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李広 vs 呂布
個人的武勇 李広>呂布
文帝の狩の際、接近戦で猛獣と格闘して殺し、文帝に「高祖の時代に生まれていたら万戸候になれた」といわしめ、少数の兵で匈奴の大軍と戦い、弓で敵の将兵を射殺し、「漢の飛将軍」と恐れられた。呂布の綽名は李広から取られたもの。

人格 李広>超えられない>呂布
荒野を行軍中に泉を見つけても、部下が全員飲み終わるまで自分は飲まず、食事も下士官と一緒に同じものを食べ、恩賞は部下に分け与え、最期は軍が道に迷って本隊との合流に遅れた責任を自身1人で取って自害した。
李広の死を知った者は、彼を知る者も知らない者も皆彼の為に涙を流した。
司馬遷は李広の孫李陵と同僚で、老年の李広を間近で見たことがあり、その時の事も史記に書かれているが、その才以上に人格を絶賛しており、その言葉から
俳優の松坂桃李や安倍首相が卒業した成蹊大学といった名が誕生した。
最近、キングダムの主人公の子孫として、注目を浴びている。