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「元号(平成)制定の舞台裏」シナリオになかった小渕氏によるサプライズ

「平成」の元号は1989年1月8日から施行されたが、国民にとっては前日の7日、小渕恵三官房長官(当時)が会見し、臨時閣議で決定した「平成」の墨書を掲げたことで“始まった”。
新時代の幕開けとなるこのパフォーマンスについて、官房副長官として小渕氏を支えた石原信雄氏(92)は「あれは発表の手順にはなかった」と証言。
今だから話せる秘密裏に進められた元号制定の舞台裏とは。 (取材構成・山内倫貴)

 「新しい元号は『へいせい』であります」

 1989(昭和64)年1月7日午後2時36分、首相官邸で会見した小渕は緊張の面持ちで「平成」の額を掲げた。約20秒静止し、報道陣から無数のフラッシュを浴びた。

 平成の元号は翌8日からの施行だったが、小渕と同じ群馬県出身で、官房副長官として改元に尽力した現財団法人地方自治研究機構会長の石原は「国民にとっては、まさにあの会見から平成が始まった」と力説する。

 国民の記憶に残る歴史的会見について「会見の段取りは承知していたが、額を掲げたのはシナリオになく想定外。
小渕さんの独自判断だと思う」と打ち明けた。小渕に額が届いたのは、会見のたった15秒前。墨で書かれた文字は生乾きだった。

 昭和天皇の崩御が報じられたのは午前7時55分。その後、有識者8人による「元号に関する懇談会」→「全閣僚会議」→「臨時閣議」を経て決定された。
まず、「元号に関する懇談会」。石原は8人に「情報漏れがないように」と念を押した上で、候補の3案が書かれた封筒を配布した。

 3案とは「平成」「

(以下省略)