なぜ普天間は危険になった? 閉鎖一転、本土から部隊増
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/384323
宜野湾市のど真ん中に位置し、市の面積の約25%を占める。海兵隊の主力輸送機オスプレイ24機のほか、55人を一挙に運べるCH53E大型輸送ヘリ12機、AH1Z攻撃ヘリ12機など、計58機が常駐する。
外来機もたびたび飛来する。

 市によると、周辺には120カ所の学校や公共施設などが存在。そもそもなぜ危険になったのか?

 米軍は1945年の沖縄戦で占領した土地に普天間飛行場を建設した。その施設管理権は57年4月に陸軍から空軍、60年5月に空軍から海兵隊へ移った。

 59年7月には海兵隊のヘリ中隊が、普天間に移駐されたと新聞記事に残る。
地上戦闘兵力である第3海兵師団は57年までに沖縄へ移転したが、普天間の航空部隊はヘリ4〜5機が常駐するだけで、「休眠状態」だったといわれる。

 68年12月には、米国防総省が普天間の閉鎖を検討していたことが米公文書で明らかになっている。所属機は69年でヘリ4機、固定翼16機。これでは「朝鮮半島有事で決定的な役割を果たせない」と分析していた。

 ところが69年9月、首都圏の航空基地を整理縮小する目的で、神奈川県厚木基地のヘリを普天間に移設する計画に修正。
69年11月から、第1海兵航空団第36海兵航空群の拠点施設となり、70年以降、ヘリ80機、固定翼26機に増強された。76年返還のハンビー飛行場などからの移転もあった。

※爆音訴訟でも、帰郷民に責任はないと判決がでているし。自然増で沖縄責めるとか
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