犯人不明で時効成立。夫のひき逃げ事故から40年。消えない家族の苦しみ 

https://news.yahoo.co.jp/byline/yanagiharamika/20181109-00102637/


ひき逃げに時効は必要ですか? 夫を38年間介護してきた妻は訴えます(筆者撮影)

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「あの夜、警察からかかってきた一本の電話から、私たち家族の平穏な生活は壊され、一変してしまいました。事件から40年経とうとする今も、つい昨日のように思い出されます」

 北海道交通事故被害者の会員で、虻田郡真狩村に住む気田光子さん(70)は語ります。

 光子さんの夫・幹雄さん(当時36)が、凍てつくような寒さの中、真狩村の道路上で倒れているところを発見されたのは、1979年1月17日未明のことでした。

 すぐに札幌の救急病院へ搬送。緊急の開頭手術を受け、なんとか一命はとりとめたものの、脳の損傷は酷く、意識不明の状態が続きました。

「事件当時、長女は8歳、下の子は妊娠3か月でした。頼り切っていた夫が突然こんなことになり、本当に辛くて、死んだほうがどれほど楽だろうと何度も思いました。でも、そのたびに娘は泣きながら言ってくれたのです。
『どんなことでも我慢する、寂しくても我慢する、協力する、一緒に母さんと頑張るから』と……」

幹雄さんはその日、会社の新年会に出席していました。ところが、倒れていたのは自宅近くの店から約4キロも離れた、街灯もない真っ暗な路上。家族は厳冬の1月にそのような場所まで移動していた理由がわかりませんでしたが、
着衣に油や土が付着していたことから警察は大型トラックによるひき逃げ事件として捜査を進めました。

 その年、光子さんは妊娠中だった二人目の子を一人で出産しました。そして、幼い娘と乳飲み子を抱えながら、病院通いの日々を続けました。

 事故から約1年後、奇跡的に意識を回復した幹雄さんですが、脳には重度の後遺障害が残り、事故前の優しかった夫、そして子煩悩だった父親としての姿を豹変させました。

「ようやく目を開いた夫は、事故後に生まれた息子のことすら認識できなかったのです……」(光子さん)

 幹雄さんはそのまま、約4年間に及ぶ長い入院生活を余儀なくされました。

 その間、容疑者に結びつく手がかりはなかなか見つからず、捜査にはほとんど進展がありませんでした。

事件発生からちょうど5年が経った1984年1月、ひき逃げ事件の時効を迎えました。幹雄さんが事故に遭った1979年当時は、救護義務違反(ひき逃げ)の時効は5年だったのです。