水木しげるのラバウル通いが始まった頃、私にこんな話をした。
「以前は自分は、戦地だったところへ行きたがる者の心境が理解できなかったですよ。
食うものも満足になく、餓死した戦友も多くいる。当人も九死に一生で助かっている。
辛く苦しい思い出しかない。そんな戦地に、戦後二十年も三十年もたってなぜわざわざ行くのか」
水木しげるは、かつてはそういう人たちの気持ちが理解できなかった、と語る。
「しかし、自分はラバウルへ行って初めてわかったんです。自分はあの戦争で生き残った。
日本へ還ってこられた。でも、戦友たちは食糧も薬もなく、ここで死んでいった。
そして、自分だけ、今では何でも食べられて生きている。そう思うとですなぁ……」
戦争体験者は、誰でも自責の念を語る。シベリア抑留体験のある詩人石原吉郎は、
それをあえて逆転させ「死者におれたちがとむらわれるときだ」(『礼節』)と詩った。
今、水木しげるは戦後初めてラバウルを再訪した日のことを私に語っている。
死んでいった戦友たち、生きのびた自分。
「戦友たちは、うまいものも食えずに若くして死んでいったんですよ。
その戦地に立って、ああ、自分はこうして生きていると思うとですなぁ」
水木しげるは確信を込めて言った。
「そう思うとですなぁ、愉快になるんですよ」
私は遠慮なく笑い転げた。目から涙がほとばしった。笑いは止まらないままであった。
「ええ、あんた、愉快になるんですよ。生きとるんですよ、ええ。
ラバウルに行ってみて、初めてわかりました。」
これほど力強い生命讃歌を私は知らない。生きていることほど愉快なことがこの世にあろうか。
歴史は死者で満ちている。しかし、自分は生きているのだ。なんと愉快なことだろう。
山陰地方出身者特有の古風な訛りで、水木しげるは愉快そうに「ゆくゎい」と言った。