源義経が馬で下った一の谷ってそう酷い崖では無かったんだってな。
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そんな酷い崖だったら、着地する前に死ぬからな
そりゃそうだろ 猟やってるけどシカが通れる道は全部俺も通れるわ
一般人が見たら垂直の崖みたいな所でも 30キロの大鎧を着て馬で下るのは大したことない崖でもやろうとはしないだろう 須磨公園まで見に行ったけど
降りてくる道筋がイメージ出来んかった 昔の馬って今のサラブレッドみたいなんじゃなくて道産子みたいなやつやったんやろ? 生身だと無理だけど馬を犠牲にすれば可能って事もある。 この間道産子だか木曽馬だかでNHKが実験してたけど、やってできないものでもないみたいだな
ただし先に坂道に慣れてる馬が行くと後も続く可能性が高くなるとか 鹿が降りられるからといって
馬も降りられる・・・・ とは限らないw
いやでも検証番組も見たけど
割と馬も頑張って下りることが出来るみたいだねえ ●「日本人とユダヤ人の先祖は同じである」という説を日ユ同祖論という。これを最初に言い出したのは、日本人でもユダヤ人でもなく、スコットランド人のノーマン・マクラウドという人物が言い出した説である。
このノーマン・マクラウドなる人物のことはよくわからない。一説にはイギリスでは売買を商っており、日本や韓国では宣教師として活動ながら「イスラエルの失われた十支族」を探していたという。
マクラウドが日ユ同祖論を展開したのは、イギリスに元々あった「イギリス・ユダヤ人同祖論」を日本とユダヤに当てはめたものであるらしい。
内容は、日本の天皇、宮家、公家の儀式とユダヤ教の儀式が似ているからというものであった。
ちなみにアメリカの黒人は「イスラエルの失われた十支族」である説。ネイティブアメリカンは「イスラエルの失われた十支族」である説。
韓国人は「イスラエルの失われた十支族」などなど世界中にあるらしく、特にめずらしいものではないようだ。
日本の場合、ノーマン・マクラウドの講演を聞いた日本のキリスト教指導者数人が、明治から昭和初期にマクラウドの説をさらに解釈を加えて日ユ同祖論を作っていったらしい。
なぜか?
明治〜戦前の日本はまだまだ二等国だと思っており、なんとか一等国に欧米のキリスト教国に思ってほしかったのである。そして日本は偉大な国であり、神の国であると日ユ同祖論者は口をそろえる。
例えば、「日本は神の国である。ゆえに蒙古襲来の神風から日清日露戦争にいたるまで負け知らずであったのは、我々日本人がユダヤ人と同じく神に選ばれた民だからだ」
とか、「旧約聖書に数か所「日の出る所から、その沈む所まで」という聖句があるが、この中の「日の出る所」とは地球の中央であるエルサレムから一番東にある「日いずる国」である日本のことだ」
とか、『日本は神に選ばれた国であり、日本民族は神に選ばれた民族である』といういわゆる神国ニッポンの皇国イデオロギーと同じなのである。 ●ユダヤ人は日本人のことをどう見ているのか?
ユダア人研究でも有名な神戸女子学院大学の内田樹教授によると『エンサイクロペディア・ジュダイカ』という、全26巻におよぶ英語で書かれた百科事典がある。
『エンサイクロペディア・ジュダイカ』は文字通り『ユダヤ人の百科事典』という意味で、その厖大な百科事典に、日本についてのことがどれくらい記されているかというと、0.009%、ページ数にしてわずかに2ページ程度であるという。
日ユ同祖論に熱心な日本人には申し訳ないが、イスラエルを含む英語圏のユダヤ人は、日本や日本人にほとんど、あるいは実質この程度しか関心がない。
Wikipediaによると、一時滞在も含めて日本に住んでいるイスラエル国籍者は802名(2005年末)であるそうな。
ユダヤ系アメリカ人など他国のユダヤ人を含めると2000人ほどいるらしいが、極めて少ないといっていいだろう。
よって日本にユダヤ教のシナゴーグ(集会所)もほんの数か所しかなく、そして開国してからあまりユダヤ人は日本に住みつかず、
もっといえば第二次世界大戦前に日本に横浜や神戸、長崎にあったユダヤ人コミュニティーも、戦後になるとみんなアメリカに移住しちゃってなくなってしまうありさま。
どうやらほとんどのユダヤ人にとって、日本については関心もなく、また世界のあらゆるところに移り住んだユダヤ人だけど日本はあまり魅力的ではないのかも知れない。 >>24
ウマを担いで駆け下りたのはさすがに大変だったんじゃね http://muscleturtle.jp/2017/06/18/suma-3/
これは一ノ谷から西へ数百メートルの境川を登った人のブログ。
馬を降りて、上で引張りながら下で抱えて降りた感じかな。 やぁやぁ我こそはってタイマン主流な時代なのにいきなり後ろの坂から大群が襲って来たって感じ 馬って前足が弱いから急坂を下るのはご法度なんだろ? 昔の国内の馬はポニーくらいのサイズ
って話だけど
でも十分デカイよねぇ
凄いもんだ 勧進帳の関所抜けるほうが難易度高いだろふつう、Sマックイーンでも無理 >>41
弁慶がな、ぎなたを持ってって、ぎなたって何だよう! 30年も前に読んだ学研の本で、普通に当時の甲冑つけて
現地を馬で降りる写真が載ってたよ。 今の一ノ谷が当時の一ノ谷と同じ形状か分からんし。地震や風水害で崩れたかもしれんじゃないか。 たった100騎でも一度にまとめてスッ転んで滑り落ちて来たら、
下の野営地は無茶苦茶になるよね。
炊き上がる直前の飯が全部地面にぶちまけられ、
大鍋の汁物がホモ海岸まで飛んで行き、気持ち悪い悲鳴が響き渡る。 奇襲は夜明けにするものだろ。
ホモ海岸はもっと向こうだし。 >>47
>>48
ちょっと待て、現地人はそう呼ぶのか?
>ホモ海岸 大鎧装備の武者を乗せた馬で駆け下りられたんだからそりゃそうだろ >>20
俺らは日頃から歴史番組みて事前情報持ってるけど
秋田は単純に小学生の知能しかないからなあ >>14
ナポレオンの有名な絵もそうで
実際はロバだかなんかに乗ってたんだっけ >>45
ヤックルだぞ
奥州藤原氏は蝦夷を抱えていて義経は挙兵前までアシタカみたく過ごしてたからな 畠山重忠が、崖を下るのを怖がる愛馬が可哀想になって、
愛馬を背負ってその崖から降りた話はマジなのかな >>36
ポニーよりデカイだろ
日本在来馬の木曽馬でググってみ >>61
ポニーは馬の小型種の事な
ポニーサイズとかポニーよりでかいとかいうのが間違い
シェトランドポニー想像してるだろ ポニーは体高147センチ以下の馬の総称
ユーラシアを席巻したモンゴルの馬も日本の馬もポニー 「下ったー」
それは、ツイッターの本垢で腹が下ってる音をつぶやくことである
あぁーー!下痢の音おーーー! マジレスすると鵯越の逆落としの鵯越と一ノ谷は場所がずれている。
だから一ノ谷は
ほんとは鵯越のあたりだという話 何で義経の馬が木曽馬になってんの?
義経愛馬の薄墨は藤原秀衡に貰ったもんなんだから普通に考えたら陸奥の馬だろ
道産子の血が混じってる陸奥の馬がポニーサイズとは思えないんだが >>61
木曽馬はポニーの一種だろ
体高160cm程度以下をポニーって言うんやで >>74
日本の馬は明治以降外来種との掛け合いで大型化した
今の道産子も混血により品種改良した品種 神戸のひよどり台行けば分かるが峻険な崖だらけだぞ
あんなとこを馬で行軍したんだから義経は豪胆な人だったんだろうな >>80
一ノ谷はもっと急峻だから考えられない
だから鵯越だっていってんだよ >>56
これ熊谷直実だったかな?敦盛を殺した
>>75
ワシ山羊んとこに修行しにいこうかな、これで東京五輪出場したい >>49
ハッテン場があるからな
全裸のオッサンがウロウロしてることもあるで わざわざ駆け降りなくても上から岩転がすとか土砂崩れを起こすとかは出来なかったのかしら >>92
山羊とか言われると「やぎさんゆうびん」が頭に浮かんでくるわ これやったのは他の武将だって説あるよな
兄貴が流した説かも知れんが >>59
畠山重忠ゆかりの埼玉の深谷市には、重忠が馬を背負ってる銅像があるよねw >>74
義経の馬は、明治の品種改良で滅んでしまった岩手原産の南部馬かもね 有名な武将たちは、コーエーの無双みたいな事をガチでやってた空気になってるからなぁw >>101
るろうに剣心読んで人斬りの気持ちがわかっちゃう人もいるみたいだしな 義経は天才的な戦術家・・・というかその当時ダメってみんなが思っていた
ことをやぶっていったんでしょ。
一ノ谷では鵯越、屋島では台風の中の渡航、壇之浦では漕ぎ手の射殺・・・
戦争なんだから勝ってなんぼだもんな。 そんな義経さんを見捨てて殺しちゃう頼朝さん…
バチが当たって子孫は根絶やしになったね しかも馬降りて手綱引いて降りてたって話も有るらしいなw >>40
昔の合戦で使ってた馬は競馬に出て来るようなサラブレッドじゃないからな
ポニーを少し大きくしたような感じ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています