日本の歴史上海外で最も成功した人物は「阿倍仲麻呂」
2019年2月10日 15時0分

(中略)
一般の人々の活躍に反して、歴史上の人物として名前を残している人はあまりいません。

ジョン万次郎は、難破し漂流した後、アメリカの捕鯨船に助けられました。
船長の好意でアメリカ本土で3年間大学で学び、その後、捕鯨船で働き、
カリフォルニアで金鉱を掘り船を所有するまでになり琉球へ渡りました。
その後の活躍の場は日本でしたがアメリカ側の通訳として活躍しました。

山田長政は、シャム国のアユタヤに渡って日本人町の長となりました。
活発に貿易を指導し、地元での治安維持にも活躍したことが知られています。
そして、隣国リゴールの太守にまで出世しました。
でも、江戸時代に活躍した、この2名ぐらいしか名前が思いつきません。

(中略)

阿倍仲麻呂が驚異的なのは、次々と出世していき、位階を上げていったことです。
官僚になって10年後の731年には左補闕(さほけつ)という侍従で皇帝の過失を補う役につきます。
これが従七品上。
735年に儀王友、これは玄宗の子供の儀王の陪従(べいじゅう、付き人のことです)のことです。
この役職が、従五品下。本来なら、既に四品上がりましたから、慣例では、ここで打ち止めです。
しかし、彼はもっともっと出世し、左散騎常侍(ささんきじょうじ)という皇帝の側近として
詔や命令を伝達する職務につきます。まさしく、皇帝の側近中の側近。
過去には宦官がこの職を占め国が腐敗したことで有名です。位階は正三品です。
いかに皇帝から信頼されていたかがわかります。

(続きは以下ソース)
http://news.livedoor.com/article/detail/16001771/