ちなみに渡来人↓

4世紀後半以来、日本が朝鮮に進出するようになって、多くの中国人や朝鮮人が日本本土に渡来した。このような人たちを渡来人という。
4世紀には、高句麗の進出によって楽浪が滅亡し、半島における漢民族の勢力は失われた。
その遺民は百済に亡命。この影響をうけ朝鮮半島や中国人の多くが日本に亡命または、技術者として送られた

とくに7世紀になると百済・高句麗が滅ぼされると、その遺民が日本へ多数帰化した。
当時の渡来人は百済人がもっとも多いが、神羅・高句麗・中国の者も多数いた。

この高度の技術者を大和朝廷や豪族は喜んで受け入れた。朝廷は渡来人を(部)に編入し、渡来人は当時の、社会・産業・木工・酒造を受け渡し。日本文化の多大な影響を与えた。
文字の習得や仏教の受容はもとより、氏名制度の影響は百済の制度の影響を強く受けている。

この民族移入をへて本土史はいっきに国力を高めていく。

↑これって、日本史の共通認識やろ?