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黒曜石の伝播が、海洋文化圏の隆盛を促進し、あま(海)の道が、米の伝播を促進した。古代日本、あま(海)の民は日本海を制し自由に航海、大陸や半島沿岸に黒曜石文明を伝播、居住した

九州の黒曜石が沖縄本島(佐賀県の腰岳産)や、朝鮮半島南部の東三洞貝塚(佐賀県の腰岳産、大分県姫島産)で、

隠岐と脇本(秋田県)産の黒曜石が、ロシアの沿海州で、確認されている。神話と神社の大和朝廷文明は、腰岳、姫島、隠岐の黒曜石産地が始まりで、三韓と銅矛圏と銅鐸圏を成した海洋民が、起源。韓半島南から東北までの、タイムラグ無き古墳群の推移が証し

あま(海)の民日本海洋民が支配していた海
三国史記巻第二新羅本紀第二
 12(西暦295)年春に、王が臣下に向かって「倭人が、しばしば我が領土を侵して来るので、・・・一時海を渡って行って、その国(倭国)を討ちたいが、皆の意見はいかがか?」

 これに対して、弘権が「我々は海戦に不慣れでございます。冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを恐れます。――」 王はこれを聞いて「それもそうだ」といいました。

 韓半島住人は、海洋民を倭寇と呼称し、自らは海洋民でないことを自白している。日本海呼称は、海洋文化圏を築いたあま(海)の民日本の、由緒ある名称である。由緒なき東海や朝鮮海などではない

 三韓(馬韓弁韓辰韓)も三国(百済伽耶新羅)も、祖先は、海洋民の日本で、当時は日本海洋文化圏の一部であった

北方民族と混血した現代韓国人とは異なるのに、愚考を繰り返す韓国人。古墳・寺院の随所の息吹は日本海洋文化圏、日本民族の息吹で、北方民族と混血した現代韓民族の息吹では無い!