるんだよ。 背乗り朝鮮人なのに崇め奉ってる香具師なんなん?
在日朝鮮人か? 背乗り朝鮮人なのに崇め奉ってる香具師なんなん?
在日朝鮮人か? >>241
いや東北の蝦夷と同系民族といわれてるやん >>260
呉は慢性的な人不足だったんよ。
台湾に大軍派遣したのも住民を誘拐する為だった。
結果的に拐ってきた人数より現地で疫病で死んだ兵の数の方が多くて大失敗だったんだけど、
この誘拐作戦と邪馬台国・狗奴国の記述は無関係では無いと思う。いや知らんけど。
呉はベトナム方面にも人員確保の為に進出している。それほど人不足だったってワケ。
天下三分の計の弱点は、三国鼎立して安定期に入っちゃうと、戦乱避けて田舎に疎開してた人々が都会(つまり魏)に帰っちゃうんだよね。
鼎立すればするほど魏が有利になっちゃうの。 纏向遺跡が邪馬台国かどうかは分からんが
大和朝廷と関わりがあるのは間違いないだろう >>254
>>259
これだからな
実際存在したかどうかもわからん
正史の三國志もだし日本の書物だってどこまで事実かわからん
今でも修正されてるように年代や人物名なんてどこまで正確か誰もわからん
自分で書いたものならともかく伝え聞いたものを集めたものなんて
今の情報化社会ですら書き間違え、伝え間違えするのに
識字率も低く方言も強く訳すら正確ではない時代に正確に伝わってると考えるほうがおかしい
1ヶ所が間違ってれば他の箇所も疑う余地がある
普通に考えたらこれなんだけどな
天皇だってどこまで信用出来るか
貞操観念が今ほどじゃなかったし、昔は若くして亡くなることが多かったから甥っ子を亡くなった息子として育てたとかありえるし、全員が全員ちゃんと子供を産めて、1人は必ず男の子を育てあげたとか普通に考えておかしい
近親交配とかしてたのに
今より医療レベルかなり低い時代に とりあえず落ち着いて
ヒミコマムコハメコを10 回唱えてみろ真実がみえるぞ 国内の諸豪族が連合を結成
↓
連合内で権力闘争が激しくなったため
巫女をトップに据える
↓
崇神天皇の頃に連合内の随一の勢力になって大和朝廷成立
このあたりの経緯が国譲りに反映されているのでは?
つまり最初に連合政権を主導したのは出雲系
初期天皇に記録が残っていないのは本当は即位していなかったから 九州出身の神武天皇が大和に乱入して大和の豪族となる
↓
婚姻関係を通して徐々に有力豪族に成長
↓
出雲を中心に連合政権が結成される
↓
連合政権内で争いが起きて巫女が擁立される
↓
連合政権内で主導権を握り大和朝廷に発展
↓
各地を武力で征伐する(四道将軍、ヤマトタケル)
だいたいこんなストーリーでは この100年200年の間ですら本来とは別の意味で伝わった言葉なんていっぱいある
間違ったまま外来語として定着したものもたくさんある
みんな正確に伝えたつもりでも最初の1人が伝え間違えただけで間違った情報が広まる
各地の書物に残されてるからこれは事実、なんてなんの証拠にもならない 白村江の戦いで国力の落ちた倭国(九州・南朝王朝)は大和(近畿王朝)に背乗りされてしまった。 倭の歴史書や言い伝えから都合のいい部分だけをかい摘まんで大和はそれを自国の歴史に組み込み、それまでにあった歴史を全て葬りさった。 卑弥呼=ヤマトトトイモモソ姫だろ
崇神天皇の姉だかおばだかだろ >>36
卑弥呼は2世紀から3世紀の人物
神武天皇が紀元前なのだから神話としても矛盾する 日本の歴史、いや日本列島の歴史は白村江の戦い以前、以後に分けられる。
文化はおろか言語や人種に及ぶほどの大変化があったのは間違いなく白村江の戦いに敗れた直後、先の第二次大戦の敗北レベルじゃないほどの影響があったのは間違いない。 >>284
葬り去られた歴史なのによく分かるなw
それはさておき
初めが九州だろうが近畿だろうが結局越前のヲホドが乗っ取るんだから >>10
邪馬台国(魏志倭人伝の記載)=大和国
大和朝廷はその権力、王権
そう考えるのが自然だよな 天照の話が出てるけど唐王朝の実権を握っていた皇后、武則天こそがアマテラスという話も信憑性が高いんだよな。天皇と名乗ったのも武則天が世界で初めてらしいし
で武則天が白村江の戦いに勝利したあと倭に進駐させた劉仁軌がスサノオという話。よって高天原は唐の事になる。 >>289
継体天皇は乗っ取るって言い方はあんまりじゃない?w
雄略天皇が身内を殺しまくって皇族が激減、武烈天皇は子を為さずに死んだから
遠い血縁でしかも女系だけど国際的で朝鮮半島の後の王と交流のあった継体ぐらいしか適任が居なかったんでしょ
しかも、他にいた第一候補は迎えの兵にびびって殺されると勘違いして行方知れずになったと。
まあそれも当然事実かどうかは永遠にわからないけどね >>81
邪馬台国の文化と共通するものがない
よく時代でもめてるけどそれ以前の問題で邪馬台国ではない >>36
卑弥呼は引きこもりだぞ
そんな奴が太陽祀ってたわけないだろ 普通に考えれば、卑弥呼の時代は「国」が沢山有った訳だから、天皇家も沢山有った国の中の一国の長をしていたと推測するのが自然。 卑弥呼は宇那比姫という人のことだって偉い人が言ってた 前から思ってたけど九州南部と青森あたりのイントネーションが似通ってるのが興味深い。 渡来系に抗った在来人の痕跡が列島の両端にまだ残っている。 卑弥呼は日御子で太陽神
台与はトヨウケヒメ(伊勢神宮外宮の神で食物神)
単に魏人が日本神話を聞きかじって実在の女王と勘違いして記録しただけ
実際の政治・祭祀をやってたのは男の大王 >>297
太陽の象徴である天照も岩戸に引きこもったんだが >>305
でも外でどんちゃん騒ぎしてたら
出てきてしまうヘタレだから^^ 天皇というのは元々三皇五帝というシナ大陸の
天皇、地皇、人皇から獲ってきたもので
漢字の音読みのものは全て日本古来のものでは無い
ヤマト言葉のスメラミコトに天皇を当てただけのことだ
また、全ての天皇は漢風諡号など元々無く
33代は一括で漢風諡号を付けられた 中国だと太陽はカラスで何個(匹?)もいて暑すぎたので弓矢で射落としたとかの神話あったな
日本ともエジプトともセンスが違うね 近畿の豪族が九州王朝を占領した後に出雲王朝を軍門に下し大和が誕生した。
文化や歴史はそれぞれの良いとこ取りをして記紀を書き自国の正統性を内外に主張。もちろんそれまでにあった史書などは焼き捨てて闇から闇に葬りさられた。
つまり倭の国力が落ちる好機を虎視眈々と見守りながら戦争の準備をしていた。 >>31
中国人は異民族に意図的にそういう当て字にする。蒙古、鮮卑、南蛮、キョウド(スマホだと漢字が出てこねー)、etc
なぜか欧米に対しては美国(アメリカ)、法国(フランス)、徳国(ドイツ)、と良識的?な当て字だけど。 卑弥呼ってやつそういえば倒したことあるわ
あんま強くなかった 日本の神社建築は
中で巫女が神降ろしをするための施設なんだろうなたぶん >>44
大元は中国に朝貢し服属した「邪馬台国」が現皇室に連なる事を認めたくなかった本居宣長の仕業なんだけどねぇ… >>12
具体的には京大閥な
そもそもの発端が九州説を唱える東大に対抗するために言い始めたから
東大への対抗意識と自分のところに近いからという理由でごり押ししてきたのが未だに続いている
学会なんて所詮そんなもの 日本は一度も侵略されてないってのは大嘘 歴史改ざん隠蔽作戦
偽ユダヤ系の漢(中国)の武帝の軍団が日本を侵略、大和を占領し、天皇を「神」にまつりあげて
人びとから切り離し、古来からの神代文字を廃し漢字を導入ー強制しました。大和地方に居坐った
占領軍によって男は多く殺され、女は強姦され、民族の純潔が失われたのです。日本侵略の大量
虐殺とレイプという血にまみれた暗黒の歴史を神話(記紀)で誤魔化した 元々は縄文人は沖縄から来た
1万年前から文明が沖縄にはあった
琉球語と日本語の近さからも分かる
また、琉球語は日本語以上に方言が
広いから日本語よりも古い言語なのは自明 >>12
最新の学説は九州のなかでも宮崎でしたって説が最有力というかほとんどFAだと目されてるよ。 欠史八代とか言っちゃうしな
逆にもうちょっと代を増やしてほんとに居ました感出しとけばよかったのに 連合政権の諸侯の一角だったんだろうなぁ。
神武天皇即位とはあっても、奈良盆地を統一したとは書いてないし。
十代崇神でやっと、はつくにしらすすめらみこと、になった。通婚してただろうから、卑弥呼壱与あたりも親戚筋だろう。 隋書だかに「日本はもと小国、倭の地を合わせたり」とあるらしい。
要するにヤマト連合が増大して邪馬壹国を併呑したんだろうな。 >>325
シンプルに神武東征の逆を辿れば邪馬台国だったってか >>291
文字があればもっと硬いものにきざまれて残ってるよ
全く痕跡がないのは独自文字がなかった証明 >>278
まあ、万世一系なんて不可能だよね普通に考えると。
継体天皇がそれまでの天皇とは薄い血縁の女系と記録があるけど、
それ以前にもそれ以降にも皇族が襲われ殺される可能性の無い
絶対安全安定した世の中なんて戦後から現代くらいまでだろうし、
全く血縁の無い人間が背乗りで天皇になってる可能性いくらでもあるよね。
幕末の孝明天皇は生前の肖像画と没後数十年後に描かれた肖像画が全然似てなくて、
後に描かれた絵は明治天皇そっくりの濃い顔に描かれてる。
生前のは薄い顔で眉毛も細い。
なので背乗り疑惑ある。 なんか一先ず落ち着いたら、宮内庁は明らかにしてほしいわ むしろこの時代の北海道東北とかがどういう暮らししてたのか気になる 邪馬台国なんか本当に存在したのか?聖徳太子なんて結局いなかったじゃん
邪馬台国⇨大和朝廷
卑弥呼⇨巫女
の間違いだろ せやな
沖縄か台湾説やろな・・・倭人伝に記載されてる特徴があまりにも南国系だもんなあ
だいたい東から来た蛮族だしな(´・ω・`) 天皇って言葉は聖徳太子が作ったんじゃないの?隋との交渉で日本のハクを付けるために それにしてももし卑弥呼が実在しなかったらがっかりだな。
元祖やり手ババアとして尊敬してたのに。
実在しないなら誰が元祖やり手ババアに繰り上がる? >>338
遺伝子的に台湾はスルーして来てるんじゃなかったか? 群雄割拠の小国状態
↓
朝鮮半島南部+北九州+島根の一部=邪馬台国(倭国) と 畿内+南九州+中国四国=大和朝廷
の2大国家時代
↓
白村江の戦いで邪馬台国(倭国)は滅亡この地は暫く唐軍が駐留
↓
唐軍が撤退後大和朝廷は北九州も支配下にいれる 朝鮮半島南部は放棄
統一政権 大和朝廷の成立
決定的なのは古事記日本書紀ともに北九州を支配下に置いた記載が一切ない
同一民族だけど別の国家が存在していてそれが邪馬台国(倭国) 卑弥呼というのは中国大陸で付けられた当て字だ
表音文字である平仮名か片仮名で表すのが望ましい 倭の五王は邪馬台国(倭国)の王であって天皇家を当てはめることは全くの筋違い
あの時代日本列島で文化的に進んでいたのは倭国であり大和政権(日本)は遅れていた
事実、石の遺跡は倭国の範囲に限定されていて大和政権(日本)側に広がったのは推古天皇時代 平安京が唐の都の模倣都市なのは有名だけど
北九州と畿内には同一地名が数多く存在している
これは文化的に進んでいた倭国の模倣都市を畿内に作ったから >>1
卑弥呼の王国が滅亡してから大和朝廷が出てくるまで空白の150年があるんだよね
ワンピース厨が作中に出てくる空白の100年とこの日本史の空白の150年がぴったり合致すると騒いでるよ
ワンピース作中では「巨大な王国」の存在はポーネグリフという破壊不可能な石に刻み込まれている文字しか存在が確認できない
一方、日本史では邪馬台国の存在は中国の文献でしか存在が確認できない
双方とも後に出てくる「世界政府(ワンピース作中)」と「大和朝廷(現日本の皇室)」によってその存在が消されたかのような空白の歴史がある
おそらくワンピースの作者は確実にこの邪馬台国→大和朝廷の空白の150年を意識して作中に空白の100年を混ぜ込んできたんだよ 白ひげ
「決して、エースだけが特別じゃねぇー
みんな、家族だせぇ」 『旧唐書』に曰く
倭国は古の倭奴国なり <旧唐書、倭国伝>
日本国は倭国の別種なり <旧唐書、日本伝>
邪馬台国(倭国)と大和朝廷(日本=天皇家)は別の国とはっきり記載されている 邪馬台国は九州以外ねぇよ、九州じゃなかったら、途中に相当な規模の国があるということだわ。
そうじゃないと交流するわけないだろ。
九州を支配してることは絶対条件じゃねぇか。 >>354
邪馬台国は九州の豪族で大和は近畿だと思う 天武天皇は古事記日本書紀を編纂するときに各豪族に伝わる歴史や書物を厳罰を持って提出させる勅令を出している
そして消去処分をしている←この勅令は今もソースとしてちゃんと残ってる
この時倭国を乗っ取った日本にとって都合の悪い歴史を抹殺したと見える←これは俺の推測 朝鮮半島から来たヤマト朝廷
つまり天皇家が邪馬台国を滅ぼし背乗りした いん〜にぁ!
沖縄の沖に、なんだか知らんが
ムー大陸あると。
中学校の時から信じてるね! 卑弥呼ってのはただの当て字だし、日本では日巫女という表記にすればいいんじゃね? アマテラスは唐の武則天、天皇を自称していたのも武則天、それを倣ったのが日本の初代天皇であり、後に大和を名乗ることになる畿内の豪族王
白村江の戦いで弱体化した倭に進軍し九州北部を平定、背乗りに成功した畿内王朝がそれまでの歴史を書き換え今の日本が誕生した。 >>286
おまえさん、歴代天皇の年齢確認してみ? 与那国あたりに邪馬台国沈んでると
月間ムーで。熟読したおもひで >>365
焚書してんのか、じゃもう日本の歴史だめだな、終わりだ >>10
音から考えて無関係という方が無理がある
というか同一だろ >>373
天智が入鹿襲った時にどさくさに紛れて蘇我邸書庫の天皇記と国記燃やしたやろ >>123
邪馬台国=熊襲説っていうのもある
というか、もともとの九州説がこれ↑ 土人様が大和民族であるなワケない。
どーすんのネトウヨ?
はい。困ったー 天皇家の家系としては始祖がアマテラスだから卑弥呼のことだろう
しかし今の天皇家はヤマト王権を簒奪した越の豪族の継体の子孫だから当時の事は不明だな >>213
縄文時代の遺跡の骨の遺伝子解析では台湾由来の南方系九州人と、樺太からのアイヌ系が日本の北側半分を占めていた
弥生時代に朝鮮から稲作とともに九州北部から広まり遺伝子がミックスされ、近畿に広まったと日経新聞で読んだな
諏訪湖周辺の文化は原始の森の縄文系が多く残ってるけど両方が戦った場所らしい
卑弥呼はおそらく南方系だが丁度ミックスした頃だろうと思う 密入国してきた済州島の白丁の娘の子供の海の王子に姪が悪戯されて証拠の絵を描かれ強請られていた。 >>387
今は現在で言う中国から直接入ってきた説が有力 卑弥呼は桃太郎さん(吉備津彦)の姉説ってのがファンタジーかと思ったけど
支持してる研究者もいるみたいよ 宮内庁が法的根拠もなく
古墳や宝物殿の発掘や調査を断っている理由がヤマト朝廷の秘密 卑弥呼はつまり、天皇以前の神って事なの?
ていうか人だよね それらくろうかいちゅうにーわじんありー
って歌ったお
中学んとき 親魏倭王=卑弥呼、壹与=北九州
親呉倭王=おおきみ=奈良
邪馬台=大和=倭=日本列島&現韓国領のほぼ全域 大和と書いてヤマトと読むの無理があるよね。倭→和。倭国とは当時の外国が勝手にそう呼んでいた、つまりジャパンと同じ。なので、外人が日本に渡ってきて統治し始めたと仮説すると、和に”大“の冠を付けて大和。それがヤマトの地名が後から乗っかったって考えはどぉ? 弥生末期の倭国を言うてるんやない。大和政権は、空白の期間に外人(恐らく朝鮮半島)が落ち逃れて日本列島に来て、国を興した。名前は自分等の読んでた名である倭に大の冠をつけた。呼び名は邪馬台国が乗っかってヤマトとなった… てこと >>401
平安時代になってやっと奥羽の阿弖流為と戦うのに、この時代で全域のわけないじゃん。 前NHKで琵琶湖は移動しているって見たけど
それと同様に邪馬台国の場所も移動しているんじゃね?
元は九州の位置で今は近畿だとか
プレートテクトニクス理論によると
太陽じゃなく地面が動いているらしいし >>405
弥生の稲作自体奥州まで広がったよ
一時期だけど
その後、続縄文時代に突入だろ >>273
アイヌ語と日本語は文法も単語も全く違う。
専門家が調べたところ、言語が分岐したのは一番近い時期としても8000年前以上。
人間が話す言語としてはとほもない開きがあると言うことが明らかになっている。
北海道はずっと続縄文文化が続いていて、その後の擦文文化の倭人が住んでいた。
12世紀には1135年には船玉神社という神社もあり、単なる倭人ではなく、
大和朝廷の人間も渡っていた。
アイヌは中世に突然現れて、倭人にはない言語を話し、倭人にはない行動様式を持って、
瞬く間に北海道全域に広がっていった(擦文人を駆逐していった)。
北の元寇によってツングース系民族(ニヴフ人など)と争っていた民族が
オホーツクや千島を渡って渡ってきたと言う説が有力になっている。 >>408
稲作開始はは縄文後期から晩期だろ。
別に大和朝廷に属していたかどうかは関係ない。 >>410
>大和朝廷に属していたかどうかは関係ない。
だから
邪馬台=大和=倭=日本列島&現韓国領のほぼ全域 >>412
卑弥呼がどこにいたか分かっていない状況でソースとか
言っちゃう? 古代チャイナにおける国は村って意味だよな。村長さんが少ない土産をもって、大量の土産と交換に行ったことに何の意味があるの? >>416
なんで韓国領関係あるの?
東夷=倭ってこと?
その>>401の論がどこから出てるのかを知りたい、そのソースはどこなのかって最初から、
>>405から聞いてるの。 >>325
日向のあたりとか西都原のあたりとかありそう。 >>404
稲の品種等から大陸から渡ってきた可能性の方が高いけどね
昔から言われてた呉の末ってのはあながち的外れじゃないと思う
半島と日本に分かれて渡ったというのもあり得る >>399
古代の歴史なら当たり前やけどね
中国も殷周の祖先は神様だったり周辺部族も神様の子孫名乗ってる
昔は神様普通に信じてたからね 日本では陸稲が少なくとも3500年前(縄文後期〜晩期)から行われてて、
その後大陸から渡ってきた水稲になるのが弥生期。
ところが、日本において普及した水稲の品種は、中国8種遺伝子のうちの1種の遺伝子であり
朝鮮半島で栽培されている7種遺伝子と異なる品種であることから、
朝鮮半島経由伝来説は否定されつつある。
長江下流の河姆渡遺跡付近から、中国の人間、または倭人が直接持ち込んだと
言う説が有力になっている。 >>418
交通網が発達した今だって中国は気軽に行けない、それをあの当時で中国に行って
相手にとっては雑魚の一人として恵んでやった程度だとしても、土産物持ち帰ってきたら
周囲に威張れるでしょ
多少話を盛ってもまずバレないから、もしかしたら周辺地域の管理を頼まれたとか言って
地域支配の口実になったかもしれないし >>425
3500年前にどうやって渡ったのかね
やはり琉球列島経由か 邪馬台=やまと と考えるのが自然だと思うけど
やまと=倭=日本という意味で
それが後に大和=畿内の大和政権という意味に転じたんじゃなかったっけ?
この辺がよく分からなくて混乱するんだが >>419
稲作が一時的にでも広がった最大範囲が倭と倭種の地と見なした
むろん狗邪韓国を中心とした朝鮮半島の属国群も倭 >>427
陸稲に関しては3500年前の南溝手遺跡から土器についた籾殻が、
2600年前の菜畑遺跡から水田の遺跡が見つかっている。
殷の時代には日本の子安貝などを貨幣として大陸に運んでいたと言うので、
その前後に外洋航海でもたらされたのかもしれない。 >>429
基本的に、教科書検定を通った教科書ではアイヌの起源を完全に濁している。
歴史に突然現れた人たちとして扱っている。
国としては「教えない」方針なので、全部と言われると、学校教育以外で習ったことを
前提に疑問を持たれているのだと思うが、元の資料がなんなのかを教えてもらえないと、
なにが疑問なのかがわからないのだが・・・ 皇室制度がいつか終わったら、古代の歴史が
庶民にも結構明らかになるんでない ヤマトは地形から来た言葉だよ九州の北部北九州辺り?もヤマトと呼ばれていたんじゃなかったっけ? >>433
ウィキにはオホーツク人を駆逐したとあるが、そのオホーツク人も現在の日本人とはかけ離れた民族だったみたいなので蛮族が蛮族を駆逐したってのが正解なんじゃね?
北海道はヤマトの領域じゃなかった 日本の古代史を語る上で難しいのは
世界で唯一古代から続く王朝が未だに君主であるという事なんだよね
有り体に言えば今も君主である天皇家の墓を無闇に暴く事が出来ない >>11
ここで「だろう論」してるやつはともかく、断定してるやつはバカだと思っておいて間違いない。 >>440
最近は
アベガーに加えて
タケダガーも増えてるのかな? >>243
神の子孫が人と同じしか生きられない理由は神話で説明済み >>445
大陸由来だとは思うけど敗走逃亡の負け犬が征服できるとは思えん
火の鳥に出てきたようにイケイケが兵を率いてやってきたと思うぞ >>437
大和の支配が確認されるのは1135年建立船玉神社建立あたりからだと思われるが、
いわゆる「倭人」は住んでおり、縄文の後の続縄文時代、擦文時代と続いていた。
この辺りは言語的にも他の倭人と近く、また東北の蝦夷とも交流があったが、
この文化様式も、言語体系も全く違うアイヌが増えることにより、次第に駆逐されていった。
大和政権から見たら、蝦夷地に同世代には住んでたらしい(=先住民の可能性もある)が、
蝦夷地の倭人にとっては、外から入ってきた異文化を持つ民族であるということです。
よくアイヌと対比して琉球文化が取りざたされるが、琉球は文法が同じ、単語も近く、
多少の癖を理解する努力をすれば、会話を聞いて理解することができるが、アイヌは
不可能。
資料としては吉田知行という方が「比較言語における数学的方法」という論文で
語っている通り、日本語との分岐点はどんなに近くても8000年、
その間、蝦夷地では倭人とアイヌ人がお互い接触せず、融合も駆逐もせず
大人しく別れて暮らしていたのを、13世紀に突然アイヌの天下になった、
ということにしないとしけません。
まあ、定説はいろんな証拠の積み重ねなので、今はどちらが絶対的に正しいとか言えないけど、
少なくとも、日本国の教科書資料、北海道の自治体の資料では、その辺はぼかして、いきなり
全く違う人間の文化が始まって、言語も変わったよという感じで濁している。
そのうちちゃんと結論が出るのかね。 殯は春秋時代の古代中国では極一般的に行われてるじゃん
東洋の風習のほぼ全てどころか完全に全ては中国由来だよ うっかり長文書きましたが、
アイヌの件はスレ違いなので、ネットで色々検証しているところを確認していただくことで、
反省の意とともに終わりとします。
金子快之のひとりごと
https://ykaneko.net/article/ainu-isnot-indigenious-people.html
Wikipedia「アイヌ語」
https://i.imgur.com/YIaBOdb.jpg >>11
最初九州にあって
天変地異にうんざりした
邪馬台国が近畿に移転したと思う >>450
朝鮮半島の国、現在の韓国が認めない箕子朝鮮・衛氏朝鮮あたりの文化から以降ずっと、
中国文化の模倣ですよね。 卑弥呼は刺青だらけのババア
イヨちゃんも刺青だらけ
刺青を否定する奴は反日 たしかに平安京も洛陽のパクりだもんな
邪馬台国に碁盤の目のような都市はありましたか >>365 大虐殺とレイプで日本支配した連中が日本歴史を改ざん、創作だシナ
歴史関係の学者や作家の殆どの祖先が日本人でない >>457
日本が何時から日本って名乗る様になったのかを調べろw シンメトリーなんて誰でも思い付くもんじゃろ
ンな事まで言い出したらシナはインド由来だしインドもどこぞの由来じゃろ 高天原でのんびり暮らしていた
今年は皇紀2679年 >>447
フンに敗走したゲルマンがローマを蹂躙したからなあ
追われる民族が弱いとは一概に言えないかも >>463
それフンが強すぎただけでゲルマン弱くねーやん >>465
イベリア半島取られたりバイキングにやられたり
ゲルマンは基本的に近代近くまでヨーロッパに押し込められてる感じやで >>465
だからじゃない?
追われた勢力っていっても相対的に弱かったってだけで
より弱い勢力を駆逐・征服する事は可能 >>392
そんな説は全く主流じゃない
今も学会では朝鮮半島経由説が有力
アホが内容も知らず支持してる稲のDNAの研究で有名な佐藤洋一郎も水稲は朝鮮半島経由だと言ってるからな >>446
卑弥呼は鬼道の呪術師だよ。要するに単なる人間。 佐藤洋一は卑弥呼は縄文人だったと言ってるね。
ほんとはどうなのかね。 >中国、朝鮮半島、日本列島の水稲在来品種250種のSSR*多型の分析から、8遺伝子(a〜h)が見つかります。
>中国には8遺伝子全てが存在し、朝鮮にはbを除く7遺伝子が存在するのに、日本にはaとbの2遺伝子しか見つかりません。
>a遺伝子は中国には高頻度で分布していませんが、朝鮮半島と日本には高い頻度で分布しており、朝鮮半島を経てきたと推測できます。
>一方、b遺伝子は朝鮮半島の在来品種には見当たらず、中国大陸から直接日本に達するルートを経てきたと思われます。
>つまり、水稲と水田稲作技術は、朝鮮経由と中国から直接の2ルートで渡来したのです(佐藤洋一郎「稲の日本史」、角川ソフィア文庫、2018)
だそう 半島は寒すぎて稲作できなかったんじゃなかったっけか >>474
朝鮮北部ではダメだけど
朝鮮半島南西部経由ならいけるそう 韓国の歴史教育では「長江文明」は教えない。
いろいろと都合が悪いことがあるから・・・
文明の伝播は「黄河→山東半島→朝鮮半島→日本」と教えて、
この1970年代に新たに発見された長江文明などなかったように教育するわけです。 井沢元彦が昔「魏志倭人伝の地名や人名は当て字だから、当てられた字が当時どんなふうに
読まれていたかが分かれば、実際の名前の読み方がわかるのではないか」って書いてて、
考え方としては正しいのではないかと思うんだが、そこらへんからアプローチした人いないのかな >>243
キミはキリスト教的神観念と、古代の神道?的神観念と、中世以後の日本の神観念を
ごちゃまぜにしている。 >>445
残念ながら、そのころには朝鮮という国は無かったよ >>447
騎馬民族説か?まあ完全否定はできないよねぇ >>486
無理
当時は海上で馬を大量に運ぶ技術がなかったから >>448
東北を中心とする本土にも、アイヌ語源といわれる地名が残ってるといわれるけど、
その辺はどうお考え? >>467
日本への侵攻は孤立状態になるからな
よっぽど強くないときつくね >>488
ウラが取れてるってことね。
それはどこ? >>473
古代は水上交通、交通といえるかどうかはわからんが、我々が考えるよりよほど
活発で広範囲だったんじゃないかな。
中華南部・東南アジア・フィリピンとかね。
ワシの地元にも昔話レベルやけど、ヤタガラスという色の黒い人たちが住んでたとかあるぞ。
現在でも福建の漂流民を見かけたら連絡するようにという標識があったりする。 ざっくり
・中国大陸→台湾→沖縄→北九州
・シベリア→蝦夷地→東北
がmixしたのが日本人のルーツ?
そのmix日本人は朝鮮半島の南東部を統治していたであっている? >>479
半島南部倭人から日本列島に住んでた倭人が、南方から島伝いにきた民族と
半島経由で来た大陸人(北方含む)の混血ということかもねえ >>492
今手元にはないからどこ?といわれると困るが、民俗学界隈じゃ、結構メジャーだったと思うぞ >>494
我々が考えるような統一国家は無かったんじゃないかな。
倭人といわれる人たちが小さな国をいくつもつくっていた地域。
というのが正しい理解なきがするんだが。 >>496
まず、アイヌ語は20進数を使っているということからも、独自の言語。
ここに異論は民俗学にもないだろう。
東北の地名にアイヌ由来の言葉があるはたまに聞かれる説。
有名な「平泉」もアイヌ語の「岸=ピラ」が語源であるとか。
北海道の地名で「ピラウトルイ=岸の間」から「平取(ひらとり)」という地名がある事も
その根拠らしいですが、だからといって全ての「平」がピラというわけではないし、
これこそ邪馬台国が中国の当て字であるのと同じ事です。
北海道の「豊似川」が「トヨイペツ」、「豊平」が「トヨピラペット」が期限だからといって、
全国の「豊」がアイヌ起源ではない。
明治時代の地図に、北海道の地名はほとんど「カタカナ」で書かれているのに対し、
東北の地名は例外なく「漢字」で書かれている。
https://i.imgur.com/FbZCARh.jpg
(東北の地図は画像が見当たらず・・・探してくれ)
民俗学界隈ではメジャーという事なら興味はあるから、反抗文献なり人なり教えていただけると助かる。 >>459
インドは何処由来だろう?
気になるな。 >>493
縄文時代の黒曜石とか翡翠の伝播見ると相当広範囲で交易がなされてた感じだよね
蝦夷のコロポックルなんかもネグリトみたいな東南アジア由来の民族な説があったと思った 金印が出てきたのは福岡だから
大和朝廷とは別と言う考え方
卑弥呼王朝が残らなかったことから
大和朝廷かその他の組織に滅ぼされたというのが一般的 >>492
まあ、別にケンカ売ってるわけじゃないんだから、怒るな。
昔読んだ本とかによくあったというだけの話だ。
最近はどうなのかとおもってな。
用事の合間なんでちょこっとぐぐってみたが他にも良いサイトが
あるかもしれん。
https://folklore2017.com/timei/index4.htm >>503
ケンカに見えたのならすまんw
興味のある事だから聞いてるんだよ。
なかなかのオモシロサイトだね。
よく見ておくよw >>498
スレ違いなんで、アイヌ語の件はこの辺で。
>>503 ちなみに、中世以降はアイヌの存在ははっきり確認されているし、
青森県の北部まで渡ってきていた記録はあるから、その辺りには、由来確かな
アイヌ由来の地名はある。
また、全国にも、中世以降であればそういう地名はあるかもしれないが、
語族も全く違う、アイヌと入れ替わりに歴史から消滅した擦文人を含む和人
とコミュニケーションを全く取らずに全国渡り歩いて行けたとは考えにくいね。
文字も残さない文化だし。 イメージ的には九州だよな
邪馬台国は大阪の方にあったとかなんかイメージさがるわ >>505
それ、>>451で俺が言ったんだけどw
まあいいか。
お疲れ! >>501
黒曜石は興味深いよね。直接行ったかどうかはわからんが、
その交易圏があったということだからね。
古代人は考えるよりずっとアクティブに活動してたんかも。 >>507
うむー。イメージ的には確かに九州やけど、魏志倭人伝では
その九州北部と比定されている国々から、ひどく遠いようにかかれている。
風俗なんか結構書いてるのに、位置情報がひどく曖昧というのがロマンやな。 >>505
ごめん、最後に一個だけ。
北海道の「アイヌ由来の地名」は松浦武四郎って幕末の人が、北海道アイヌに
事細かに小さな地名(何丁目レベル)まで聞いて、それを地図に落として、やっとつけられた地名で、
それ以前には日本的には「なかった」ものだから。
アイヌは文字を残さない文化なので。
この「変わった人」の相当な努力をして聞いて回ってやっとついた地名を元に、
北海道の地名はついていったので、青森までは良いとして、それより以南の
ものは信憑性的に・・・(-_-;) >>1
またこのパヨBEでスレたてちゃったの?w
http://ame.hacca.jp/sasss/log-be2.cgi?i=828293379
総連と一卵性双生児の共産党はボーナスいくらだったの?w
不逞鮮人って笑えるよなw 今日金印見に行ってきた俺にタイムリーすぎるスレた。 >>283
これがあるから今さら検証不可能だよ
チンコが痛いって股間を指差して言ったら、地面を指差してるように見えここは「ヤマト」と言ってるのか、と思われ伝わった可能性も無きにしもあらず 邪馬台国は熊襲に滅ぼされた。
熊襲=応神さんな。
邪馬台国の残党は畿内に逃れた。物部さんやな。
後に熊襲と物部が合体して出来たのが大和だ! >>473
それで石器や水田跡などの分布から水稲耕作の伝播経路は山東→半島北西部→半島南部→北九州を示しているから
半島経由説を説いてるんだよ
稲作が長江から直接西部や南部の九州に伝播したとするのなら水田跡や石包丁などの稲作用の石器がでないのがおかしいからね >>481
安本美典がなんかの著書で中古音・上古音の全ての音の組合せを書き出してたぞ 文字の記録が無いから全くわからんな
中国側にもないのかね
天皇陵掘れよ 中国も焚書坑儒だから
基本全部燃やされたりして
次のやつらに都合がいいのしか残ってないからな
天皇陵を掘れないのも
当然いろいろ事情があってヤバイから絶対に無理っていうことだから 近所の飲み屋のママに卑弥呼に会ったことあるかと聞いたら殴られた。 時の権力者達は真相究明のために墓を暴かなかったのかという疑問は残る
或いは、ヤマト王権が半島由来の素性を知った上で利用していたのか >>133
字があれば普通に「日巫女」だろうけどな
他民族に卑しい字をあてるのが中国 神武天皇って中国から来たんちゃうん
そんで和歌山に上陸してんやろ 九州出身なのは、なんとか神社を異常に大切にしてる
今に至るまでの経緯からしても確実でしょう
卑弥呼の時代だとまだ九州にいたんだよ 記紀に天皇家が九州から来たとハッキリ書いてるじゃないか >>480
侵略者?
朝廷に最後まで抵抗して滅ぼされた隼人の全身だとする説もある鹿児島当たりの一族だよ
彼等からしたら朝廷側が侵略者で朝廷側からしたら抵抗勢力だろ 古墳発掘したって王権の由来何かわかんないよ
今城塚古墳(真の継体天皇陵?)発掘したけど
継体天皇の由来はわかってないし
はっきり継体天皇陵だとも確定できない
古墳の被葬者特定は困難
(ついでに言えば中世の陰陽道流行時に呪術に帝王の頭蓋骨が必要だとかで天皇陵の多くが盗掘されて荒らされてる >>522
焚書坑儒なんか始皇帝だけで膨大な文字資料が中国には残ってるぞ
基本的に前王朝の記録を編纂するのは次の王朝だしな >>538
そうでなければ司馬遷も史記を残せなかったしね。 天皇陵発掘できないのは法律上の位置づけがあいまいだから
子孫が実在しているので個人の墓扱いになり
文化財保護法に基づく研究調査ができない たかだが2000年前程度なのに文献が残ってないってのも民族として低俗なんだろジャップは
エジプトなんて倍でもあれだけ残ってるのに 個人とか君主とか、出自を隠すために
宮内庁が政府に圧力をかけてまで使い分けてんの? >>542
あの文字、現代エジプト人は読めないけどな >>519
アホやな
江南から伝播する際も普通に北九州や 神武天皇は九州出身なんだよね
てことは邪馬台国と対立していた狗奴国(男王の国)が天皇家なんじゃね?
で三種の神器の八咫鏡は邪馬台国から奪った戦利品、
元々は卑弥呼が神事に使っていた鏡だろう
これを宮中においていたわけだが、
崇神天皇の時に災害や動乱が続き、
崇神天皇はこの鏡を「恐れた」
なぜってやっぱ敵国の大将(しかも呪詛の力をもつ強大な巫女)の鏡が
そばにあるってのが気持ち悪かったんだろうな
だからこの鏡を自分とこの巫女に持たせてどっかに祀れ、と追い出した
結局伊勢神宮に落ち着いたわけだが
卑弥呼の呪いから逃れたくて後代に天照大神として崇め祀らせた >>542
ハングルっていつからあるか知ってるか?
しかも埋もれていたの復活させたのは日帝さんだぞ 天皇家が狗奴国だとすると、なぜ自らを天照大神(卑弥呼)の後継と名乗ったのか
本州では狗奴国より邪馬台国の方が知名度が高かった
狗奴国は邪馬台国を倒して九州を平定して東征する際、
本州の豪族たちに対して箔をつけるために狗奴国ではなく「邪馬台国の後継者です」
と名乗ったんじゃないか?
だから音として「ヤマタイコク」つまり「ヤマト」が残った >>548
神武が持っていた八咫鏡は天照がニニギに授けた物だぞ
そこはちゃんと記載がある
ニニギの直系の神武が持ってるのは自然な流れ
八咫鏡は複数枚あってニギハヤヒも持っていた >>527
天皇陵は過去にはあばかれてるよ
てゆうか、天皇陵というのがそもそもあいまいなものだ。
天皇陵の指定というのは、古事記・日本書記からの、あくまでも推定だ。
古代からこれだといわれてきたわけではない。
古墳跡というのは城が築かれたり、壊され、開墾されたりまあ盗掘にあったり、
まあイロイロだ。
それに、そもそも昔の権力者達は天皇のルーツを探るために墓をあばくという
発想が無かったといっていいとおもう。
ただ大事なのは指定されている古墳は古伝に記載された地域で、且つ特に大きかったり、
目立ったりしたものっだったのだろう。
だから正直天皇陵というのが真実かどうかというのは掘ってみないとわからないということだ。
現に指定陵墓でなくても、天皇陵と考えられる古墳もあるからね。 所謂、国譲りで現天皇家が国を乗っ取った。
これ内緒な >>558
まあそうなんだろうな
乗っ取られた方を神様にしてごまかしてるけどな 天皇が半島からとかいろんな説があるけれども、そもそも天皇という概念が
歴史に登場したのが天智・天武の御世からだ。
それ以前でかんがえると、どうだろう。
事実だろうと確認できるのはワシは宣化帝ぐらいじゃないのかとおもう。
こんなこというと、いろんなとこから怒られそうだけどそれ以前は
所謂天皇という概念でくくられる存在ではなく、一番の権力者という位置づけでなかったか
とおもうのだ だから、言ってしまえば皇統譜というのはそれ以前においては
権力者の系譜といえるかもしれない むしろ記紀編纂した7世紀前後に出雲の豪族の勢力が強かったから
よいしょするために出雲の神々の地位を上げたことが大きい
(リアルで国譲りがあったつーよりも 魏志倭人伝での「邪馬台国」や「卑弥呼」が蔑称の意味で当てられた文字ではないかと聞いたけどどうなの?
邪悪な馬の国とか卑しい弥呼(巫女?)とかどう考えても自分では名乗らないだろ だから、天皇陵の発掘は天皇家のルーツというよりも
その時代の実相を解明する、重要な考古学的成果をえることができるものと
考えることができる。
もっとももう既に盗掘されているという可能性も高いわけだけれども。
期待度ということではかなりロマンをかんじるものではある >>564
音だけで判断した方が近いんじゃね
ピミカだったりするけど
意味から行けば日巫女だよな とはいえ古代から続く王朝なんて世界でも天皇家ただ一つやからな
現存する王朝の墓を公に暴くとかなかなか出来んやろ >>563
出雲神話というのは非常におもしろいものだ。
所謂、記紀の出雲神話と実際の出雲国風土記における出雲の神話は登場する神々も
伝承も大きくかけはなれている。
これは何故なのか。
今でゆう出雲の国と記紀に記載される出雲の国は同じ国ではないのではないかという
推理もできる 一昔を考えても東北とか関東とかの人は割とのほほんと暮らしてて
九州とか四国山陰の人間って戦闘力高そうだし卑弥呼とか邪馬台国とかは九州でしょ
その勢力が一気に機内まで占領する中で周辺の小国をまとめて畿内で
大和王朝が生まれたって感じがする >>1
お隣の狗奴国にいて卑彌弓呼という名を名乗って卑弥呼をぶっ倒そうとしていた >>564
レスの上の方を読み返すと詳しく分析している人がいるぞ 古墳から遺体サンプルとって現皇室とDNA鑑定すれば分かりそうだけど
そのままにしておいてあげて欲しい気もする >>11
福岡市を含む近郊に宮崎と同じ地名や、地域があるのよ。
多分、宮崎工場長が邪馬壹國で、東征の途中で福岡に留まった人々が故郷に因んで名付けたと思うんだが、どうだろうか? >>542
江戸時代の墓石が読めなくなる気候なんでね >>572
台は当て字だからな。知らないの?
確か中国古代読みで邪馬臺國 やべいとぅとかそんなだった >>550
皇祖がアマテラスオオミカミとされたのはいつかというのは
興味深い問題だ。延喜式祝詞ではスメミマノミコトが合議して、天孫降臨を行った
とされているが、具体的にアマテラスだとは指定されてはいない。
だが、天皇「すめらみこと」は穀霊を受け継ぐ存在であり、これは大嘗祭等の
儀式によって今に受け継がれているが、天孫降臨神話以外にアマテラスの末であると
明確に記されているモノは無かったように思うのだがどうだろうか。 今縄文人が熱いらしいな(´・ω・`)
中国やエジプトよりはるかに古いみたいだし 正直言って邪馬台国が奈良発なら少なくとも畿内や四国とか山陰も支配下でしょ
なら魏にももっとましな貢物出してるだろうし魏ももうちょっと詳しく記録残すっしょw >>550
天皇の別称をヒツギノミコともいう。そのヒツギが日嗣か、霊継かというのは
意見のわかれるところだろう。 たまたま金山が有っただけで黄金の国を名乗るのもおかしな話じゃないか >>562
世界中の神話の神々の血筋はそもそもそういうものだと思ってる
ギリシャ神話なんかむちゃくちゃに繋がってたりするね 様々な部族と関係があったんだろうな
キリスト教なんかもイエスが神の直接の息子であることを強調するのは、その他の巨人族や堕天使の子孫達と同じ由来ではないと言いたいわけで 魏志倭人伝に記載されている所謂耶馬台国(変換できないのでこの字でよしとしよう)
に記される国内の統治形態で最も近いとおもわれるのは
記紀でいうと崇神天皇と垂仁天皇の条だろう。
この条は祭祀、神と人との関係のターニングポイントであり、神をまつる巫女の存在が
特に記されている部分であり、
祭祀の記載では仲哀帝から応神帝の部分では琴を弾き神を降ろすのは仲哀帝であり、
それに候して審神者を務めるのは竹内宿祢であり、共に男性であるという点で
興味深い。 >>583
自分から名乗ったわけじゃなかろ?
むしろ新羅が金銀沢山な国だと日本では認識してたわけだし >>584
ギリシャの神々の在り方というものは、日本神話あえていえば記紀神話の在り方に
似ている部分があるとおもう。
日本しんわにおいても神々の系譜といわれるものが記載されるのは現存するものでは
記紀神話が最も古く唯一記載されたものではないだろうか。
そもそも日本の神々というのは祭祀の上では系譜というものが意識されていない。
その点では古いアニミスムを今に活きて伝えている一つの例だろう。
ギリシア神話の神々はそのアニミスムの世界を受け継ぎ、部族が統合されてゆく過程で
様々な系譜が形成されたと考えることも、もちろんそういう例も充分かんがえられるが、
これは日本神話にもあてはまるとおもうのだが、
共通した自然観、神観念を持つ集団が接触して神話世界が形創られたのではないかと
おもうのだよ。
神話世界はそれ自体部族闘争の歴史を現すという側面もモチロンあるが、
人間たちの生活する世界の概念化の表象という部分の方がワシは強いのではないかとおもうのだ。 ワタルと一緒だったからしばらくは何もしてなかったんじゃね? 日本の金属文明の推移というのも興味ぶかい。
少し特殊な点は、青銅器文明発生と鉄器文明の発生の時間差というものが
非常に短いのではないかとおもうのだ。
加えて古代日本の文化史のなかで金製品の精製というのは精製いつごろなのだろうか。
これは詳しい方に是非とも御教授願いたいものだ。
世界的に太陽神と金製品の関係は密なものがあるとおもうのだが、日本においては青銅鏡であり、
それ以前は太陽神というモノはなにをもって象徴とされていたのか。
話は飛ぶが、崇神帝の条(これが記されたのがいつの時代かは研究成果を待つところだが、
日の神を祀る象徴が銅鏡(おそらくだが)であり、ヒミコ(こう記させてもらおう)が魏の皇帝から送られて
大変喜んだというのも銅鏡であるようだ。
古代中華世界においても、太陽神の象徴が青銅鏡であったのか、耶馬台の使者にそう聞いて銅鏡を送ったのか
耶馬台のヒミコが祀る神は本当に太陽神であったのかというのは、興味が尽きない。 >>194
全く関係ない事実を指摘したことが、何で反日になるんだ?頭おかしい。 ああ。さっき天皇陵の発掘について書いたところで
雄略帝だったか・・・の条で仇の死を汚す為に墓を暴いた記述はあるが、
また、有名な石舞台古墳なんかも死を汚すために墓を暴いたといわれている。
これは盗掘でもなく、発掘でもない。死を穢すために行った行為であるので、
先程は触れなかったことをいっておく。異論のある方はその意味をかんがえてくれ。 長文多くて申し訳なかった。あそばせてくれてありがとう
そろそろ寝るよ >>575
邪馬台国が今でいう宮崎にあったという説はいまや多数派になりつつあるよ。魏誌倭人伝に出てくる邪馬台国は温暖で冬でも薄着だったなんていうのが当てはまるのも、沖縄除けば宮崎だし、少なくも畿内ではない。 文字が無いって想像を絶してる
全て脳内暗記と口伝え 闘争と支配ばかりが神話の製造ではないだろうね もっと融和的な変化もあったはず
他の部族と姻戚関係を結ぶというのは単に利害や価値観を共有する人々が繋がるだけでなく、
お互いの部族の神話や風習も伝播し合い、結合させて新しい物語を産み出す機能を持っていただろう
ある程度の地域に拡がった人々の文化圏を後世に時系列でまとめようとしたら、
別々の人物の良く似たエピソードが繰り返されることになったとか、いかにもありそうだ もひとつ間違いがあったので、記しておく
延喜式祝詞のところで「スメミマノミコト」としるしたが、
スメムツカムロギカムロミノミコト」やった。少し酔っているもので失礼しました。 >>547
まあそういい加減なこと言うなって
学者も琉球南九州ルートを必死に探してなかったうえに
炭化米、石包丁、水田跡がもう山東→朝鮮→北九州のルート辿ってるんだからな >>438
これなんだよね〜
天皇制はせっかくだし続いて欲しいけど、続いてる間は古代史の解明が進まずつまらない。
でも、宮内庁指定じゃ無い古墳が実は本物の天皇墓っぽいってのいくつかあるでしょ。
そっちは発掘出来るのに大したことわかってないよね >>325
宮崎というのが神話との絡みでロマンがあって好き >>592
ソースと思われているものが間違いというのが主流
資料批判だっけ
正しいものが伝わっているとは限らないという前提で
他の資料に照らし合わせて考える 伊勢神宮がなんであんな辺鄙な所にあるのかが不思議だわ
奈良とも出雲とも九州とも関係ない交通の便が悪い僻地やん? 日本という国号が気になる
西日本には東向きの海岸は三重と宮崎くらいしかない
日出づる国って 外洋航海もできないのに
自分たちより東に国が無いって認識があったのか お前らの歴史と宇宙の話しは
話し半分に聞くのがベスト 卑弥呼は実は即位して時点で60過ぎのババア
壱与ちゃんは13歳の美少女だったけど そもそも卑弥呼の時代でも7世紀の大和政権の
時代でも日本列島に統一国家ができていたのかは
疑わしい。複数の王権が存在していたはず。
邪馬台国と大和政権は別の場所にあったかもしれな
いし卑弥呼の時代はまだ天皇家は邪馬台国に臣従する
一豪族レベルの力しか持っていなかったのかもしれない。
>>578
日本書紀の国譲り神話では皇祖はタカミムスヒであって
アマテラスと見なしているのは異伝の一つだけだもんね
でも誰もがこの重大な問題をスルーする というか位置的に北九州から南下ていうと台湾あたりにならないか?
でも逆に台湾なら呉から直接渡るほうが近いような… 第33代推古天皇が即位したとされる年が西暦593年。
神武天皇から履中天皇までは17世代じゃなくて
単に17代と考える。ここでは神功皇后の摂政期間を
含めないとして、推古天皇の前に32人の王さまがいたこと
になる。古代の天皇の平均在位年数を11〜13年とすると、
神武天皇が即位したとされる年は西暦177年〜241年の範
囲に収まる。つまり、初期の天皇家と邪馬台国の時代は
確実に重なる。なぜ神武から九代の王について内政、外交、
戦争等の記録がほとんど記されていないのか? >>624
その頃の日本にまだ文字がなかったからじゃね? >>617
壱与はまだ デッデデッデ 13だ〜から〜 >>622
海流黒潮だろ
日本鰻はマリアナ海溝で産卵し台湾沖縄鹿児島土佐紀伊半島伊豆房総沖を流れる 蔵の中で米の盗み食いした後、女とSEXしてたんだよ >>628
鹿嶋神宮諏訪大社豊川稲荷伊勢神宮宇佐大社鬼界島のラインは航空写真でも見えるように日本大断層の上で、フィリピンプレートで続いている >>614
高天原かもしれない宮崎に似ている点が一つ有る。それは >>615
>日本という国号が気になる
漢字で書いているんだから中国を意識しているわけで
中国との位置関係のことを認識した国号だと思う
倭(中国の浸けた民族名・地域名・卑称)
大和(倭→和と佳字に変え大も付けて自尊)
やまと(自称の地域名)
邪馬台国(中国によるやまとの音訳による国号)
日本国(中華圏の最も東という自負からくる自称の国号)
ではないかしら >>615
>自分たちより東に国が無いって認識があったのか
東方面から渡ってくる人がいなかったらそういう結論に至るでしょ 天皇は30000年程前から居る
初期は神と記され
その後 神と人間の中間
そして人間となる
間違いなく宇宙の人が地球に降りてきた
その昔道路も地図も無い伝達技術も無い時代にどうやって日本全国あちこちに同じような様式の神社を造った?
空を飛んでいたんだよ ちなみにB型の発生は15000年前のパキスタンあたりな >>583
江戸期までにかけて世界有数の金産出量を誇っていたはずだが。 >>583
戦国期にはアホみたいに掘りまくったからだろ
ピーク時は当時の世界の1/3の産出量に達したとか >>635
マジで?私ってパキスタン人の子孫だったのか >>635
それ言い出したらお前もアフリカだったりとかになるだろ? >>638
>パキスタン人の子孫
たぶんパキスタン人は別の所から来てる 邪馬台国は沖縄与那国と台湾にあった
紀元0年に発生した地震でプレートごと海底に沈んだ
難民が大量発生→九州に漂着、各地を転々
難民から卑弥呼が生まれ邪馬台国という新しく国をつくった
https://pbs.twimg.com/media/D3cQ_OZUUAAfwYk.jpg:large
因みに天皇のルーツはインドネシア→伊是名&百済 昨夜のザ・セサミブラザーズ(和歌山県)です
昨夜は、ヒミコ(もう以後ヒミコと表記させていただく)の祀った神は如何なる神であったのか。
というところで、寝たのだが、今回はヒミコの時代情勢について考えてみたい。
ヒミコが女王として即位する前に、倭国は大いに乱れたとある。倭国の大乱だ。
その倭国の大乱とはなんだったのか。大きな争いが続いたということは、その原因はなんだったのだろう。
天候不順による凶作での食料不足か、小さなナショナリズムによるぶつかり合いなのか。
中華の史書ではその原因に関する記述は無かったようにおもう。
そして、いくつもに分かれ争っていた国々が突然女王をいただき、安定する。
何故女王ヒミコにより争いがおさまったのだろう。それ以前の史書に登場する倭人の国々は皆、男王であると
推察される。ヒミコの時代の国々も男王が通常のようだ。ヤマタイ国と後に争った狗奴国もしかりである。
ヤマタイ国周辺においては女王という存在はかなり特殊であったと思われる。
次は記紀にある女王の存在について考えてみたい。 >>615
[旧唐書]
703年 倭国では、倭国と言うのが優美で無いと嫌って
自身で日本と改めた
外交文書として残ってるのは、これが初めてだけど
実際、7世紀に遣唐使として派遣された留学生が中国で死んで
その墓の墓碑銘に日本人と刻まれていたのが解った >>542
現代にしてわずか8年前の世界史的事故の経緯すら既に有耶無耶だもんな
その辺ホントに頭おかしいと思う 何で国号を豊葦原瑞穂国にしなかったんだ
これが一番の疑問だ >>656
倭は中国に贈られた日本の国名だったんじゃないの?!
日本人は自国をヤマト國としてた筈
だから、倭を便宜上ヤマトとよんでいたに違いない
倭が大和に変わった変遷は
倭→大倭→大和に変わったと考えるのが自然で、読みは常にヤマト
なんの違和感もない >>1
卑弥呼は、祖先。
邪馬台国(ヤマト国)ならね( ・∇・) 台湾や沖縄が邪馬台国なら
神武が宮崎なのも納得ですわ 俺は巻向は邪馬台国ではないと思うし
箸墓は卑弥呼の墓でもないと思う
そこに決まったかの報道オンリーなのは危険な事
奈良はまだ観光地が欲しいのかねゲスいわ ヤマタイコクと読むのかも怪しいもんだ。
ヤマトの蔑称が邪馬台国なんじゃないのか。 日巫女で、天照大御神の使徒
天皇家そのものなんじゃないの? >>658
最初に日本から中国に遣いを出した時に「ヤマト」の音に「倭面土」と当てられて
そこから「倭」「倭国」になったんじゃないかな
日本側は一貫してヤマトと名乗っていたんじゃないかと >>647続き
記紀を紐解いてみるに、推古帝以前においては女王、亦は女性が長と目される例は
それほど多くはない。これは記紀の編纂の時代背景によるものかもしれないが、
皇統譜でみるに神功皇后のみであろう。あとは神功皇后の熊襲征伐の折と神武東征の折に
2・3見られる程度である。それから、歴史解釈によっては崇神・垂仁帝の御世にみられる
伊勢の斎王の扱いだろうか。広げてみればスサノヲの夜這い先のヒメガミを解釈次第では
そうみられないこともないだろう。風土記などを参考にしてみると女王といえるのかどうか
微妙ではあるのだが、土蜘蛛の首長、在地勢力の首長として、女王の存在がおおくみられる。 上記は年代区分もバラバラなので、ヒミコの時代に限ればどういう結果がでるであろうか。
国より小さな集団の場合には女性首長という存在が普遍的であり、国とされる集団で女王を
おくというケースがとくしゅであったのであろうか。 >>5
古事記とかって
700年以降だし
どこで知ったの?
中国でも記載があったとしても200年くらいだろ この時代は中華や半島の史書によれば、倭人の新羅・百済地域への進出が盛んであった
時代でもある。ここでいう新羅・百済は後の時代の高度な政治システムを持った新羅国
百済国というよりも、新羅地域・百済地域というエリアとしての名称と解釈すべきではないかとおもう。
私見になるが、日本から半島南部には倭人の居住地域があり、勿論半島北部の高句麗・扶余族と新羅地域
百済地域の民族の内訳については今後の研究を待たねばならないだろうが、日本・半島南部に居住していた
倭人集団が新羅地域・百済地域に拡大進出していた時代であるのは確かだろう。 半島南部の倭人集団がどのような政治機構を持った集団であったのか。おそらくは
日本にあった倭人集団とあまり変わらない形であったのではないだろうか。
魏志倭人伝に見られるヤマタイ国には、魏の役人と意思疎通のできる役人・役所が
存在していたようだが、魏の役人と交流を持っていたということは、文字・言語において
その知識をも持っていて当然のようにも思われるのだが、この時代の文字資料は日本には存在していない。
これは、文字資料を残すことは無意味と考えたのか。他になにか理由があるのだろうか。 >>48
お前がそう習っただけで見てきたわけじゃないよね
よく断言できるねw 当時の半島情勢は半島北部には扶余族の高句麗があり、辰韓・馬韓(めんどいのでこう記す)
諸国はその高句麗に盛んに朝貢、属国関係を結んでいたようだ。
時代は少し下るのだが有名な広開土太王碑にみられるように、高句麗は当然
文字を用いていたし、その高句麗と直接交流していた辰韓・馬韓の人々も文字を知らなかったとはおもえない。
これは記紀の各年代設定にもよるのだが、魏志倭人伝の年代より古いとおもわれる景行帝の御世において、辰韓
よりの移民・交流が盛んであったことが示唆されている。なかでも新羅王子を名乗るアメノヒボコ伝説が有名だが
仮にも新羅王子を名乗るアメノヒボコ集団さえも文字資料をのこしていない。これはなぜなのか。
考えられるのは、記紀編纂時の景行帝の記述の年代設定の意図的変更。景行帝の実在性の問題であろうか。 >>665
俺はは文才がないな
そう、一貫してヤマトを名乗ってたんだろうね。
ほんの40年前迄は確定で、沖縄のジジババは本土の事をヤマトと呼称してたんだよ
今はどうだか知らないけど。 つまり、他国も日本をヤマトと呼んでいたんですね。 紀元前1世紀頃の『漢書』
地理志燕地条
「然東夷天性柔順、異於三方之外、故孔子悼道不行、設浮於海、欲居九夷、有以也夫。樂浪海中有倭人 分爲百餘國 以歳時來獻見云」
然して東夷の天性柔順、三方の外に異なる。故に孔子、道の行われざるを悼み、設(も)し海に浮かばば、九夷に居らんと欲す。以(ゆゑ)有るかな。楽浪海中に倭人あり、 分ちて百余国と為し、 歳時をもつて来たりて献見すと云ふ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E3%83%BB%E5%80%AD%E4%BA%BA%E9%96%A2%E9%80%A3%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%96%87%E7%8C%AE#%E3%80%8E%E6%BC%A2%E6%9B%B8%E3%80%8F
歴史学の見解
日本は弥生時代に成立した百余国が次第に連合を組み、各国の諸王(豪族)を大王(天皇)が束ねる形で大和朝廷が成立した。
歴史学的に、紀元前1世紀頃の日本は百余国に分かれており、漢と同じ暦を駆使していた。
考古学的成果
北部九州の遺跡で確認された弥生時代中期中ごろから後半(紀元前2世紀末〜前1世紀)の硯(すずり)の国産を示す遺物は、紀元前には既に国内で文字が普及していた可能性を強くうかがわせる。
https://mainichi.jp/articles/20190219/k00/00m/040/244000c
考古学的に、紀元前1世紀頃の日本は国産の硯を使っていたので、文字の使用が考えられている。
記紀は7世紀より昔に書かれていた書物を再編したものであるとされる。 >>676
倭の時代に日本も東北にあったんだよね? 天皇の御陵は密かに発掘されてると思うんだけどどうかな? 日本書紀
神代紀第四段本文
「日本、此には耶麻騰(やまと)と云ふ。下皆此に効(なら)へ。」
日本最古の正史では、日本と書いてヤマトと読むと書かれている。 記紀編纂時の景行帝の記述の年代設定の意図的変更。とは、
記紀編纂時において、古事記の場合。神武天皇からの神武朝、崇神天皇からの崇神朝、
応神天皇からの応神朝、k古代の天皇の皇統においては大体このように分けられるが、
昔から研究者に唱えられているのが、神武朝と応神朝の類似性であろう。
その顕著な例が九州からの東征であろう。
神武帝はもちろんであるが、応神朝においては神功皇后の東征である。
これを神武帝と同じように東征とみなすかどうかは意見解釈の分かれることではあるが、
事は神功皇后の実在性の問題ともなってくるとおもわれる。
景行帝の実在性であるが、これは記紀よりうかがわれる崇神朝の在り方である。
眠くなってきたのでこのへんで。 ヤマト
邪馬台、倭、大倭、大和、日本
音は一貫して変わっていなかった
日本の国号の音はヤマト
当てる漢字が変わっていった
中国側から、邪馬台→倭→大倭
倭という漢字が気に入らないと思った日本側が、大倭→大和
日本書紀編纂時に、大和→日本
むしろいつから日本をニホン、ニッポンと言うようになったのか? >>666
>風土記
肥前国風土記逸文だっけ佐賀の女王が卑弥呼かもと言う人も居るな 応神天皇の時代に王仁博士が論語と千字文を日本に伝えてるように
日本特有の文字はなくても漢字はすでに伝わり使用していたと見ていい
千字文っていうのは漢字をならう教書のようなもの 日本で例えればいろは歌 >>669
>卑弥呼って本当はなんなの?
>どこに埋まってんのよ
幅が百歩の塚を探せ >>670
うむ
儂は和人は元々朝鮮半島から日本列島に広く同族意識を持つ集合体として存在していたのだと思って居るよ
その後朝鮮半島の勢力は衰退したか日本に皆渡ってきたか
あるいは新勢力と混交したのだろう 春秋時代の越は百越と言われてるように無数の支族の連合国家
その中の一支族の倭人が稲作と文化を携えて朝鮮半島南に住み着いたのが中国側の資料にある
倭国とは朝鮮半島南部と北九州を領域とする倭人の国家の可能性は高い ヘブライ語のヤマトゥがヤマトになり、日の弥呼は徳島県の八倉比売神社に眠る。
なんてね >>10
同一ですよ
卑弥呼も中国側の呼称で、おそらく皇后か女性天皇 呉越の入墨・漁業・髪を切る風習と倭人→倭国(邪馬台国)の入墨・漁業・髪を切る風習は相似していると中国側の資料にある ところで、古事記とか日本書紀に邪馬台国も卑弥呼も一切出てこないのはなんでや?
中国と交流なかったわけじゃないのにおかしいやろ
卑弥呼が天皇と関係あったら載ってるはずだよな >>693
別の国だと考えれば辻褄があう っていうかそれが自然
記紀には北九州地域を領有している記述が全く無い これは読めばハッキリわかる
そこにあるのは同盟国的な記述だけだよ 邪馬台国出雲王朝とズブズブで東征ヤマト王権に国譲りした説っていうのを新書で読んだ
中学の卒論のときにこういう壮大なテーマを選んだがために地獄を見た 三国志
邪馬台=ヤマト
台与=トヨ
日本書紀
興台産霊=こごとむすび
どちらも台=トで一貫している >>693
むしろ載せないと思う
蛮族で従属してたのは黒歴史扱い >>693
日本書紀の神功皇后紀にある『晋起居注』より、記紀編纂当時から江戸時代までずっと、卑弥呼=神功皇后、邪馬台=ヤマトだと考えられてきた
しかし、本居宣長などの国粋主義者が、古代日本が朝貢していたことを否定するために、邪馬台=ヤマタイと言い出し、別の国だとする説を提唱し、今に至る 白村江の戦いに負けて北九州が唐軍に占領され筑紫都督府を置かれ←これ日本書紀に記載がある
その駐留軍が唐に去った後に支配下に収めた時に初めて関東以西が統一王朝になった
東北はまだ蝦夷が居たしね 逆に言えばその時までは日本列島は北九州政権 大和政権 東北部の少なくとも3つの支配勢力があった
日本列島が古代から統一王朝に支配されていたというのは間違い
そもそも魏の時代は小国の群雄割拠状態だったしね 騎馬系は漢氏からだから臣下の坂上が限界
在日は夢みるな 折角天武天皇が古い書物を焚書して歴史修正を行ったのに
魏志を始め中国の書物に記録が残っていたから全てを消し去ることに失敗した >>706
実際焚書は行われたでしょうね
謎に包まれ過ぎている 公開されてない極秘資料は宮内庁にあるとは思うけど。
神籠石長城も興味が尽きない マジで中国グッジョブだわ
記録がなかったら永遠に存在すら消されてたんだぜ 蘇我氏が国記と天皇記を燃やしたと言ってるけどおそらく真実は天智か天武のどちらかが犯人だと思う
いろいろ矛盾がありすぎる 箸墓に皇室のモモソヒメが埋葬されてるとは思えないな。
強大な権力を持つ大王がたかが一皇后や一皇女のために立派な
墓を作るかな?作らないだろう。卑弥呼も台与も十代で女王
になり73〜75歳ぐらいで亡くなったとすれば二人の女王の
在位期間だけで120年ぐらいに達しうる。これは神武から開化
まで9人の男王の在位期間の合計にぴったり合うだろう。
王位は男系継承であることを主張する日本書紀編纂者が
女王の時代を書くわけにはいかない。
崇神天皇が年老いた台与?を暗殺し箸墓に埋葬し、男王による
政治を始めたのではないかと思う。そして、日本書紀編纂者は
神功皇后を170年?以上も前の邪馬台国の女王と同一視することで
大和王権=邪馬台国と見せかけようとした。神功皇后は卑弥呼や
台与に似せることができるだけの権力があったのだろう。 >>683
ニッポンという国号に代えたからそう呼んでくれと
大陸に遣いを出してからだ
二ホンは俗称で正式にはニッポン >>707
若冲 は皇室が持って隠し
GHQに取られるの、防がれた おそらく邪馬台国畿内説のほうが正しい。畿内には
邪馬台国の女王も黎明期の天皇(実際には九州に出自がある
一豪族の当主)もいたが、当時の皇室は邪馬台国に服従していた。
もし、九州説が正しいなら九州の邪馬台国のことを無視して
黎明期の天皇についてもっと詳しい記録を残すことができたはず。
九州にも7世紀には中国人が作ったと考えられるれっきとした王朝
があり、ここの男王が隋に対して自らを「日出處天子」と自称した。
古事記は孝霊天皇の時代に吉備国を平定したとしている。もしか
するとモモソヒメの話は孝霊天皇の時代の出来事を参考にして
作られたのかもしれない。天皇は大和古来の神、大物主神に受けれ
られようと皇女を神に仕えさせたが、皇女の変死という形で失敗した
のかもしれない。日本書紀ではこれを崇神天皇の時代の出来事に変えた。
神武が生きていた当時は誰も彼を天津神の子だの大王だの思っていなかった。
しかし、神武が皇室の始祖であったことは間違いない。
神武以前の系図は何も分からないから、後で適当に他の豪族が持っていた
神話などを適当に継ぎ接ぎして、天皇は偉大な神々の子孫であると印象付ける
必要があったのではないか? >>662
"親魏倭王"の金印は、卑弥呼個人に渡されたものではなく
邪馬台国に下賜されたもの、後に 魏 → 晋 へと、国号が変わっているので
返還を求められたはず。
晋の時代も後継の台与が朝貢を行って、国交が維持されていたので
日本で発見されるのなら、"親晋倭王"の金印になるはず。 え?
三国志ー魏書ー東夷伝ー倭人の条
の最後の記述は、台与の朝貢品の品目だよ 関東東北の日高見が畿内に移ってヤマトの原型になった >>682リョーちゃん(和歌山県) です。
昨夜は崇神朝について書き記そうとして所でねてしまった。
崇神朝で特徴的なところは、崇神帝を「ハツクニシラススメラミコト」と称されている
ことである。「スメラミコト」とは現在の天皇位のことを示す古代の呼び名であり、
同じような「オオキミ」とは、少なくとも天智・天武帝の頃には一線を画する呼び名であろう。
ただ、天智・天武帝の頃より使われだした呼び名である可能性もあるので区別して使用する場合は
注意が必要であると考える。問題は「ハツクニシラス」の部分である。
「ハツクニ」は言わずもがなであるが「シラス」は日本の古い言葉で「シラシメス」の活用形?である。
「シラシメス」とは今の日本語で表すとするならば、統治する。治める。支配する。に近いのであろうか。
この現代語で統治する・治める・支配する、を表す古語は他にも幾つか残されており、それぞれは厳密に
使い分けられているようである。古語に詳しい方は調べてみると面白いのかもしれない。 >>729
話が逸れたが、崇神帝の御世に関する記載でもう一つ特徴的はのは、この帝と垂仁帝で
記載される統治というのは、多分に呪術・祭祀的色彩が濃いということであろう。
三輪山・伊勢の祭祀のはじめであり、ヨリヒコとヨリヒメによる祭祀・特にここでは
ヨリヒメ(巫女)に対して重きを置かれているような印象をうける。
少しそれるが、多くの研究者によってヒミコと比定される倭姫命と、特に箸墓古墳と合わせてよく論じられる
「タマトトトモモソヒメ」であるが、古事記と日本書記では、取り扱いが違うのが面白い。 >>729
>「ハツクニ」
名詞という所が重要
「新しい土地」ちうこと >>730
ヤマトトトモモソヒメについては日本書記においては多くの記載がなされているが
古事記においては孝元天皇の条の皇統譜にしるされるのみであることだ。
三輪の祭祀における古事記での記載では巫女はタマヨリヒメで記されているし、
政治の場と祭祀の場分離(こう記すのはワシの私見)のきっかけとなる託宣についても
記では崇神帝の夢での託宣であり、オオタタネコに関するそれも崇神帝自身によるものである。
記と紀のこの記載は如何なる意図によるものだろうか。
記では巫女と神主は二人で一つの存在であることが当然であるとして省略されているのか、
紀では敢て異説を取り込んで記載しているのか、興味は尽きない。
ただ、皇統譜をみるにヒメとヒコの名が一対での記載が目に付くのは、これはワシの思い入れによるものであろうか。
後で記そうと思っている熊襲征伐に登場する在地首長や土蜘蛛にみられる兄妹一対の記載を鑑みるに
日本の古いマツリゴトは男女一対にのペアによって行われていた名残であるのか、
はたまた当時の、中華世界の政治機構の在り方の影響上の、信仰と政治の分離・脱呪術政治の流れのなかでの
名残を残しているのか。この記紀の記載の違いは面白いものである。 しかし卑弥呼なんてひどい漢字付けたもんだよな中国様
卑弥呼もそこは怒れよな >>732
もう一つ崇神帝の条で特徴的なのは、新羅に関する記載である。
記紀の皇統譜通りに時系列を考えると、アメノヒボコ伝説に関して
本来これはもっと前の天皇の条で記されるべき事柄であろう。
多くの研究者にヒミコの原型として比定される「オキナガタラシヒメ」は「アメノヒボコ」の後裔とされている。
とすると皇統譜による時系列で鑑みるに孝元?天皇の皇統譜で現れるオキナガタラシヒメの祖であるアメノヒボコ伝説が
崇神朝の部分で語られるのは示唆的であろう。
そして、オキナガ氏は近江国と関係が近く、琵琶湖は大和川水系から山城・宇陀を経て琵琶湖にいたり、若狭・敦賀から日本海にいたる当時の水上交通の要衝とかんがえられる。
アメノヒボコ伝説が新羅から日本海を渡り但馬・丹波に至る道筋を考えるてみると
日本海を対馬海流を使っての山陰・北陸に至る新羅地域と崇神朝の関係は無視できないものと考える。
あわせて、出雲国風土記における国引き神話等、スサノヲの伝承も含めて他伝承と、
播磨国風土記におけるアメノヒボコとアシハラノシコオとの争いも時系列としては不明の部分が多すぎるのだが
当時の新羅地域と山陰・北陸を通じた日本列島の倭人との関係も、古代史を考えるうえで重要であろう。 >>716
王朝替わってるからそれは無い。
と思うがあの司馬氏だからあり得ないとも言えないんだよなあ。 >>694
記紀の神武天皇以前は筑紫の話ばっかり(アマテラスが達生まれた所も、神武天皇が天下った所も筑紫)
口伝で先祖が筑紫から来たという記憶を伝えてあるのは確かだろう 崇神紀はイリヒコイリヒメ、ヨリヒコヨリヒメなのか
外来と在来かな >>736
ただこの時代を考察するうえで重要なのは、国のカタチの問題である。
当時の国とはいかなるカタチであったのか。
大きく半島南部から日本列島に至る倭人居住地帯が存在したことは多くの研究者が考察する
ところではあるが、後々の歴史を考えるに国というモノが当時絶対王権を持った統一国家であるというのは
ワシはこれは考え難いとおもう。小さな共同体の集まりがムラを成し、ムラが集まり国をなす。
この時ムラと国との関係は如何なるものであったのか。これはもっとゆるやかな連合、共通利益のある小共同体の長があつまり、
合議し、国をつくる。その国の長が集まり合議し、大きな国をなす。仮に大國とするが、
大國の長と国の長、ムラの長は現在の我々の考えるような主従関係が存在したのだろうか。
答えは否であろう。国・大国の長は其々の共同体内での合議で決められ、各共同体は各共通の利益によって緩やかにつながっていたのではないか。
だから、ヤマトとはいえそれはオオキミを中心とした統一国家ではなく、オオキミを戴いた緩やかな共同体の集まりであり、
新羅とはいっても、後に現れる統一新羅のような主従関係を基盤とした統一国家ではなく、
共通利益をもった新羅地域の幾つか存在した共同体ということであ >>740
であるからこの時代の倭人居住地帯には、共通利益を持った共同体があつまった国がいくつか存在したことは
想像に難くない。
当然、現代のような国家観といったものは無かったと考えられるので、ある共同体がその時々の事情によって、
Aという国に属したり、Bという国に属したりといったことは十分にかんがえられる。
そしてそれはモチロン現代の国境線を反映するものではありえないと考えている。 >>741
もう一つ崇神朝における記紀の記載で
埴輪を初めつくった。
武器を用いた祭祀を初めて行った。
と記されていることは後のヤマタイ国における祭祀と墓制を
考える上で重要であろう。 >>542
メモを破棄するのが日本の文化なんだが? >>731
そのクニを土地とするか、国という共同体観念を意味するのか。
ここでいうハツクニとは初めての土地に国をつくったとうけとるか、
既存の土地に、新しい観念のクニを開いたとうけとるかで、この王朝?の
歴史的立ち位置がずいぶん変わってくるとおもうのだ。 文字なしに広域を支配できるか?遠方に指令できるか?無理だろ
音声による口語すら方言差が激しくて意思疎通が困難だった筈 >>749
モンゴルは文字を持たぬ民族だった
それでいて大モンゴル帝国なのだ >>751
金を征服したとき文官を取り込んで朝廷化してたやん ロシアも最近まで文字がなかったろ
ロシア文字のお蔭でAAが捗る ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています