江戸時代の江戸は独身男性が物凄く多くて、今流行ってるおかずのパック詰めを売る業者が多かったらしい
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>>4
でも、ダイエットとか考えてるより潔くてかっけぇよ。 女も上は吉原の大夫花魁から下は夜鷹まで経済状況に応じて各種取り揃えております >>6
おかずは殆ど食わないぞ
労働は基本肉体労働だから太らない
とにかく白米でカロリーのみを取る
そしてビタミン不足から脚気になる 同じ国なんだから江戸時代と現代で(当時技術的に不可能だったものを除けば)共通するものがあるのは当たり前だろ?
平成の文化は昭和の、昭和の文化は大正の、大正の文化は明治の、明治の文化は江戸時代の文化が発展したものなんだし
それなのに「江戸時代に今と同じようなものがあったのか!」なんて驚く人結構いるんだよな 日本各地から来てる各藩の江戸詰め武士は、基本単身赴任だからなw
武士に加えて、庶民各職人系も多くは、長屋住まい単身者
そりゃ、男のほうが多い多い >>10
豪商ですら魚が膳に上るの週一か隔週だったらしいね 江戸時代の東京って地元で食い詰めたり実家を相続できなかった
あぶれ者の集まりだろだから独身率が非常に高い 江戸ヒモってなろう小説にそのへんの話が書いてあったな 尼僧を見てちょっとエロく感じるのは遺伝子レベルで当時の記憶が刷り込まれているのかもしれない >>20
貧乏人メンタルはそうなんだろうな
生活に余裕があると男と愉しむ 江戸は慢性的な燃料不足で玄米なんか炊いてられない状態だから仕方なく白米にして食べていた あの時代は割引シール貼るのが暗くなる前だからよかったよな 俺の江戸時代の知識は大半がさいとうたかをの鬼平から来てんだが
あれはどれくらい正しいんだろうか 河原に落ちている春画をおまえらの先祖は漁りにいったんだな だが待ってほしい
春画を漁ってたやつに子孫がいるだろうか 江戸時代の平均寿命って40歳ぐらいじゃなかったっけ >>27
春画で基本を学んでファックするやつとか多かったんじゃね >>29
地方から来た江戸詰の武士が多かったからオナヌー用だろう だいぶ昔にNHKの時代劇で天晴れ夜十郎というのがあったが
男性の平均身長が150cmくらいの時代に阿部ちゃんがタイムスリップなんかしたら
それこそ「雲突く大男」って江戸中の評判になるよな なお吉原に行っても、遊女から気に入られないと金を払ったにもかかわらず
やれないことも多々あった。 幕末にはポルノ映画の上映も始まって大変な賑わいだったらしい 江戸礼賛厨は調子乗りすぎだよな
誰も損をしないからと言って美化しまくるのはうんざりだ 江戸時代にオリジン弁当オープンしたら
江戸っ子がみんな買いに来そうだな >>40
夜鷹までランクを落とさないでも岡場所はたくさんあったし・・・。
「こち亀」でアメリカ人観光客を歓迎する役目を仰せつかった両津が「This is ゲイシャ」と
紹介していた女が頭巾で顔を隠してゴザを持った夜鷹スタイルだったが、子どもの頃は
意味が分からなかった。 江戸時代はチビだったってのも
江戸時代の江戸限定の話だろ
日本人口のわずか30分の1 遊女は年期が明けたら貴方と結婚しますと
約束の印に小指を切って男に贈る習わしがあった
それはかわいそうなので小指を作り物にしたら
小指を多数の男に贈る詐欺が流行った >>29
馬鹿夫婦 春画を真似て 手を挫き
って川柳があるな ごちゃごちゃ言ってねえで女は股開いてりゃいいんだよ >>4
江戸町民はぬか漬け食ったり豆腐食ったりして 脚気になってる奴はそんなになかったんだって
脚気になるやつは 地方から 参勤交代でやってきたおさむらいさん 今の人たちって江戸時代から転生した人を多いんだってね 今に伝わるとされる江戸文化って
大半が落語や歌舞伎だ
要するにおもしろおかしいハナシなんだよ
江戸っ子像なんて自称でしかない
粋で鯔背が持て囃されるのは現代の映画やドラマと同じ構造
大半が野暮でとんくさくてマヌケだからこそ小気味いい芝居がウケる
短気で喧嘩っ早いならくだらないタンカ切る前に殴ってるしそういう地方はいくらでもあるわな 時代劇でいくらの稼ぎがないと世帯が持てないとかいう台詞がよくあるな
ワイの先祖様はそこそこ稼いでいたのかのお 江戸時代とかパック詰め技術あったとか日本すごすぎだろ >>53
農村と都市部じゃ別世界だし、そこそこの町人目線の話だろ 実際に江戸時代に行けば、今と大して変わんないのかもね >>56
でも江戸時代までの日本人は間違いなく超凶暴な戦闘民族だろ
サイヤ人みたいなもん 俺の地元にはいまだに独身の多い通りに
チョンガー街道ってあだ名つけられてる集落あるわ NHKのドラマ「ぼんくら」で松坂慶子がいろんな煮物やおかずを売る店やってたな 職人の男が多かったからな
江戸全体が今の足立区みたいなもんだよ >>58
サイヤ人よりやべーよ
この狭い国内でしまの取合いやってんだもん
飯に関してはおれの主食そばだから余裕
魚釣って余裕 >>29
田舎じゃ〜童貞小僧には未亡人が稽古付けてくれたらしい? 江戸礼賛の風潮にはうんざり
お前たちは昭和40年ですら生きていけないと思う
汚くて不潔、食事は貧相
今のアフリカよりひどい衛生、医療環境 現代人が江戸時代の江戸の町にいったら、
まず匂いでノックアウトされそうだ >>66
江戸時代の人間が現代の東京にきたらすぐに肺をやられるかも 江戸時代の女の人もセックスの時は喘いだりしたのかな??
キスなんてしてなかったんでしょ?
映画だと今みたいにやってるけど、違うと思うんだよね〜 仕事人で秀さんがメザシ?とたくあんで白飯ガツガツしてたけど
マジであんな感じだったのかなー >>12
あくまで江戸という都市を作るための男手が必要だった江戸初期の話だがな
時代が下ると男女比はそう変わらなくなる 各地からの出稼ぎが多い
女は結婚相手を選び放題
結婚する前に三行半を書いてもらいいつでも離婚できるようにしていた >>69
桂米朝師の落語の枕によれば昭和の初めまで船場の商家のご飯は
朝は冷や飯に沢庵 昼は温かいご飯におかずが一品 夜も冷や飯に沢庵
だったらしい >>13
「白米ばっかり食う」のは
「それが一番のご馳走」だと思われていたからで
「魚が高級だった」訳じゃないぞ? ああ、おかずってご飯の方か
オナネタの詰め合わせかと思ったわw 長屋(借家)の家賃が安かった
大家は長屋住まいの大便を肥料として売る権利があり
1か月の便収入は家賃と変わらなかった
彡⌒ミ
(・ω・)
/ し'⌒彡 理想の住宅+リサイクルシステムだよな
\ ノ
YY
^ ^ 大阪がうどん、東京がそばなのは、江戸の食事はおかずが少ないのでうどんだと栄養素が偏るからだとか
ビートたけしは嫁が関西出身で、おかずが多すぎるんだよねって昔言ってた
>>75
そんなわけないだろ >>19
> 銭湯は混浴だし宿場の飯盛女と簡単にやれたんだぜ
銭湯は混浴だったけど
時間帯で客層が入れ替わっていた(強制ではないが)ので
我々のイメージする混浴とは違いがある
飯盛女は
「◯◯って宿の飯盛女はヤレる」
みたいな情報が
旅人(例えば富士講)間で共有化や申し送りされたせいで
誇張されて伝わっている 人口:100万人
男性:70万人
女性:30万人
江戸時代の江戸は巨大な男子校 >>46
「指切りげんまん」の由来だっけ?
そういう大人の世界の風習が子供に伝わって遊びのネタになったりするんだよね。
「ずいずいずっころばし」も似たような感じじゃなかったかな。 > 江戸の一般庶民への梅毒感染率は実に50%であったとも推測される。(Wikipedia) 武家も商家も次男以下なんて婿養子のクチでもなきゃ結婚できんかったからな この時代の江戸って女とやるのに今より大変だったのかなぁ?
変わらない?
今だって金持ってる奴らは芸能人とやって、ない人は穂別苺でやるわけじゃない
ただ、年齢が今で言うJCやJKとやれた違いがあるの? >>82
それは初期
中期以降はそこまで大きな差はない
同じ江戸時代でも元禄以前と以降はまるっきり違うと言ってもいいので要注意 江戸の寿司って一個がデカかったんだよね。
巨大おにぎり並みの大きさで。 江戸中期から後期の居酒屋の品書き見ると肉類無いだけで今とあんま変わんないんだよな。
あと豆腐なんかは1丁がやたらとでっかい。 >>88
とは言っても時代が下って漁法も進化したはずの明治30年代統計では魚、貝、海藻の合計で6000トンくらいしかとれていない
江戸の人口で割ると一日にメザシ一本も食えていない計算になる >>44
頭巾じゃなくて手拭いな 基本頭巾は男の被るもの テレビもラジオもないし娯楽が少ない時代に男が大勢…
そりゃ梅毒にもなるし衆道に走る輩も出るわなw >>92
そら冷蔵技術発展してないからな、内陸での消費ができなきゃそんなもんだろ きゃっちあんどりりーす
きじまかなえてきなとうさく >>67
アホか
昔は煮炊きは全部、薪やら燃やしてた。
あっちでもこっちでも煙があがりススだらけ。
そんなことも知らずに江戸は良かったとかほざいてる知恵遅れは死ねばいい。 不衛生だし医学は発達してないし
町も人も臭かったんだろうな… 吉原なんて一般人からしたらまさに別世界だったんだろうなあ。 ハリウッド映画なんだと現生の中の密室としてよく描かれてるよな >>102
同時期のパリなんかの世界の大都市と比べてもかなり衛生的。 >>83
ずいずいずっころばしは大名行列かなんかで茶壺運ばれてて、それ邪魔するとまずいから戸を閉めて隠れたって話だったかと >>87
今と変わらないかと。
ただ無修正のエロ動画とかないから家でオナニーしかしない真正童貞は少なかったろね。 >>108
茶壺は大名行列じゃなくて
将軍への献上品を運ぶ行列だね
行列が通る間は
お茶に臭いがつかないように
沿道の家での火気使用が禁止されたそうな >>105
初期はそうだけど新吉原に移転以降は安い店も増えたし
買わないまでも吉原見て回るだけみたいな遊びもあって別にそこまで別世界ってわけでもない
まあ庶民には確かにそこらの飯屋や宿屋で買う方が一般的だったけど >>87
男女比が異常だったから武家社会の衆道が庶民層まで下りて来て
陰間茶屋出会いの男色文化が最盛期やったんやで
まぁ江戸の肉体労働者は病気持ちの立ちんぼもバッチコイやったらしいけど >>102
うん。たぶんそう。
それでもペリーは「江戸スゲー清潔て全然臭くない」って日記に書いてる。
欧米の町どんだけ臭かったんだよ。 >>25
さいとうたかをじゃなくて原作の池波正太郎で考えろよ。 >>74
江戸は朝に飯を炊き、上方は昼に飯を炊くからな
一日分炊くんでそうなる
関西で朝はパンって家庭が多いのはその名残とも言われている 独身つーても色々居たしな
地球の大きさ測ってみたい
と思った下総の醤油屋の楽隠居が
江戸で若い天文方に弟子入りして住み込み
師匠から
蝦夷まで行って測ってきなって言われたんで私財を掛けて蝦夷地探検
ついでに日本地図作った伊能忠敬とかさ >>117
そらパリは道路にうんこ投げ捨ててたし下水道のあるロンドンでもテムズ川から異臭が漂ってたし
何かっちゃ風呂行って堆肥につかう糞尿がほぼ管理されてた江戸とは大違いやわ 参勤交代で全国から江戸屋敷に若い家臣が単身赴任してるからな 御徒町は「おかずまち」がなまったものおかず専門の店が立ち並んでいた。うそだけど 当時から外食&テイクアウト文化
歌川広重(初代)『東都名所 高輪廿六夜 待遊興之図』 にも描かれている 一日五合白米食ってたって言うけど庶民は白米なんて食えないだろ 道は舗装してなくて埃だらけ
雨が降るとぬかるんでドロドロ
関東ローム層の黒い泥だ
麻や木綿の着物は漂白剤なんかないから白は生成りだし発色も良くない
歯を真っ黒に塗ったオバサンがニカッと笑う だって長男以外家にいらないし
結納金なんてないしね >>130
江戸という地域は特殊なのよ
通貨がわりに全国から集められてたから飯だけは豊富 >>130
糠取ったら白米になるから食おうと思えば食えるやないか >>20
それは戦争に負けて西洋の文化が広まったから
今の時代ホモになったら社会的に終わるだろ?
理解したらホモになるから理解しないように防衛本能が働いてるんだよ >>86
商家は女子相続が一般的だったそうだぞ
雇人の中で商売の上手い者を婿に迎えるのが普通だったそうだ >>136
確かにバカ息子に継がせたら店潰れるもんな合理的だ あと五十近くまで結婚せずに江戸で俳句三昧だった小林一茶がいたな
継母が怖くて長野の実家に帰れなかったそうな 納豆売りが毎日来てたらしいね
当時はひきわり納豆だったらしい
そんで納豆を味噌汁の中に入れて食ってたとか
うまそうじゃん 元禄以降とくに吉宗からあとの日本の経済基調は米価安の諸色高っつうて基本的には米余りやったんや
白米も別に珍しいもんじゃない >>117
幕末の南蛮人の感想。
「街が綺麗でゴミ1つ落ちてない。みんなニコニコしてる。」
→人口に比べて資源が極端に少ないから徹底したリサイクルやってた。
ゴミ拾い専門の仕事もあった。
「なんか皮膚病がやたら多い」
→たぶん着物のせい。布が高価なんであまり着替えをしない&洗濯しないからかと。 独身が多いってのは知ってたがつまりは結婚できるやつが結婚して子供をたくさん産んだから種は保たれてるわけだろ
現状結婚したって繁殖に貢献できないのに結婚しろって言ったって少子化は解決しないわな 江戸はちょっと特殊だからな
日本全国あんな感じだったわけじゃない >>107 >>117
なるほどな
パリ中心にヨーロッパで香水が作られたのは糞尿や体臭を消す為だったっけな
日本人体臭無い方だと言われてるしペリーからすると臭いカテゴリーに入らんかったのかなw >>137
大店の場合は男子は支店をもらって強制独立だったそうだ
本店は姉か妹が相続、男子はもらった支店を潰したら終わり
バカ息子は自然淘汰される世界 >>144
日傘も元々は上から降ってくるウンコよけだったそうだ
雨の日のパリはウンコの泥が道を流れて
とんでもない悪臭を漂わせてたんだとさ >>141
皮膚病が多かったのは着物のせいというより
風呂屋が風呂の水をあまり変えてなかったせいらしいぞ 若年性のボケってのは水俣の緊張から逃れるための逃避なんだと思う 清潔は快楽だからダメってのはキリスト教の影響だからな
だからパスツールなんかが細菌と疫病の関係を発見すると180度転換したw >>144
だもんで、現在の日本のコスメティック市場でも…香水が全然売れないそうな…
乳液や口紅なんかは物凄い上得意様らしいが… 地方都市はどうだったんだろうな
江戸大阪京都名古屋?以外の 超リサイクル社会だったからな
ゴミでもウンコでもリサイクル可能なものは何でも回収されたらしいぜよ >>152
そのへんの農村地帯みたいなもんじゃないのかな
肉も地方は自由に食ってたと聞いた 江戸マンセーもいい加減にしろ。
近世以前の都市は基本的にスラム街。
今のインドのカルカッタなどよりはるかに悲惨。
衛生環境劣悪で死亡率は農村部よりはるかに高く、伝染病蔓延。平均寿命も短い。
都市の死亡率が農村部を下まわったのはようやく大正時代になってから。
清潔な水もない。ドブのような水を汲んで生きてた未開土人。
徳川将軍家はおろか明治天皇の子息ですら半分以上が大人になるまでに死ぬ衛生環境。 江戸マンセーとか言いだしたよ
イライラしてんの結構紛れてるけどなんなのこれ >>159
江戸時代は実は良かった
庶民は豊かだった
という最近のクソ風潮は辟易。
高度経済成長以前の貧しい日本すら知らないガキのタワゴト 人工都市で男を全国から集めて働かせたから
そもそも武士も参勤交代で男だけ江戸に来てるからだ
しょうもない >>161
元禄時代までの開拓時代の江戸の男女比の差は著しく
遊女が客をふるとかがありえたが
江戸中期以降の成長が止まって以降は男女比が是正され
遊女が客を選り好みすることもなくなった。 >>160
オレもおまえに賛成だ
いま語られてる絢爛な江戸文化なんてそれぞれの業界が誇張して言ってるだけだ
誰も損をしないから言いたい放題 彦根藩の井伊殿のお中元お歳暮は毎年肉の味噌漬けで
殿様たちから大変好評だった >>158
水道あったけどな
現代と比べても意味はない
同時代の世界の都市と比べてみ >>160
なんだかんだ言っても今の時代の日本が地球生まれてから一番いいわな >>160
高度成長前なんて戦争で社会も壊滅した地獄なんだけどな
江戸時代みたいな平和な秩序が300年も続いた時代じゃない
アメリカから洗脳教育されて日本は悪い国、日本人は悪い人だったって教育されたんだからな 吉原では女郎の格によって客を拒む権利のある者とない者がいた 吉原の街割りは現代もほぼそのまんま
見返り柳から大門への五十間道とか >>165
江戸のご自慢の水道は
ただの川の水を引き入れたただの水路。
消毒されてるわけでもなく、江戸市中は流れが淀んでボウフラが湧いてるような代物。 そらその時代の世界に比べたら江戸時代の日本は治安最高だけどね
なんせ農民の女性が女性だけもしくは一人で町に芝居を見に行けるほど平和だったらしいし
士農工商の差別もなかったし農民から武士や商人に普通に職替えしてるし
武士だって農民になったりするし 江戸時代は結核も天然痘も梅毒もはやりまくりだし
コレラはコロリといって恐れるしかなかった
病気に強い人間だけが生き残ったってことだわな >>170
消毒ってなんだよ
現代と比べてどうこう言ったってしょうがないだろ
虫垂炎で死ぬ頃なんだぞ >>172
梅毒で鼻もげても男の勲章とか言ってた精神力凄いと思ったよ >>171
昭和30年の日本ですら
夕方以降に出歩いたら人さらいに連れて行かれる
といわれてたのに
この江戸マンセーの感覚どこから来るのか理解に苦しむ。 独身が多かったのは分かったがそいつらはセックスには不自由しなかったのか? 江戸時代は土葬がまだ主流だったからか当時の頭蓋骨とか残ってるが
それ調べると梅毒患者の割合凄かったらしいね 病気に関する知識も無く治療法も無いのはどこ行っても変わらない時代やろ
急速に差が付き始めたのは産業革命以降 >>175
マンセーはしとらんよ
現に君に賛同のリプ送っとるがな
その時代の世界に比べたらってだけ なんだか自虐史観に躍起になってるのがいるなぁ
流行んないぞ今時ぃ レンタルふんどしがあったらしい
しかも返す時洗わなくてもおk 近代以前の人口ピラミッドは綺麗な三角形。
産まれて1年以内に半分死ぬ。
20歳になるまでにさらに半分死ぬ。
で年々どんどん死ぬ。
女はお産でもどんどん死ぬ。
60歳まで生きるのは1割もいない。 >>175
>昭和30年の日本ですら
>夕方以降に出歩いたら人さらいに連れて行かれる
>といわれてたのに
知らんなぁ >>170
じゃあほかの国でも水道引けばよかったんじゃね? >>176
何のために手がついていると思ってるんだ >>176
セックスには大らかだったみたいだからまぁ
>>177
杉田玄白が診察していた患者の半分は梅毒だったなんて話も 平成も終わるのに標準語も書けないで、やろやんやろやん方言丸出しの田舎の馬鹿百姓は恥の概念が無いの? 江戸時代の男ヤモメってハードボイルドなイメージだな。
念仏の鉄みたいな。 武士の娘は貞淑であることが求められたが
農村なんかもうね
だから誰の子でも村全体の子でもあった 長屋に女連れ込んで鼻息荒く俄に布団敷き出すとか興奮するシチュエーションだなぁ。 江戸は土地を継げない農家の次男三男が大量に上京して男の数が女の二倍で半分は結婚できなかったんだってな オレや皆もそうだけど太古から続く遺伝子が今現在もの考え存在するオレ自身だよな、このまま子を残さず死ねば太古から脈々と受け継いだ「存在」をオレが止めるって事になるな、ある意味凄い事をやらかそうとしてるな‥‥コッ、怖い! 日銭稼いで女郎屋通いして交通事故感覚でお武家さんに手打ちにされて絶命するとか野良犬みたいな人生憧れるな。 ・夜鷹って現代でいうといくらくらいなもんだろ
・旗本ヤッコって糞ウゼェだろうな殺したい
・長屋の便所が肥料として売れるんでその分家賃が安くなるとかウンチ製造でお金稼げるヤッター! >>195
たぶん夜鷹より現代のピンサロなんかのほうが安いんじゃないかなぁ? >>192
いとことか兄弟が子孫残したらご先祖からすれば誤差っしょ そもそも恋愛って言葉そのものが無かったわけだから男女関係も気楽だよな。 >>184
ただの水路の水道なら古代ローマの紀元前に既に引かれてる。
近代の上水道と江戸の自称、水道は別もの。 必殺仕置人で日照りで渇水な上に悪徳商人が井戸を封鎖して暴利を得る話があってな。
念仏の鉄たちが川の水を沸かして飲もうとするんだけど、それ室内で沸かしてるから木炭はあったわけだよ。
炭があるならそれなりの濾過装置も出来るわけでな。 >>200
> 近代の上水道と江戸の自称、水道は別もの。
近代と比較するのが間違い
その当時の外国と比較すべき
>>170
> 消毒されてるわけでもなく、江戸市中は流れが淀んでボウフラが湧いてるような代物。
この辺りは無知をさらしてるな
当時水道を消毒している外国などないし
水道管は地中に埋められているから
ボウフラなど湧かない 来日した西洋人が手記で日本を褒めていたりするけど、
当時の西洋ってあまり先進的じゃなかったからインドみたいな現代ではあまり発展してないような地域でも治安や識字率が良いとか結構褒めたりしている
今の識字率が高くて清潔な西洋とは全く違ったからな >>195
2000年の頃にタモリ倶楽部で大エロ奉行をやった時は
夜鷹は今の値段だと約700円くらいだと解説していたが たちんぼしてる女なんて店で売り物にならんレベルだろうから安いだろうな >>139
アッコちゃん来るかと団地のはずれまで出てみたが 李氏朝鮮ではそれなりの地位なはずの朝鮮通信使が日本で農家から鶏盗んだり国へ帰る前日の宿から寝具を丸ごと盗んで船に積んだとか
江戸時代の朝鮮なんかとんでもなく遅れていたし愚かで貧しかったから、日本の江戸時代を少しでも持ち上げると死ぬほど怒りたくなるような連中はいるんだろうな 当時の他の国よりーは結構だけど
すでにロンドンでは地下鉄走ってたからな
議会も開かれてたし 鬼平の軍鶏鍋と鯉の皮の酢の物食いながら
井戸水で冷やした冷酒をキュッと飲みたい
つーか鬼平の火盗改めのメンバーは斬り合いになるかもしれない捕物の前に日本酒飲んだりしてるんだけどあれは酩酊的にも大丈夫だったのか? >>214
江戸に井戸はない。
掘ると海水出る。
だから水道を引いた。
で、その不潔な水を伝って赤痢などが流行りまくり。 まぁサステナビリティだ循環型社会だ低成長でも大丈夫だって意味で江戸時代を称揚するのはアホだわな >>213
実際、西ローマ帝国が滅んだ後、ヨーロッパでは文明が退化するしな。 >>215
深井戸の技術が確立してからは井戸になって水道が廃れたと聞いた >>208
李氏朝鮮は江戸時代と比べられるけど、平安時代に近いからね。
貴族社会で庶民が歴史の表舞台に出て来る事がない。
日本の江戸時代は武家社会だったが主役は庶民だった。
ま、李氏朝鮮時代には貴族文化が花開く事も無かったが。 お江戸でござるは面白かったな
ただヒナコせんせは江戸愛が強すぎて検証が雑というか全て美しいほうに解釈 https://youtu.be/-eNbVK63S8A
明治33年でこの喋り方なら江戸人くらいなら現代人とも意思疎通はできそう >>214
当時の日本酒はかなり薄めてたらしいぞ
だから当時の大酒飲みの話も大げさじゃなくてほんとにそれくらいは飲んでたかもしれん >>209
あの時代たぶん日本が傑出してたのって
識字率とか貨幣経済とかじゃない? 来訪した外国人が街が清潔だったという感想を残してるのは
みんな直行で日本に来てないからだろ
セイロン、シンガポール、ホンコン、マカオ
アジアは暑苦しくて臭くて不潔な土人の住むところと思ってたら
東アジアまできたら比較的マシな国もあった >>229大都市でも通りが糞尿で埋まっていたような国からしたら東アジアや東南アジアは清潔な方なのでは? >>229
ゴミもウンコも金になったから個人の専門業者が競って拾ったり買い取ったりしてた。だから実際に清潔だった。あと銭湯も流行ってたしな 江戸時代の遊女は常連客にはおしっこを飲ませてあげたりしてたそうだけど
いつの時代も男は女のおしっこもしない飲みたがるんだねえ畜生め >>231
そのへんの話も面白いから広まってるが自分で検証せずにホルホルするのはどうなんかね
ローマにゃすでに水洗便所があったし
14世紀のロンドンでは糞尿を捨てると罰金てな法律もあった
ベルサイユ宮殿が汚いつっても中世のいつ頃までの話だって調べたのか
石畳を敷き馬車を走らせていた国だぞ
19世紀の江戸が17世紀のヨーロッパに勝っても自慢にゃならん >>232
昭和になっても1週間に1回しか髪を洗わなかったのに
何を勘違いしてるのやら >>22
エイズってアフリカ発祥のレトロウイルスだろ
元々は猿か何かが持ってたはず
どういう経緯で人に移ったのか
獣姦? >>22
エイズウイルスは昭和に生まれた
そろそろ寿命が尽きる >>236
どこの地方の話だ、そりゃw
ついでに言えば
昭和の髪型と江戸時代の髪型
どうすれば同じに見えるんだ?w 昔のアメリカじゃ週1回風呂に入るような奴は軟弱と言われてた 風呂屋が流行ったような記録はあるが
単純に100万人が毎日風呂に入るだけの薪が確保出来るかと言えばどう考えても無理だわな
大半は行水だろうし冬場は入ってないと見るのが適当だろう 鬼平犯科帳の原作に、鬼平が里芋と鱸の酢あえを気に入って「女房殿の土産にする、何かに詰めてくれ」て言う場面があったね 葛飾北斎の家はいわゆるゴミ屋敷で
家がゴミで埋め尽くされたら余所へ引っ越すのを繰り返していた >>74
江戸では朝、米を炊いた
福の神の大事なかみさんは寝ててもらって、
旦那がカマドの火に息を吹きかけて
力仕事だよね
間男が押し入れにいるのをわかってるけど知らないふり
かみさんに出て行ってほしくないから…
女だが泣けるわ
上方は、昼に米炊いて翌朝お茶漬けらしいね >>240
キリスト教自体が風呂を贅沢品として忌避してたからねw
ローマへの反動なんだろうけど、それで不潔になってペストが大流行するのだからもうね
(´・ω・`) 昭和に家風呂が普及してからは一気にいったんじゃないの
朝シャンが流行して朝晩洗うようになった頃は生まれてたのでその記憶にあるわ
薬師丸ひろ子(ちゃんりんしゃん)とキョンキョン(スーパーマイルド)が朝シャンしてるCMあったな
原作小説の鬼平と与力は密偵つかって張らせて自分らは外食ばかりしてるね
リアル鬼平は与力張らせて神道徳次郎の大捕り物やって表彰された人で有名だが >>234
そうだけどローマにかぎってはローマ時代が終わると文明退化した 朝便所近くの井戸水から水を汲んで釜に薪入れてサバイバル火起こしして
ご飯炊いて洗濯板で洗濯して夜は風呂の湯を沸かして・・・薪足りる?
長屋でエアコン無し冷蔵庫無しテレビ無しネット無し
時代劇の主人公って富裕層の役人が多いからな・・・
将軍や副将軍が庶民に権力マウント取る物語やで >>241
一日2-3回入りに行ったらしい
あっつい湯にざぶっと
土埃だらけで風呂無しで過ごすのはあり得なかったらしい 江戸の町人は銭湯でしょ
昭和も家風呂がない家は銭湯でしょ
神田川の歌詞に「横丁の風呂屋」が出てくる
明治時代の記録では夏は盥で行水はしてたっぽいね
当時のミスコンで髪の毛洗ってて間に合わず濡髪のまま人前に出たら
それが審査員にウケて優勝した「洗い髪のお妻」がいるので髪は別に洗ってたのかもしれない
ちなみに後の日本初のシャンプー広告イメージガールその人である >>7
吉原のお職なんて大名の遊び道具で、庶民には無縁 訂正>>250
ぐぐってみたらお妻はミスコン優勝してなくて特別賞みたいなもの?だったぽい
なぜ優勝と憶えてたんだろう
日本初のシャンプー広告はあってた >>19
宿場の飯盛女は非公認の女郎だったが
お目こぼしされていたのは常識レベルだと思うのだが >>242
芋酒と芋膾だな。
でも池波さんの作品に出てくる食べ物って自身が食べてきたものを参考にしてるから、必ずしも江戸時代にも存在してたってわけではないんだよな。 >>248
> ご飯炊いて洗濯板で洗濯して夜は風呂の湯を沸かして・・・薪足りる?
米を炊くのは朝の一回のみで、昼と夜は冷飯
湯を沸かしてお茶漬けにすることはあったかも
風呂は家にないので、銭湯が流行った
>>249
> あっつい湯にざぶっと
それは江戸後期だね
初期は水も薪も貴重だったから
今で言うサウナだった >>247
だいたいキリスト教のせい
あいつらはローマに迫害されてた恨みからか、ローマ的美徳を七つの大罪として全面否定し
当然ながら技術も継承せず、古くからの学問及び文字の読み書きは聖職者と貴族ら一部の特権階級のみで独占してた
その結果が、かの中世暗黒時代だよ
┐('〜`;)┌ >>248
着火道具としての火打ち石は、古事記の時代から既にあったよw
銭形平次で出掛けにおかみさんが火打ち石を鳴らして無事を祈る場面があるが
魔除けとしても使われてた(今でも入谷鬼子母神なんかで見られる) >>256
まあ家康も風呂つったらサウナだし
湯屋と言われるようになって銭湯形式になったのか、湯といったらサウナを意味したのか、
語源は知らない >>220
そんな連中が中世というのを「未開」とかそんな意味で使うのがバカみたいでさ
貴族社会から一歩進んで、御恩と奉公の契約的な身分関係が出てきた時代なのに
そんなのを全く経ず、周りの国の都合で古代呪術社会にいきなり近代国家が降ってきた国の人たちにバカにされる覚えはないと思うんだ >>225
江戸時代も後半になると口語は現代とそこまで違わなかったというね
「あいつマジやばい」が通じるとかなんとか >>248
洗濯板は無いよ
冷水で足踏み手揉み洗い 江戸時代なんてそもそも庶民の殆どは農民だ
町民しかいない江戸は特殊だよ
日本であって日本じゃない >>220
レス間違ったわ
誰が朝鮮半島と江戸を比べてるの?? 半七捕物帳は作者が江戸末期の風俗を実際に見たり聞いて取材してるから、そういうの気になる人は読んでみると良いかも
銭湯のシステムとか結構面白い >>13
釣りもしてたみたいよ
麻で糸作って
金持ちは女の髪の毛を釣り糸にしていたらしい 豪商がウナギを毎日昼に出前を頼んでて
冷えて届くから米の間に挟んで持ってこさせたのから
まむしが出来たって話だったよな
江戸時代長いから最初と最後では違うんだろうけども >>268
豪商じゃなくて歌舞伎役者の有名な人が楽屋に鰻を米で保温させて出前した、
と聞いたが そこらへんはカツカレーの起源主張する連中が何人もいるのと一緒だな 江戸で〇〇が現代の〇〇に通じる的な能書きは
ヨタ話やその業界の誇張が多いんだよな
個人的な見解では連続した文化は明治期に断絶してる
その後懐古趣味に訴えて復興したり商売の宣伝に利用してる >>271
風習や言葉の言い回しなんかは江戸から続いてるもんは多いよ
文化的に明治で1回断絶してるってのは正しくはあるけどすべてではない >>271
消防の近代化で消えた火消の纏振りも、
池上本門寺や雑司ヶ谷鬼子母神の御会式で残されている
※元々御会式は団扇太鼓を鳴らすのが主だったが、明治になってから火消が祭に参加して纏を振ったため
https://otaku-times.com/9572/ たとえば江戸前のうなぎは江戸とは何の関係もない
明治後期に皇居前つまり江戸城前の池で養殖していたうなぎのこと
この業者は後に浜松で大成功をおさめる
「うなぎは江戸前に限るね」これは「うなぎをもし東京で食べるなら皇居前の養殖うなぎが一番美味いね」という意味であって
江戸のうなぎが日本で一番美味いというのとはぜんぜん違う
たとえば「江戸っ子だってねえ、寿司食いねえ」というセリフがある
これもどんなに古く見積もっても明治中期の講談作品だ
江戸っ子が寿司が大好きで単純なバカならキャラ的に面白いから言わせてる
だいたい江戸の寿司は生魚じゃなくて煮たり酢で締めたり防腐処理をしたおにぎりみたいなもんで粋でもなんでもないしな まあ何が言いたいかというと
江戸と付いているものは眉唾なもののほうが多い
やれ寛永何年創業だの
ここの蕎麦には由来があって
神君家康公がなんとかのおりに
なんてのはほぼハッタリ
単なる誇大広告なのよ
元ネタに使われまくってる歌舞伎も落語も昭和中期に復興されたもんでしょ 制裁の決定打は IMF救済の拒否である。
すでに日本が制裁せずとも国家破産は既定路線である。
しかしやつらはIMFによる救済をあてにして
また三年ほどで浮上できると考えている。
その希望を完全に絶やせ。
発言権の低い、貧しい衛星国家へと変貌させよ >1 >200-279
ああ、東京都心部ってハイパー危険だなw
幸田真音 著
「―ガラ―日本国債大暴落 国債金利ギガ上昇 超増税、大恐慌」
ここらが、もうすぐ来そうだなw
元禄関東巨大地震 江戸幕府公式統計で、24万人以上死亡
安政南海トラフ超巨大地震 (関東地方南部に巨大津波)
安政江戸大震災 (阪神淡路大震災クラス 江戸都心部が壊滅、幕臣多数圧死)
安政江戸巨大台風(伊勢湾台風クラス 10万人死亡)
黒船襲来後の、桜田門外の変、
天狗党の乱 関東地方西部内戦 戊辰戦争 世直し一揆巨大暴動
明治時代、秩父困民党の大乱
大正時代 米騒動で東京都心部でも大型暴動
昭和時代 515 226クーデター 東京大空襲
明治 大正、昭和にかけ、東京都心部水没級の、ギガレイン大水害が、複数回発生
大正関東大震災 12万人以上死亡
昭和東京大空襲 10万人以上死亡
1960年代以降
日米安保暴動 新宿駅大騒乱 首都圏国電同時多発暴動
1980年代まで、山谷暴動
1988年
イランのスリーパーセルによる、
サウジ航空東京支店
日本にあるイスラエル大使館
ここら同時多発爆破事件
ショウワノミクス巨大投機狂乱バブルからの、
出口戦略、構造改革、総量規制、緊縮財政 増税加速に、ヤクザが逆キレ。
オウム真理教テロ団 サリン事件 国松警察庁長官銃撃事件。
八王子スーパー3人銃殺事件。秋葉原 派遣奴隷 加藤の乱 多数殺人。 江戸時代には「ちんこ切り」っていう職業もあったんだよな。 >>278
ひたすら堕胎を繰り返して、妊娠できない身体を目指す >>246
朝シャンってのはつまり日本髪やらカーラー巻いてスタンドドライヤーに入って作るような髪型が廃れたからだよね。
サザエさんみたいな髪型の人は基本的に自分ではシャンプーしなかった。 >>275
江戸時代の文化風俗なんてのは池波正太郎のが1番まだリアルなんだろうな。
夏に河口で捕れる魚を食ったりする描写なんて現代では消えてしまった風習だもんな。
しかし日本の食文化って幕末ごろにコレラが蔓延してから劇的に変わってるはずなんだよな。
たぶん薪で熱々にしてから食べるや飲むやするようになったのはそれ以降なんじゃないかな?
それまでは炭でちまちま。 >>275
浜松がウナギ養殖の好適地として現在の養鰻業の基礎を築いた人は確かに元は江戸の川魚畜養業者だけど
持ってた養殖池は深川で江戸中心地からは離れてるぞ
江戸前ウナギの語源はそれより前の話で江戸の運河域で捕れたウナギに対して利根川域で捕れたウナギを江戸後ろと言ったのが元
江戸前、江戸後ろのウナギの呼び方は平賀源内の随筆にも出てくる >>288
店主
「いらっしゃい!いらっしゃい! 初鰹が入ったよっ!! 江戸っ子なら女房を質に入れてでも食べとくれっ!!!」
客
「山くじらの肉、あるかい?」
店主
「あるよ(ボソッ)」 >>290
四つ足動物を食すことが禁制だったんじゃなかったっけ
鳥は2本だからおっけーだけど豚牛馬イノシシとかダメで牡丹鍋だのさくら鍋だの名前変えて出してたとかそんな感じだったきが >>290
聖武天皇の獣肉禁止令以後、肉食はタブー視されるようになったというが
隠れて食べるやつはいたし、江戸時代後期には獣肉を扱う店も増えた。
が、やはりおおっぴらというわけにはいかなかったらしい。明治維新直後も
牛鍋等の肉食に対する拒否反応は大きく、多くの文化人などが肉食が
いかに健康に与することを説いてまわった。そのうちの一人が福沢諭吉。 ジャニーズの仕事人観てみて思ったのはやっぱり時代劇にはオールバックが似合う俳優じゃなきゃダメだってこったな。 >>278
濡らした紙や綿を奥に詰めてペッサリーみたいにしてたそうな。
妊娠したら堕胎薬使ったり産んで子が欲しい人に譲ったり。 男児の出生時死亡率から考えたら決して男が余ってたとは考えられませんけどね。 >>293
すでに単なる風習として獣肉食わない事になってた。
地域によっては平気で食ってた。
薩摩とか軍の携行食として豚を連れて行くんで、豚のトサツ、解体とかも武士が平気でやるし、
西郷どんが激太りしたのは豚肉の食い過ぎだし。 なんかこのスレ、豆知識みたいで面白い
もっとどんどん書いてくだされ >>296
江戸に限った話しだしな。
武士は参勤交代やら江戸屋敷勤めで男だけが集まってる。下人なんかも付いて来てるし。
出稼ぎの職人、大名お抱えの建築職人なんかも集まって男パラダイスやで。 銭湯があったとはいえ毎日入れないしね。お湯もすぐ汚れるし。
我が輩は猫であるでも「あんな汚いお湯に浸かると、かえって汚れるのでは」とか書くれてる。
温泉地とか当時は本物の極楽だったんだろな。 実際に江戸っ子は毎日銭湯に通ってたから肌が白く「垢抜ける」の語源となった >>293
イノシシや馬をそのまま看板に掲げるとあれだから
牡丹や桜になったって聞いた >>4
タンパク質をまともに取れる数少ない手段だからな、すくねぇけど
梅干し一個で糞みたいにご飯食うんだぜ
当時のかっけは田舎から出てきて白米うめぇwwwって食事バランス崩れた田舎もんがメイン
江戸の外から来た人がなりやすく、それをみた他の田舎もんが「江戸わずらい」って呼んだわけよ
住んでるうちに田舎みたいに米ばっか食ってると駄目なんだなってなんとなく分かってくるんで
おかずやらでバランス取るようになる 男児の方が出生率が多いから
戦争がないと男が余っていくんだよな
「嫁を質に入れてでも」と言うのは
それほど大事な嫁を出してでもというものすごい話だった >>293
生類憐れみの令なんてのも綱吉の時代に獣肉食がブレイクしそうだったから、旧来の風習と秩序を守るためのものだったって説もあるらしいね。 >>308
男児は生まれても幼児期に病死することが多い。
女児よりどうしても抵抗力が出来るのが遅いんだな。
母親から受け継ぐ抵抗力や母乳から受ける抵抗力が女ものから息子の男ものに変換されるまでのタイムラグがあるとかなのかな?
故に医療や衛生の観念が低かった時代には男児で大人まで育てる場合が少なかった。
今でも行進国では男児の出生時死亡率高いから男は働き手として女より大事にされることが多い。 >>302
江戸時代の温泉宿は料理が出ない素泊まり
料理できない奴は出来る奴連れて行ったとか >>52
江戸が世界でも最大規模の都市で
諸外国にはまだなかった庶民文化が花開いていたことは間違いない事実だし
今さら江戸下げしても始まらないぞw >>310
1721年(享保6)の江戸の町人人口約50万人
男性32万人、女18万人
まぁ地方から出稼ぎに来ていた男が多かったのかも知れ無いが >>22
安心しろ代わりに梅毒は腐るほどあったぞ
女遊びするやつの中には梅毒で鼻や耳もげたりするのもいたくらいだからなw
あと江戸時代でも獣肉は普通に売ってたぞ、ももんじ屋ってあるくらいだからな
扱う肉は猪・鹿といった農害獣、犬、狼、狐、猿、牛、馬、鶏
ただ扱いはゲテモノ食いや、武人や病人に滋養をつけさせたりするための薬扱い
当時はタンパク質とかそういう栄養素の知識なんてなかっただろうが
本能や実感として「肉を食べると身体に力が沸いてくる」といったことは知られていた
それと彦根藩では牛肉の味噌漬けを滋養強壮薬として出して幕府や他藩から大人気
猪・鹿・牛・馬あたりは結構食べられた、あと犬肉は精力剤みたいな扱いされてたりすることもあった
だから朝鮮併合したときとか、朝鮮旅行いって赤犬肉食って女買うみたいな話も残ってる 今では繁華街の池袋は、江戸の頃
雑木林が広がって昼なお暗い場所だった
それ故、しばしば辻斬りが現れたそうだ
(享保年間では一晩で17人が殺された事もあり、その供養のため建立されたのが四面塔)
あそこは巣鴨プリズン以前から曰く付きの場所だったわけだ >>315
江戸は元々どんどん広がって行った町だから
四ッ谷だって怪談が似合う鬱蒼としていた時代もあった 俺んち江戸時代は千駄ヶ谷で米と大根作ってたんだけど
見渡す限り田んぼと畑で20軒くらいしか家なかったみたいだな >>311
> 江戸時代の温泉宿は料理が出ない素泊まり
どこの温泉の話か知らんが
例えば箱根なら頼めば料理は出てきた
長期宿泊で費用を抑えたい湯治客向けに
素泊まりプランもあったがね >>318
昔は旅籠と料亭と置屋が全部別々だったんだろうな。 >>312
江戸時代の庶民文化と言っても
前半の元禄時代は上方は主体
江戸の都市文化は文化文政期以降
だが、その時代は低成長時代の失われた100年 >>318
江戸時代の宿場は基本的に庶民は自炊。
とにかく宿賃が高かったから、夜明け前に出発して日が暮れるまで駆け足で移動できるだけ移動して、宿泊日数を減らすにが基本。
しかも街道は今の登山道レベル。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています