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琉球王国の生活とは?
琉球王国には有力士族と一般庶民での生活にはかなりの差があったようです。

琉球王国は中継貿易で栄えたと言われていますが、実態は清との貿易は赤字で、薩摩藩と幕府からの借金でなんとか朝貢貿易を維持していたというものでした。
しかし、朝貢貿易をやめるわけにもいかず、税を厳しく取り立て、米を借金返済に充てていたといいます。
有力士族は私的な貿易で収益を上げていた半面、下級士族と庶民の生活は苦しいものでした。
特に庶民は人頭税が課された上に、土地の所有や婚姻や移動の自由も制限され、農奴のような暮らしをしていました。
人頭税とはその年の収入に関係なく、15歳から50歳の人には一律に税金を掛けることをいいます。
他村の者と交流することも禁じられ、同じ村同士内で結婚をするしかありませんでした。
特に、琉球王国の植民地であった八重山や宮古島といった先島諸島では税の取り立ては更に厳しいものでした。
食べるものに関してもほとんどは芋が主食だったようですが、地域によっては粟といった雑穀すら食べることが出来ないという有り様だったようです。
その一方で、有力な士族たちの間では堺から茶人が来た時は、日本茶がブームとなったともいいます
https://www.ryukyu-history.com/ryukyu-history/post-28