項羽「あいつに取って代わってやるわ!」劉邦「大丈夫はああでなくてはならんな」
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>164
その蕭何やら夏侯嬰やら張良を使いこなしたのが劉邦だから この時代の話は面白いな
司馬遷が天才なんだろうけど >>163
陳寿の父ちゃんは、馬謖の参謀だったから蜀書が優れている
のも当然と言えますね SFC版プレイしたくなってきたな
新作は・・・コーエーには無理か >>169
この時代のゲームって光栄の項劉記かフリーの新史記しかないの? >>89
かなり規模は違うけど、俺も部下が増えたら傲慢で冷酷になったわ
人数が増えると意見にいちいち対応してると破綻するから >>89
「その人間の本質を見極めたいなら、困難ではなく権力を与えてみなさい」
リンカーンの名言 >>89
曹操は司馬懿
秀吉は徳川殺しとかなかったのは失敗 >>166
それは旗揚げ初期からの仲間内だから見抜いて抜擢したと言うより
ともにやらざるを得ないっうて部分が大きいだけじゃないかの
韓信に関しては「お前等昔からの仲間がそこまで言うなら・・」で抜擢だから見る目があるとは言い難い >>174
なんとかして徳川を北条上杉と争わせて活かさず殺さずとは行かなかったの? >>64
ハンニバルが率いたのは多民族の傭兵と聞いた
そんな連中にアルプス越えさせたんだから半端ない人望だったんだろうなとは思う ハンニバルは、本国の奴らがクズだったからローマを落とせなかった
普通に支援できてたら、勝ってた >>175
韓信の場合は、あまりに有能すぎて「そばにいても
必ず裏切られる」との思いもあったんでない?
それ故に遠ざけたが、蕭何張良が推してくるので仕方なく >>179
いやーそれは流石に穿ち過ぎでないかい
まあ韓信の事のみで見る目無いとか少し可哀想とは思うけどな
名もないただの兵卒しかも元敵国の人間をいきなり総大将にさせろとか普通絶対却下だし 蕭何に韓信、中国以上に褒め上げて英雄にしたのは中国大好きの司馬遼太郎だろう >>181
坂本龍馬を妄想で英雄にしたゴミ妄想作家だよな 陳平は陳キおよび鯨布を攻める際、6回奇計を用いて、6回増封されてるが、
その中身のいくつかは極秘で伝聞されてないとかかれてて気になる
(陳丞相世家p127) 陳平が
項羽はその人柄は恭順でよく人を愛しますので、廉節で礼を好む人士が多く帰属しています。
ところが功を賞し爵邑を与えることになりますと哀惜してなかなかあたえません。
そのため人士もつきしたがいません。
大王は傲慢で礼にかけておりますので廉節の人士が集まりませんが、よく人々に爵邑をあたえて豊かにされます。
ですから頑鈍で利を好み厚顔無恥な連中が多く漢に帰属しています。
項羽については韓信も同じようなことを言ってる 項羽は、婦人の仁ってやつだな
今の時代でも項羽みたいなやつは沢山いる 横山漫画でしか知らんけど最初は劉邦、最後は項羽が主人公みたいに見えるのが面白かったな >>176
会津の蒲生と越後の上杉で囲い込んで、更に東海道の領地を細分化して堀尾、山内、福島に分け与えずに、誰か信頼の置ける大大名を配置出来れば家康は封じ込めることが出来た。
でも、蒲生氏郷が早死にして前田利家も死に、宇喜多もお家騒動で弱体化し、東海道の豊臣恩顧の諸大名も揃って家康に付いたからねえ。 匹夫の勇は、ようわからんが、
婦人の仁は言い得て妙だな。
げに女に仁はない >>174
魏は曹丕が早死にしなけりゃ違ってたろうよ >>175
蕭何を権勢の中枢に据えるときに歴戦の武将(刀傷だらけの周勃など)から
後方で安全な場所から戦を見ていた者が我らの上位に座るのですか!と問われた時
「常に我らを飢えさせなかった」「身内を最前線に寄越して我を護った」と言い黙らせた。
そもそも、蕭何の補給と徴兵の素早さが無ければ劉邦の勝利はなかったと劉邦自ら重々理解していた。
そんな有能な配下が推挙した人物を無下にする訳はなく
初めは小役人に命じたが不服に思った韓信が脱走し、それを連れ戻し再び劉邦に推挙した蕭何の言を受け入れる度量の大きさを評価すべきだろう。
>>190
寧ろ曹叡。
後継者の指名を間違わなければ司馬懿も王朝を建てずに曹の末裔に忠誠を誓ったかも知れない。
血縁関係のない者を皇帝に立てようとした決断は、軍略で司馬懿と対等に話せるほどの曹叡が犯した最大の過ち。 陳平が賄賂にだらしないと耳にした劉邦が真偽を確かめようと余人を交えず問答した。
劉邦:噂は事実か?
陳平:はい、事実でございます。
劉邦:なぜか?
陳平:私は項羽の陣営から逃げ出した身なので資(もとい)する物がありません。
それ故に賂で身の回りを整えたのです。
劉邦:分かった下がれ。
この後、陳平の軍略が優れていることを認めた劉邦は、陳平に金3万両を与え「出納を報告するに及ばす」と言い渡した。
受け取った陳平は、兵や兵器にそれを使うことはせず、項羽とその側近を切り離す為に費やした。
范蠡もその策に嵌められ項羽の信頼を失い去ることになる(太牢小牢)。
漢に使いして項羽に復命する使者が買収されていたのである。 >>137
人種が違う
現在のシナチョンは
三国志等の時代には蛮族とされていたゴミクズ人種だぞ
現在のシナチョンを見たら判るだろ
三国志が終わり晋になるが
漢の6000万人から人口が100万人へ減ってる晋は
人手不足解消のために
蛮族を利用する
蛮族に知識と文化文明を与え
使役していくんだが
晋のトップは権力争いに没頭して
政治は腐敗して行きボロボロ
そこで蛮族が晋(西晋)を倒し
五胡十六国時代へと突入する
五種の蛮族と東晋の時代だが
東晋はこの時代に滅亡する
そして三国志等の子孫も同時に完全に滅亡 >>193
何で張良が手本としたとも言われる過去の偉人である范蠡が項羽陣営にいるんだよw >>174
本人存命中は生かしといて問題なかったからいいんじゃないの? 悪い意味で情が厚そうな二人だけど将としては項羽が上手なんだろうな。対秦戦や劉邦に空き巣された時の兵力差ひっくり返すところをみると。
呂布は演義と正史と武将としての質は違うからな
正史的には個人武勇というより北方(に近い)騎馬兵の頭ってことだけだったんだろ? 漢以降と以前では儒教の強さが違う関係で忠義が絶対になるからな
楚漢のころはまだふわふわしてた >>149
共産党中国の発表を鵜呑みにするとか頭お花畑すぎんだろ
ウイグル人チベット人も殺してませんてか? 楚漢以前はふわふわといっても刺客列伝にあるような忠義の示しかたがあるから侮れない
ただ春秋戦国時代は国家や王公といった組織に対する帰属的忠義は結構薄いよね。特に合従連衡といった舌で生きた人達 趙の虞卿は低い身分から才能だけで宰相までのし上がったのに、友人の魏斉が当時最強の秦の昭王と范雎の恨みを買って、
命を狙われた際、助けを求められると趙では秦に抗えないと悟って宰相の地位と領邑を投げ捨てて一緒に亡命した。
その際、魏の信陵君を頼ったら、信陵君が秦を敵に回すのを憚って会うのを躊躇い、食客の侯嬴に「虞卿とはどういう人物か?」と聞いてきたので、
侯嬴が「人に知られるのは難しいが人を知るのも難しい。虞卿は才能だけで宰相の地位に登りつめたのに、一度命乞いされると宰相の地位を投げ捨てて一緒に亡命
する程の人物なのに、今、そのように問われている。本当に人に知られるのは難しいが人を知るのも難しい」と皮肉を言っている。
結局、魏斉は絶望して自害し、虞卿も憂悶のうちに虞氏春秋と呼ばれる歴史書を書いたが、これが司馬遷に影響を与えたという話。 >>192
劉邦は補給を重視したんだよなぁ。
蕭何がいたからこそなのはもちろんだが。
対して項羽は補給を軽視した。 陳平に言わせれば、劉邦は気前がいいから
>頑鈍で利を好み厚顔無恥な連中が多く漢に帰属しています
ということで、もともと劉邦も彼らのほとんどについては信頼してなさそうだ
韓信も斉を平定したらそのまま現地の王になりますって通知してきてるし
(しかもその時項羽に包囲されてた)
そんなこともあったから自分が留守の間も、国を守り
裏切らなかった人間はそれだけ信頼できるってことかも
ところで、韓信の通知に劉邦が激怒したら、張良と陳平が劉邦の足を踏んで合図し
って書かれてるが、これは本当に足を踏んづけたんだろうか?ただの比喩的な表現なのか
2人が両側から足の甲を踏んづけてる場面を思い浮かべるとコントみたいだ >>195
恐らく范増と取り違えて仕舞ったのでしょう。 >>185
その辺り項羽の方が強かった要因もあるかもなあ
利に敏い奴等は少しでもヤバいとなれば当然逃げだすし死してまで戦おうとは思わんじゃろ
結局純粋さだけでは負けますよと言う好みではない教訓になってしまうが 范増が1番すごいんだよなぁ
劉邦が危険なのも、韓信の才能も、張良の策も全部見抜いてた。
言う通りにするだけで簡単に天下が取れたのに >>207
実際秦都を陥落させた頃は天下取ったようなものだったのだけどな >>207
項羽は自分で何でも出来すぎて、范増の献策ですら自分を少し補完するもの程度にしか考えてなかった。
一方劉邦はあまりにも自分が何も出来なさすぎて、張良や韓信の献策がとんでもなく素晴らしいものに感じ、ノーチェックでそれらを採用したのが結局うまく行った。 >>213
なるほどねえ
現代の会社組織にも通ずるかもしれん 項羽は冷酷なようで甘い
劉邦を軽く見てたのか警戒監視が甘すぎる >>17
悪く言えばそうだな。
よく言うなら気のいいおっさんで度量が大きく部下に色々と仕事を任せたので信頼されたんだろう。
孤独の中で疑心暗鬼に陥ってから別人になってしまったが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています