中国の歴史の本って2200年位前のが緻密に書いてて時代若くなればなるほどだらしなくなるよな
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>>53
天下って概念がつよいのだろうな。
なんとなくユーラシア東部の平原地帯は一人の皇帝が治めないといけないっていう謎の価値観のせいで、
ユーラシア東部の全部の国を亡ぼすまで戦争しなきゃって使命感が生まれる。 客観的に中国中華ってどうみても南朝までだからな。
中華的連続性、伝統性は南朝まであるけど以降は駄目。
所詮隋とうは北朝の鮮卑朝
宋はただの権力乗っ取り政権
明はカルト教団の出身者政権
清は正しい政権だが遊牧ーオルドス縁石貴族朝
中国貴族ってのは
周部族首長
漢系ー南朝まで
鮮卑
オルドス朝
以外に貴族的な系譜、系統ないからな >>58
その遠因は遊牧の糞が平等的な体制ぶっ壊したのが理由
遊牧北朝がクズすぎた
で最後は遊牧貴族以外そんざいしなくなって清朝が生まれるの
で袁世凱チンパンが死んだら、レイプ国民党が乱を起こして日本軍が処刑したが
日本軍は米軍に負けたので共産党支援して勝たせたのが事実 >>53
少しちがう
何故か異民族の居住地まで肥大化する
が正しい
だからあの暗黒大陸に日本が覇を唱えたら
数百年ないし数千年後には確実に
ヤマト民族自治州列島になってる
だからあの大陸は権益以外は関わらない だって、隋から清までずっと北方民族に支配されてたんだもんw というか時代が下ると官僚の履歴書みたいになって読み物として詰まらない
宋以降になると正史以外の史料もアホ程増えるしな >>12
趙翼さんとか
宮崎市定なんかは正史全部読んだと聞いた >>49
総人口100万程度の遊牧民が1億の漢族を吸収消滅できるわけないだろ
逆だ
支配者になった異民族が言語も風俗も漢化されて民族のアイデンティティを失って
漢族に吸収されるの繰り返し
モンゴルが例外。満州族は辮髪強制で頑張ったけど三代目でもう中国語使うようになってる >>59
良く言われる朝鮮は通り道って
実際は日本が求めたのは南朝の漢文明だから
東シナ海特攻ルートで交流して朝鮮は通り道にもなってないんだよな 帝を倒すことに成功したらそれは天命を受け
新しく中国人となった正統な帝なんです
いや中国に侵攻しようと思った時点で
中国人なのかもしれない >>66
圧倒的多数の農民支配するのに漢族の官僚使わないといけないし
既存の法制度もそのまま運用しないといけない
漢族の女をハーレムに連れ込むせいで生まれてきた子供は
後宮で漢族の母親と漢族の宦官に育てられるから中国語しか話せないんで
二代目三代目の皇帝は漢族の官僚と親しんで直ぐに漢族化してしまう すごい素朴な疑問なんだけど、南蛮の王の孟獲ってゲームや漫画とかで変な感じで描かれてるけど、現代ではどの辺の地域の人になるの? >>70
局地的に見れば少数の支配民族が被支配民族の漢族に大きな影響を与えた例もあるよ
元代に雲南省を治めたペルシャ系のサイイド・アジャッルは誰もが認める善政を敷いたから住民が続々とイスラムに帰依した
今も雲南省の沙甸一帯は回族だらけで、文革時代には共産党と宗教勢力の衝突まで起きた 日本も日本書紀では野見宿禰が古代相撲で相手蹴り殺すとか濃厚な描写してたけど
今の時代のバトルシーンなんてキンキンキンキンキンキン!だぞ >>71
あの辺はタイ系の民族だったと考えられてる
タイ語族も雲南あたりが発祥で、そこから長江下流にまで広がっていったらしい
今でも湖南省や広東広西にいろんなタイ系民族が残ってる
この民族がタイに渡ったのはせいぜい12世紀ごろの話だ 安禄山はロクサーヌとかいうトルコ系だったってなんかで読んだけどマジ? >>75
詳しい解説サンクス!
三国志を最近になって少しずつ興味持ち始めた人なので、勉強になります。 インドも復興した古い建物とタージマハルみたいなあたらしめのインド建築ではかなり違ったりするんだよな
やっぱ古い奴はチベットやネパールに似た感じがある >>80
そんなわけないやん
根拠もない戯言信じるなよ
とはいえ12億にまで膨れ上がったのは最近の話で、日中戦争期で6億ぐらいだったと思う
昔の方が民族総入れ替えのチャンスが大きかったのは確かだけど 陳寿が書いた古国史読みたかったな
倭についての記述もあったかもな 後の時代で都合のいいように書き直すからな。
勝てばいいように書き直し、負ければいいように書直される。
辻褄合わせなのはしょうがないんだろ。 >>77
ソグド人じゃなかったか
当時の唐にはソグド人が沢山住んでいた >>65
漢の最盛期が5000万じゃろ?
三国志の時代の後、
晋の人口が1000万くらいじゃろ?
100万人くらいの異民族が5部族も来て華北を占領して居座ったのだから、人種代わってるんじゃね? >>88
100万人の部族が5族も侵入したのっていつの時代?
そのころの中華の人口はどれぐらいだったんだろう
あと一般論として、そこまで大きい民族集団になるとわざわざ他民族と通婚する必要がなくなるから却って混血しにくいよ
台湾に入植した漢人なんかも原住民の嫁を取ったのは初期のうちだけで、入植者が増えるにつれて漢族同士でしか結婚しなくなってる 人種は確実に入れ替わってると思う
が、それは中国に限らず、ローマやギリシャ、中央アジア一帯でもそう
だから、入れ替わってるからなんだって感じではある 日本人って唐ぐらいまでしか認めないのに、明以降の中華料理は認めてるのはなぜだ?
日本の改造中華料理も調理法やレシピの土台は明以降の料理だ >>91
混ざってるんだろ
入れ替わるってなんだよ 区切りもないし。 >>92
唐以降の支那王朝も日本に大きな影響与えてるだろ
鎌倉幕府の日明貿易とか
鎌倉新仏教は基本明の仏教思想が土台になってる >>95遣隋使を廃止してからは影響受けてないとか、
日本の中華料理は古代中国のアレンジで清は関係ないとかいうレスをたまに見かける だが、
日本のお陰で、史書も半分残ってるようなものだしw >>96
とんでもない間違いだな
鎖国で有名な江戸時代でさえ出島と琉球を通じて明清と交易してる
行灯(あんどん)とか外郎(ういろう)みたいな唐宋音で読む単語はこの時期に入ってきたものだよ
料理には詳しくないけど黄檗宗の精進料理とか長崎の卓袱(しっぽく)料理は江戸期に伝わったものだ 王朝も人も移り変わっていくのに、なぜか一つの文化を継承し続けていく不思議な国 >>95
沖縄県には申し訳ない話題だけど、明帝国の文化の受け入れ方が、大和は東アジアの中でも独特なんだよね。
かなり厳しいスクリーニングがされている。結論からいうと、儒教的宗族の普及を完全遮断した。
多分、仏僧の活躍だと思う。道教風味の葬式は導入しても、儒教的宗族は断固拒否した。
沖縄はこの点東アジア標準なんだよなあ。明清の文化にどっぷり浸かってる。
男系の門中でまとまり、バカでかい墓を作って、ほぼ儒教のむき出しの祖先崇拝を行う。 先進国だったのは唐だったんだろうけど、自分は清のセンスが好きだからどうも邪険に出来ない
江戸後期〜明治期のそれの影響を受けたメロディとか好みだわ 中国史スレもいいがワンボーロンで立てるなよ
ワンボーロンも面白いニュースだろ >>101
別に申し訳なくないだろ
琉球が明清の影響を受けたのは事実だしそれは何も恥ずかしいことではない
でも沖縄の墓はみんなが思ってるより複雑で面白いんだよ
見た目は完全に福建省の亀甲墓だけど、中身は日本式の〇〇家先祖代々の墓なんだ
中国の墓は個人か夫婦単位で、一族が同じ墓に入ることは無い
ちなみに琉球で儒教思想のもとに建てられた学校の明倫堂は日本にも伝わって普及してるんだよ
日本が儒教を遮断してたとは言えないはず
朱子学は江戸武士の一般教養だったし ファーストネームのことをイミナとかいって言いたがらないから
ごく一握りの人以外後世に名が残らないアホな国 結局北方民族が壊してったからな
そこら辺は中世の西ヨーロッパとヴァイキングの攻防に似てる
違うのはキリスト教を受容して12世紀ごろまでにはある意味まとまったヨーロッパと
中国は19世紀までそれが続いたってこと >>106インドなんかも似てるけど滅茶苦茶時機が早いな
紀元前とかでもはや古代の出来事 >>104
決定的なのは、「男系宗族の存否」と、「祖先祭祀への仏僧の全面介入の可否」だよ。
この2点で、大和は東アジアの中でもかなり特殊。そして沖縄は完全に中華寄り。
この問題、死生観の根本と社会構造の根幹に関わる重大な話なので、
沖縄は大和とはかなり違うということになる。 史記と漢書を書いた人の名前は試験にでてもその後のは出ないからな
てか、正史の編纂が制度化される前でこいつら勝手に書いてたからな >>108
確かに日本の家制度は琉球には無かったね。琉球は門中制度だ
でもそれそんなに重要かな?日本だって御成敗式目以降は直系男子が家督相続するんだから社会構造はそんなに変わらないような
死生観でいうなら琉球の信仰の下地は鎌倉新仏教と古神道に近い御嶽信仰で、信仰の面では支那の影響は少ないよ
琉球文化って根本は日本のそれで、中華的な要素は後から加わっただけだ >>106
地政学的には、中国は亜大陸でヨーロッパは半島なんだけど、
「ヨーロッパ半島」は東西縦深が深すぎて、侵略者が西端まで抜けないんだよね。
ところが、中国は侵略者が簡単に北京から広東まで抜いてしまう。
南北移動で、南半分はわりと険しい山岳地帯と、北方民族には不快かつ不健康な蒸し暑い湿地帯ばかりなのに、
なぜ何度も簡単に抜かれてしまうのか、そのほうが不思議。 >>111
兵力をぶつける事が難しくなるからじゃね?
戦略的に田畑とか水源とか農村とか守る範囲が広すぎるから王の防御が薄くなる(´・ω・`) 焚書や文革で真実味のある歴史書の類は消えてるからな >>80
戦争で植民地支配して、支配力が弱まったらまた別の国に植民地支配されて
ということが繰り返されているイメージ 孟子とかそんな偉人と今の中国人が結びつかない
遺伝子学でも言われているように、長城を越えてきた野蛮人に置き換わったのだろう
中国人は改変された歴史を習っているのだろうが、「もしかして俺たちが野蛮人の子孫?」という疑問が浮かばないのだろうか 中原から楚人が周人に追いやられ
周人は周から下放された秦の祖の末裔秦人に敗れ
三者が徐々に一体化したが
晉末に外敵の侵入をゆるす
こんな感じっすかね? >>95
鎌倉時代は宋だな
江戸幕府の八州廻の役職は明の総督順撫を参考にしてるし
市井の庶民の娘を大奥に上げるのも外戚の影響を排除するための明の後宮制度が元になってる
武家諸法度を制定するときに明律を参考にしたけどこの時に明の書物が大量に入ってきて
落語や大岡政談の元ネタになったりもしてる
>>101
只、位牌は儒教の要素だって加地伸行の本に書いてた 王朝が代わる度に知識層が殺されたり亡命したりするから
今の中国人は残りカス >>119
明と交易してたのは室町幕府だな
なんか基本的な間違いしてた
どっちにしても唐以降の支那王朝とも交流が続いてて影響を受け続けたのは間違いないね
江戸時代の南総里見八犬伝は中国の伝説が元ネタだったはず
もっというと江戸期は一般庶民でさえ水滸伝とか三国志とかを読んでたみたいだね >>110
宗族の有無は決定的だよ。厳格な男系の「生物学的血統」で一族がまとまるかどうか?という問題。
大和は、宗族が「イエ制度」の形で、血統から家業にピントをずらされ、
「祖先への崇拝」が「先祖霊への供養」に宗教的にすり替えられている。
そして、ピントを外された残り部分が、「ムラへの地縁結合」という形で神社神道(氏神儀礼)によってまとめられている。
「氏」神という言葉だけ残っているが、血縁としての意味は大和では完全に消えた。
本土の人は意外に思うのだが、沖縄は、那覇都市圏なんかだと地域単位の祭礼がほとんど残っていない。
これは伝統儀礼が血族で完結するからで、
東京23区の住宅地で普通に行われるような、新住民も力を合わせておみこし担いでわっしょいというような
氏神の祭礼を行う余地が、「世間」として残っていない。 中国の歴史書は誰それがこんな歌を歌ったとか誰と誰かがこんな密談してたとか訳のわからんことだけ細かく書いていて
肝心なところがボヤかされてたりするからな なんか沖縄と本土は違うといってる人がいるけど
本題ともずれてるし
そもそも真意は何よ?離間工作?
だとしたら誰も聞く気にならないから失敗だね >>121
同じ沖縄県で言うのもなんだが、あんた教養あるな
すごい 素直にすごいなとは思うけどな
中国の文明がなけりゃ日本の発展もなかった訳だし 夏より前の王朝にロマンを感じる
それらしい遺跡はよ そもそも中国の歴史って中国の歴史として認識していいの?
その土地の歴史でしかなくね? 匈奴とか鮮卑とかの万里の長城の向こうにあった国の方が興味ある >>127
遼河文明とか三皇五帝のどれかに当たりそうでワクワクする
>>128
縄文弥生や天孫降臨以前の日本本土がOKなら
あちらもありでいいと思っちゃう
中国は中国で結構古代の血も残ってるし 何の知識も無く、いつも他人様におうかがいスレを立てる女みたいな池沼>>1(笑)
コイツ何かと被ってると思ったら、糞ダサい菅野とダブるわー
チョソ犯罪者集団に便所盗撮サイト乱立依頼して飛ばされた某荒木先生(笑)は目立ちたがり前川とダブるし、パヨちんや在チョソは画一的でキモいと言う特徴以外無いな
チョソ犯罪者集団に便所盗撮サイト乱立依頼して飛ばされた某荒木先生(笑)はやっぱ、在チョソ達からゆすられてんのか?
ガチで便所盗撮サイト乱立してるシナチ●ン犯罪者のスレタテ
by 宅/\朗←カネに困ってる奴ら注目 ID:3A3iPxqf0 は、何してる人なの?教えて! >>130
チンギスハンがレイプしまくって血はほとんどない 中途半端に古いと加筆し放題だからじゃない?
聖書みたいなもんよ >>122
ごめん祖先崇拝と先祖霊供養の違いがあんまり分からん
面白い話なんだけどイマイチ理解できない
那覇の地域単位のお祭りはむしろ多い方だよ
秋の那覇祭りの旗頭ガーエーは各地域を代表する旗を掲げて練り歩く、祇園祭やだんじり祭りみたいな行事だ
しかも地域区分は王朝時代から変わってない
エイサーも盆踊りと同じ由来で、各地域の青年会主体でやってる
でこれに加えて中華由来のハーリーなんかもある
内地の人が沖縄に来ると地域の活動が活発で驚くよ
内地目線で見ると清明節みたいな日本とは違う祭祀が目につくけど、冷静に眺めるとやはり日本と変わらない要素が大元だ >>122
あと中華文化でも道教のお寺のお祭りを地域単位でやってるんだから、宗族を重視すると地域の祭礼が無くなるっていうのは違うと思う そもそもわざわざ専門的なスレに来て義務教育受けてるかも怪しい認識で色々主張する方がおかしいんだけどな >>132
俺?俺はただ大学院で中国を研究してただけだよ
しかも政治が専門だから歴史と文化は趣味の範囲だw >>113
要するに邪馬台国なんてデタラメってことだな >>136
なかなか説明は難しいんだけど、デフォルメをかければ、基本はこんな感じだと思う。
・遺族が、故人の霊を哀れんで救おうと思うのが先祖供養
・遺族が、故人の霊にひれ伏して拝むのが祖先崇拝
意外なんだけど、少なくとも大和の仏教徒は、別に抽象的な祖先霊にひれ伏しているわけじゃない。
施餓鬼の宗教観念はずいぶん薄れたけど、それでも具体的な故人がイメージされる点は変わらない。
「あの世に行った具体的な故人」に、仏前や墓前で思いを馳せている。
だから、大和の年忌は基本的に死後34年(三十三回忌)で終わる。
これは、34年も経つと、普通の場合、故人の生前をよく知る遺族がいなくなってくるから。
「偲べなくなったら終わり」この意味で生者優先。
ただ、沖縄がどうかはわからない。
というのは、沖縄の祖先崇拝にどれだけ(儒教ではなく)道教が関わっているか俺はよくわからないから。
具体的な故人の「個別の行く末」にフォーカスを当てるのは、
儒教とはまったく異なるが、道教では普通に行われる。
道教を排斥した朝鮮では死者儀礼はすべて世俗でやるが、中華では葬儀や年忌に道士が呼ばれるのはこのため。
というか、東アジア仏教そのものが道教と混淆している。この点は全く否定しない。 中国の昔の戦争が多かった時期は人口めちゃんこ減ってるから入れ替わってるって言ってもいいと思う。 >>9
晋の董弧の筆(趙盾 君を弑する、と書いた)も崔杼弑君と共に文天祥の正気の歌に載ってるね。 >>10
呂布は臧洪と一緒に伝を建てられる小物に過ぎない >>12
全訳が出ててしかも文庫化されてるのは春秋左氏伝、史記、漢書、三国志くらい。一八史略はアンチョコ本でラストが酷い小説になってるので、評価しない。 >>84
詩経やら春秋やら漢書やらに諸夏や中国と記載されてるのはどう解釈してるのかね? 日本は天皇制が維持されているので
文化は一貫して積み上げられているが
中国や韓国はアホなので、王朝が変わる度に
それまでの文化を全否定して破壊し尽くし
また一から馬鹿みたいにやり直している
「同じところをグルグル芸」の悲しい歴史 黄帝の子孫を名乗り九鼎持ってるのが
正統な天子だろ
周王朝までで、中国は終わり
皇帝名乗った支那からは別の国 >>143
その日本仏教の話、沖縄と何一つ変わらんよ
沖縄の仏教も神道も日本由来なんだから当たり前だ
先祖に関することで唯一日本と違うのは清明節の風習だけだろ
あれだって死生観とかそんな深遠な話じゃなくて単に二十四節句の一つとして定着しただけだ
そして沖縄に道教の影響なんか皆無に等しいよ
道教的な神様といえば土地公を祀る風習があるけど、祀るやり方は完全に日本の神社方式だw
内地の人が沖縄を見るとどうしても特異な部分が目立って共通する部分を見落としてしまうんだよ
実際には中華的な部分はあくまでも日本的な基層の上に乗っかっているだけだ 呂布が弱いってことはないだろ
あ、もちろん正史基準でね >>151
ほんとかなあ?
かなり明確な特定の宗教観念がないと、「供養」という概念は成立しないよ。
死後の世界が良いところから悪いところまで階層化されていて、
生前の行いによってどこに行けるか、個人レベルで決まる(裁かれる)という死後観念。
道教と混交した東アジア仏教の根幹の一つといってもいい。
大和でも、神道プロパー(神葬祭を挙げる場合)と、仏教でも浄土真宗は、
供養という概念を明確に否定する。
沖縄は、仏教をほぼ完全拒絶する宗教圏なので、
供養という概念は、道教のエッセンスが導入されない限り理解できないはず。 >>153
琉球が仏教を拒絶?
何を言っとるんだどこの世界の琉球だ
まじめに相手して損した 文革如きの焚書坑儒はずっとやって来た事だ
王朝が変わるとその前の王朝の官僚は家族親戚含めて全員死刑、書物は全て燃やされるのがデフォ
生ぬるいレベルであの国土は治められない
だがそれでも奇跡的に場所を移されて破壊を免れた書物が少数存在するだけの事 >>154
大和からみたら、あれはほぼ拒絶やぞw
5ch(2ch)住民はやたら嫌うが、
大和の日常に、どれだけ仏教が浸透してると思ってるんだ…
大和の場合、死者儀礼すべてにおいて「坊主が主役」なんだからな。
喪主・施主すら脇役。坊主の指示に従い所作を行うだけ。
墓も、寺の敷地内にワンルームのアパートみたいな形で割り当てられる。
管理者はあくまで寺。
あまりにも寺が介入しすぎなので、公営墓地が作られたりするけれど、
結局、公営墓地だって寺ごとにエリアを決めるところすらあって、寺の支配権は絶対。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています