項羽「あいつに取って代わってやるわ!」劉邦「大丈夫はああでなくてはならんな」
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三國志なんて、小物同士の小競り合いだよ。
馬鹿馬鹿しいね。 劉邦ってなんだあそこまで成り上がれたのか不思議だわ
配下に優秀なの結構いたのに誰も本性に気付かなかったんだろうか
それとも歳食って呆けて秀吉みたいに急に変わったんじゃろうか >>10
創価学会の池田センセイと同じ感じじゃねーか?
本人は何も出来ないんだけど、
周りの奴に「この人には俺が付いていないと駄目なんだ」
と思わせる何かがあった。 酒宴での剣舞に乗じて劉邦を刺殺しなかった、項羽の優しさがアダとなる >>10
底辺の頃は改革変化を唱えるけど、いざ頂点に近づくと保身で汲々となるのは自然な事だと思う >>10
何かあるとトップが殺されて解決な時代で
自分に才能が無いと理解しているから部下を重用
才能がないから威張らない
情に篤い
だから有能な部下が集まる 劉邦が死ぬ間際に嫁の呂后が今の丞相が死んだら次に誰にすべきかって聞いて
劉邦が答えるとまたその人物が死んだら誰にすべきか次は次はとずっと聞いてくるので
お前はいつまで生きるつもりなんだとツッコミを入れる劉邦がおもしろい またかよ、
蕭何、張良、韓信が漢の功臣三傑で決まる話題だろ。
ダークホースで陳平がいるけどね。
そして戦術無視したハードキルなら項羽と冒頓単于が最強 >>17
なのに天下とった後はひどいよねって話だよ >>10
変わったのは劉邦自身より嫁のほうだと思う >>7
このオッさん(丁公)季布の親戚なのに、人間性とその後の末路が雲泥の差。 項羽は親の名前だしたら許しちゃったり
粗暴な割にあまちゃんなんだよな >>21
湾岸戦争で活躍したアメリカのシュヴァルツコフが、自分の功績を漢軍を一度も飢えさせなかった蕭何になぞらえてるんだよなぁ
草を食って進軍しろとかいったジャップ将軍にも見習わせたい ,r '" ̄"'''丶,
./.゙゙゙゙゙ .l゙~゙゙゙゙ ヽ\
. i´ ri⌒.'li、 .'⌒ヽ 'i::`i,
.| ′ .゙゜ .゙゙゙″ .:::l::::::!
|, ,r'!ヾ・ ヽ, .::::.|:::::::i アイツはもう消した!
.i, ./,r──ヽ, :::::::i::::,r'
゙ヽ、 .ヾ!゙゙゙゙゙゙'''ヽ、_ノ
`'''゙i ._____ l /ヽ
/\ へ ゙ヽ ___ノ’_/
へ、 | ̄\ー フ ̄ |\ー
/ / ̄\ | >| ̄|Σ | |
, ┤ |/|_/ ̄\_| \|
| \_/ ヽ
| __( ̄ |
| __) 〜ノ
人 __) ノ >>16
三国志の劉備が末裔なんだから劉氏が天下を取ったとわかるだろ >>28
あの状況ならシュヴァルツコフどころか蕭何でも無理ゲーだ
逆に米のあの状況なら無駄口でさえ無難にこなせたとも思う
いや無駄口はちょっと言い過ぎか 蕭何って、苦労人だよな
初めから支え続けてるにも拘わらず、猜疑心の虜になった劉邦に
謀反疑われて、自分の評判落とすためにわざと高利貸ししたり 蕭何・曹参も最初は叛乱失敗した時の為に劉邦を首領に祭り上げたからおあいこ >>5
圧倒的に項羽
史書にある個人的な武勇も将として兵を率いる能力も呂布に勝ち目はない
比較するなら常勝将軍の白起だわ 呂妃のやったことそこまで酷く無くないか?
体制の引き締めとしては成功してるし あの時代で蕭何が悪さをしなかったのは凄いな
常に胃を痛めてそう 蕭何ってすごいすごいって言われてるけど具体的にどう凄かったの? >>42
連戦連敗の劉備軍が常に物量作戦を展開できた >>42
前線の兵士を絶対に飢えさせなかった。
前線で失われた兵を即座に徴兵して埋めた。
本拠地でいつでも謀反を起こして裏切れる立場だったのに忠誠を尽くした。
それでも陳平に「主上はあなたが謀反を起こさないか猜疑心を抱いているのです」と言われ、一族の男子を最前線に送り出し劉邦を喜ばせた。 >>47
秦の下っ端の行政官だったから行政文書の重要性分かってて、秦陥落時に真っ先に取得しに行ったんだよね
そりゃそこまで先見の明があるのが劉邦についてれば、その後の補給と徴兵で有利になるのも当然だわ >>33
始皇帝がいかにも始皇帝、項羽がいかにも項羽、呂后がいかにも呂后て顔してるのは上手いと思った
本宮ひろし御大 項羽に滅ぼされて放火略奪されまくった秦の人々が劉邦に率先して協力したのがでかい >>1
コイツ何かと被ってると思ったら、糞ダサい菅野とダブるわー
チョソ犯罪者集団に便所盗撮サイト乱立依頼して飛ばされた某荒木先生(笑)は目立ちたがり前川とダブるし、パヨちんや在チョソは画一的でキモいと言う特徴以外無いな
チョソ犯罪者集団に便所盗撮サイト乱立依頼して飛ばされた某荒木先生(笑)はやっぱ、在チョソ達からゆすられてんのか?
ガチで便所盗撮サイト乱立してるシナチ●ン犯罪者のスレタテ
by 宅/\朗←注目 >>8
小物だからバカバカしいんか?
太平記や観応の擾乱あたりなんか
尊氏、後醍醐、新田、高師直、土岐と
ほとんどの奴が肩書きはともかく資質や素行はクソだけど面白いぞー >>46
孔明は魏延の事を「あいつ反骨の相出てますぜ」って劉備に進言してたけど
そんなこと言われたらそりゃやる気もなくなるし裏切りたくもなるよなw でもね、項羽が重用したのは自分の一族と故郷の楚人だけって批判があるけど、劉邦が重用したのも旗揚げしたときの友人知人と魏人だからね。
劉邦は戦国四君の信陵君(魏無忌)に憧れてたから。 >>52
降伏した秦王や、お飾りだが楚のシンボルだった懐帝を殺したから、
項羽から民心離れた >>5
李広 vs 呂布
個人的武勇 李広>呂布
文帝の狩の際、接近戦で猛獣と格闘して殺し、文帝に「高祖の時代に生まれていたら万戸候になれた」といわしめ、少数の兵で匈奴の大軍と戦い、弓で敵の将兵を射殺し、「漢の飛将軍」と恐れられた。呂布の綽名は李広から取られたもの。
人格 李広>超えられない>呂布
荒野を行軍中に泉を見つけても、部下が全員飲み終わるまで自分は飲まず、食事も下士官と一緒に同じものを食べ、恩賞は部下に分け与え、最期は軍が道に迷って本隊との合流に遅れた責任を自身1人で取って自害した。
李広の死を知った者は、彼を知る者も知らない者も皆彼の為に涙を流した。
司馬遷は李広の孫李陵と同僚で、老年の李広を間近で見たことがあり、その時の事も史記に書かれているが、その才以上に人格を絶賛しており、その言葉から
俳優の松坂桃李や安倍首相が卒業した成蹊大学といった名が誕生した。
最近、キングダムの主人公の子孫として、注目を浴びている。 >>60
下々のものと寝食を共にした、系の話よく聞くけど、それってホントに将として良いことなのかね >>62
ハンニバルや司馬穰苴にも同じ逸話がある。
李広の軍は李広の性格が影響して規律が緩かったらしいが、部下は皆李広の為に命を投げ出して戦うから打ち破る事は出来ないだろう、と同僚の程不識も評価している。 中国の武将で戦中道に迷って餓死か懲罰で処刑される冴えない人だけど
兵卒と一緒に食事したりと部下からの人気は絶大で
平民の息子が徴兵された時母親が「うちの主人は戦で怪我した時
将軍が膿をぬぐってくれたおかげで将軍のために人一倍頑張り戦死した。
うちの子もきっと将軍様のために死んでしまうだろう」と泣いたという逸話があった人いなかったっけ?
いつの時代の人か名前は忘れた >>46
むしろ泣いて馬謖を切って人材不足を加速させ、結果、蜀を滅亡させた >>10
張良と蕭何はわかってたんじゃないかな。漢成立後もうまいことかわしてる
陳平もうまいことやってる
張良はもともと韓王のために成り行きで劉邦と同行してたが、その主君を項羽に殺されたんだっけ >>65
武将じゃなくて楚の荘王だな
「鳴かず飛ばず」の語源になった人 >>65
あーごめん勘違いしてた
荘王じゃなくて呉起だ >>71
トンクス
荘王の逸話も調べたら面白いね
教えてくれてありがとう >>62
武帝の時の衛青と霍去病
衛青は貧乏出身で下々の兵士の気持ちがよくわかる存在
霍去病は傲慢なところがあったけど、人気があったのは霍去病って聞いたことがある 天下取った後も粛清しなかった光武帝がいかにすごいかってことか ここ数年はキングダムで喜んでるのおおいよね
よっぽど面白いのかな お前らほんと中国史に詳しすぎだろ
一般人なんて三傑すら知らんというのに
日本に邪馬台国すら無い時代の言葉が未だに遺ってるんだからすげえよな >>61
晩年の劉邦はおかしいよね
韓信とかもとばっちりっぽいし 中国では三国志って日本ほど人気ないんだっけ?
中国で人気ある歴史や人物って何だ?
光武帝とか岳飛岳翼親子と秦檜あたり? >>60
李広は成蹊なんて言われて司馬遷評では人格者扱いされてるけど
平民に落とされた時期に法に従って李広の夜間通行を許さなかっただけの守備隊長を逆恨んで
復権後に職権濫用して処刑した逸話見ると人格破綻者としか思えん
捕虜虐殺もやらかしてるし >>78
いや韓信は反乱起こそうとしてたし
勢力も大きいし、そりゃあ粛清されますよ。
国が成っだ後に大事なのは功臣ではなく、
安定した政権運営ができる体制なんだし
王族や部下を野放しにした国家はその後に反乱の嵐になったことが多いし、
天下人は良い人だけではダメなんだろうね。 >>82
足利尊氏は功労者へ気前良すぎるくらいに高い役職と広い領地与えてしまい
コントロールできなくなったから確かにそれは言える >>83
最近の研究だと、尊氏にそれほどまで出世欲がないのに、直義が暴走したみたいな感じになってたよね、確か。 >>73
霍去病が人気あったってのは下々ではなく宮廷内での話で
戦績が衛青より華々しく武帝に寵愛されていたため
宮廷人たちがみんな衛青から離れて霍去病にすり寄っていった
ただし当の2人は自分たちの人気取りなど気にもしていなかったという記述だったと思うが >>14
項羽ってのは自分に恭順してくる相手には異常に優しいんだよ。
ただ戦いの激しさと、自分に敵対するものに対する悪魔のような苛烈さが後世の項羽のイメージを作った。
なので鴻門の会を何回やり直したとしても結果は同じだった。 >>85
研究って最近だと亀田さんの観応の擾乱の本あたりかしら?
直義は武家が勝ち得た領土を公家に返したりしてたので
武士政権の中では煙たい存在だったのかも
ただでさえぶとうはの右筆の高師直(ただし女癖悪い)がいたし >>78
てっぺん行くと人間不信の塊になる典型的なタイプ
秀吉も没落したしおかしくなるんだろうね >>89
ほぼ空手の状態からそこまで上がったから、失うのが怖かったのでしょう
いつ殺られるかわからん時代だし… >>86
私が読んだ本だと、兵士からも人気があったと書かれてたと記憶してる
どの本か忘れたが陳舜臣の本だったかもしれない >>65
戦争でも政治でも傑出していた呉起が冴えない…だと…
中国史を見渡しても比肩する者がいないぐらいの傑人じゃないか >>92
少なくとも史記の衛将軍驃騎列伝で宮廷内での人気のことしか書いてなかったな
陳舜臣の本は知らんが >>95
漢書の衛青霍去病列伝ではどう書いてあった? >>93
すまん
迷った話とか多分いろんな武将がのがごっちゃになってると思う 項羽は白羽陣って技があるけど、劉邦って怪力だけの只の木偶の坊だよな 項羽は、楚人であるアイデンティティ持ってたみたいだけど
前漢が終わるころには、そんな意識なくなってたのかな? >>98
呂布と董卓
不倫してて手柄欲しさに曹操暗殺を告発してたやつ(しかし曹操に処刑される)
とかぐらいだなぁ >>48
まあ乏しい人材から選ばなきゃだからな
神がかった諸葛亮否定派の俺でも同情するとこ >>89
頂点這い上がるのに必死だったけど、頂点に立ったら今まで必死に自分を上にあげようと頑張ってた下にいる部下が、自分を追い落そうとしてるようにしか見えなかったんだろう >>97
漢書もこの部分はまんま史記の引き写しっぽい >>10
かみさんが呂ふいの一族でかなりの実力持ちやったんやで >>89
功労者を各地の王にしたら、戦国回帰派に担ぎ上げられそうになったから粛清せざる得なかっただけや。 >>95
史記を読んでみみたが
>一方大将軍(衛青)の人柄は仁慈、善良、謙譲であり、柔和で自ら天使に媚びるようなとろがあった
しかし天下の人々で代将軍を称揚するものはなかった
(中国文学大系12 史記下 p183)
この「天下の人々で〜」のくだりから、宮廷から兵士に至るまであまり人気がなかったという解釈になってるのかもしれない 霍去病は匈奴征伐で大活躍したのに23歳で早死してしまったのがなあ >>79
何故に秦檜w売国奴、姦臣として後世で批判されまくりなのに
文化大革命でも各地にある諸葛亮を祀る武侯祠は殆ど破壊されなかったんだよね
抗金の英雄南宋の岳飛、宋の時代の話からの京劇だと水滸伝や楊家の登場人物は人気あるようだね >>111
野獣のような水滸伝がずっと人気あるのも土民中国だなぁと思ってたけど
2000年過ぎてまだ龍が如くが売れてる日本も大概だよな、と一人納得 呂后は権力を脅かされる危険性が無いとなると優しかったり
握った権力で無茶をするわけでもないから
史記にも重臣は大変だったがその他は極平和だったって書かれるんだよな >>5
呂布は軍の統率力なかったからな。最後は裏切りで敗れたし。項羽は統率力抜群にあったし一騎打ちしても呂布が負ける。 >>78
劉邦は旗揚げした頃に故郷の豊邑の民や馴染みの雍歯に裏切られてるし、コウ門の会の時には左司馬な曹無傷に裏切られ、漢中へ左遷された時には配下の多くに見限られ逃亡されたし、人間不信になる土台は多くあるんだよね
まあ寝所に出入りが出来て、兄弟同然といわれた盧綰すら疑うほどになったのはさすがにおかしくなってる >>69
陳平は漢建国のあと処刑されてなかったっけ? >>14
ハチャトゥリアンの「剣の舞」を聴くと
此の時の情景を想像します。 >>33
「三國志」を題材にした「天地を喰らう」は、
創作部分が過剰で、未完に終わったので、
反省して史実に沿って描いたのでしょう。 >>89
秀吉は最初から家康に政権譲るつもりだったから特におかしくはないぞ。 >>46
日頃から諸葛亮が馬謖を溺愛して居たのを
知って居た劉備は白帝城で
「謙虚な兄の馬良と比べ、
馬謖は力量以上に気取る所が有るから
気を付けて遣われよ。」と
諸葛亮に言い遺しました。 >>10
狡兎死して走狗烹らる
なんて言葉があるくらい天下統一後皇帝が有能な配下の粛清を行うのは中国ではよくあること
劉邦だけではない >>113
蜀目線で書かれてるから忠義ものって日本人好きなんだなって思うわwヤクザ映画だって忠義もの人気あったし実録路線の仁義無きか戦いが出てきて日本はおかしくなったんじゃなかろうかw >>79
中国の自動車会社に
曹操の小字を名付けた
「吉利自動車」が有った筈です。 >>48
これよく言われるけど、馬謖だけで語ってるだろ >>23
でも、呂氏の力が絶大だったときは
治世はよかったみたいらしいね >>14
項羽の優しさが五臓六腑に染み渡るエピソードだな >>118
当然呂氏に警戒されたが酒色に溺れたふりをしてごまかしつつ
裏で反呂氏派閥を形成。
巧みに呂氏から兵権奪ったり内部不安を煽ったりして
呂産に帝位簒奪クーデターを起させて計算通りに鎮圧。
その後呂一族皆殺しにして文帝擁立。
引退するつもりだったけど周りに止められて
丞相に再就任して数年後病死 >>114
呂后をはじめ悪女と言われてる皇后の特徴は「内の権力」を脅かす対象を徹底的に排除して
我が子(次代皇帝)と自らの保身に務めるので地方行政官や庶民には余り見向きしない。
なので、愛妾や王として各地に封じられた庶子に警戒心と敵対心が剥き出しになる >>8
うむ。
だが小物同士の小競合いほど面白いのも事実。
日本の戦国時代なんてその典型。
オタに成ってハマって、田舎の細かい戦いの面白いコト面白いコト。
それに比べて小牧長久手や小田原城のつまらなさと言ったら。 >>89
山口組の六代目もそんな感じだろう。
古今東西、ありがちな話だと思う。>トップになった途端、冷酷になる >>121
生きてた頃からすでに神と崇められてたらしいな >>137
言っとくけど、本当の漢民族は今のあいつらとは別物だから。
南方系だから。 劉邦が勝ったから、物語になったけど。項羽が圧勝するパターンもあった。
そうなったら、皇帝になって、新たな帝国を築いていただろう。
歴史はそれほど変わらなかったか。
劉邦の凄いところは、役人(小役人だけど)のくせに任侠が好きでその筋に顔が効き、親分肌で人の本質を見抜く能力に長けていたところ。
「陳平独り成り難し」と「我が家を守るのは勃(周勃)であろう」と見抜いたことでも驚愕に値する
劉邦の死後、この二人は密かに共謀して兵権の半数を握り、呂一族を誅殺して劉一族の血縁を守ることに成功する。
「陳平独り成り難し」とは、陳平は知恵が有りすぎて何事も独りで解決しようとするから、誰かが進んで手助けしててくれることはない。
助けを得られない者が成功するわけがないと劉邦は見抜いていた。
周勃の協力なしには事は成功しなかっただろう。 蕭何←ヤベーのはこいつ
劉邦に使える家老で韓信の才能を見抜いて「韓信を採用しないなら俺も辞める」と劉邦に迫る
劉邦は韓信なんかどうでも良かったが家老に辞められても困るので言う事を聞いた
その後韓信のバックアップをしながらうまく劉邦を操り項羽をかき回した
項羽を倒した後は韓信はじめ功臣の粛清を取り仕切る >>118
劉邦の三傑は、簫何、張良、韓信。
漢王朝の功臣は、陳平。
>>124
そう言う意味で、光武帝は凄いな。 >>60
キングダムの飛信隊とかは李広から引用してるよな
李陵が蛮族に降ったから細いながらも
現在まで血筋は続いてる
曹操劉備孫権辺りの人種の子孫は
五胡十六国時代の晋で滅亡してて存在しないからな
現在の中国人は蛮族の子孫で
勝手に曹操やら劉備の子孫を名乗ってる >>144
ダムダム弾
ぶち込んだろか
我ー(´∀`=) >>146
曹操は後々まで残ってたような。
と思ったけど荀ケと勘違いしてるかもしれん。 >>148
最近見つかった曹操の遺体のDNAが
曹操直系子孫と合致したとか
ついでに自称扱いされてた
曹モウの子孫の曹覇(唐代の詩人)の子孫は
間違いなく曹操の子孫であると
判明したそうな >>149
最近見つかったやつは信憑性ゼロになってるし
中国人の捏造に決まってるだろ 一部の李以外は完全に全部自称
明の時代に
劉邦大好き、漢大好きの朱元璋が
憧れの漢の文化や方策を取り入れたり
漢に倣った名前の改名等を行ってる
李陵が降った匈奴の多くは人気の劉姓に改名しちゃったりもしてる
中国人の姓が昔より少ないのは
人気の姓ばかりになったから
曹も人気で五胡の多くが改名してるから
でっち上げた墓なら蛮族のどれかは当たる >>121
関羽は潮の密売組織に崇め奉られただけの神様だな
それは
関羽が元々潮の密売人だからさ。 >>10
人を見る目があったとしか言いようがない
適材適所に配置して活躍したやつには論功行賞
味方でも後に自分を脅かす有能な存在がいたらと
後に失脚するように仕向けて殺す事も忘れてない >>10
項羽っていう圧倒的暴力が世の中を席巻して居ながらそれに忖度せずにひたすら天下を目指すのは凄い
実際何度もピンチになって死にかけて味方の兵士が全員死んで部下が居なくなるほど追いつめられても
物乞いの姿に化けてネズミの如く逃げ出してまた諦めずに天下を目指す姿勢に反項羽みたいな同盟が集まったんだろう
項羽という全員共通の強大な敵が逆に劉邦を利した >>159
項羽はブレーンをうまく使えなくて、政治が下手で、人身掌握がカスだったからな
重要な人材がどんどん劉邦に流れていく >>124
韓進が劉邦に処刑されるときに言った台詞じゃねえか >>161
元は越の范蠡が同僚の文種(大夫種)に宛てた手紙の言葉。
越王に粛清される前に越から出国した范蠡がこの言葉を引き合いに出して暗に亡命を勧めたところ、文種も范蠡の意図を理解して、
病気と称して屋敷に籠っていたが、結局、自殺に追い込まれた。 >>137
三国時代は停滞期で演義のせいで史実との乖離が酷いから好きでは無い。
正史の蜀書は好きだし、季漢輔臣賛を陳寿が蜀書の最後に引用したのは、陳寿による蜀漢への最大限の敬意と賛辞の現れだと思う。
蜀書に関して言えば演義よりも感動する。 何で劉邦が人を見る目があるみたいに言われとるんだ
韓信の才能を見抜いたのは蕭何やら夏侯嬰やら張良やらとちゃうのか 項羽:俺が強いから勝った
劉邦:みんなが勝たせてくれた
簡単に言えばこの意識の違い >>164
その蕭何やら夏侯嬰やら張良を使いこなしたのが劉邦だから この時代の話は面白いな
司馬遷が天才なんだろうけど >>163
陳寿の父ちゃんは、馬謖の参謀だったから蜀書が優れている
のも当然と言えますね SFC版プレイしたくなってきたな
新作は・・・コーエーには無理か >>169
この時代のゲームって光栄の項劉記かフリーの新史記しかないの? >>89
かなり規模は違うけど、俺も部下が増えたら傲慢で冷酷になったわ
人数が増えると意見にいちいち対応してると破綻するから >>89
「その人間の本質を見極めたいなら、困難ではなく権力を与えてみなさい」
リンカーンの名言 >>89
曹操は司馬懿
秀吉は徳川殺しとかなかったのは失敗 >>166
それは旗揚げ初期からの仲間内だから見抜いて抜擢したと言うより
ともにやらざるを得ないっうて部分が大きいだけじゃないかの
韓信に関しては「お前等昔からの仲間がそこまで言うなら・・」で抜擢だから見る目があるとは言い難い >>174
なんとかして徳川を北条上杉と争わせて活かさず殺さずとは行かなかったの? >>64
ハンニバルが率いたのは多民族の傭兵と聞いた
そんな連中にアルプス越えさせたんだから半端ない人望だったんだろうなとは思う ハンニバルは、本国の奴らがクズだったからローマを落とせなかった
普通に支援できてたら、勝ってた >>175
韓信の場合は、あまりに有能すぎて「そばにいても
必ず裏切られる」との思いもあったんでない?
それ故に遠ざけたが、蕭何張良が推してくるので仕方なく >>179
いやーそれは流石に穿ち過ぎでないかい
まあ韓信の事のみで見る目無いとか少し可哀想とは思うけどな
名もないただの兵卒しかも元敵国の人間をいきなり総大将にさせろとか普通絶対却下だし 蕭何に韓信、中国以上に褒め上げて英雄にしたのは中国大好きの司馬遼太郎だろう >>181
坂本龍馬を妄想で英雄にしたゴミ妄想作家だよな 陳平は陳キおよび鯨布を攻める際、6回奇計を用いて、6回増封されてるが、
その中身のいくつかは極秘で伝聞されてないとかかれてて気になる
(陳丞相世家p127) 陳平が
項羽はその人柄は恭順でよく人を愛しますので、廉節で礼を好む人士が多く帰属しています。
ところが功を賞し爵邑を与えることになりますと哀惜してなかなかあたえません。
そのため人士もつきしたがいません。
大王は傲慢で礼にかけておりますので廉節の人士が集まりませんが、よく人々に爵邑をあたえて豊かにされます。
ですから頑鈍で利を好み厚顔無恥な連中が多く漢に帰属しています。
項羽については韓信も同じようなことを言ってる 項羽は、婦人の仁ってやつだな
今の時代でも項羽みたいなやつは沢山いる 横山漫画でしか知らんけど最初は劉邦、最後は項羽が主人公みたいに見えるのが面白かったな >>176
会津の蒲生と越後の上杉で囲い込んで、更に東海道の領地を細分化して堀尾、山内、福島に分け与えずに、誰か信頼の置ける大大名を配置出来れば家康は封じ込めることが出来た。
でも、蒲生氏郷が早死にして前田利家も死に、宇喜多もお家騒動で弱体化し、東海道の豊臣恩顧の諸大名も揃って家康に付いたからねえ。 匹夫の勇は、ようわからんが、
婦人の仁は言い得て妙だな。
げに女に仁はない >>174
魏は曹丕が早死にしなけりゃ違ってたろうよ >>175
蕭何を権勢の中枢に据えるときに歴戦の武将(刀傷だらけの周勃など)から
後方で安全な場所から戦を見ていた者が我らの上位に座るのですか!と問われた時
「常に我らを飢えさせなかった」「身内を最前線に寄越して我を護った」と言い黙らせた。
そもそも、蕭何の補給と徴兵の素早さが無ければ劉邦の勝利はなかったと劉邦自ら重々理解していた。
そんな有能な配下が推挙した人物を無下にする訳はなく
初めは小役人に命じたが不服に思った韓信が脱走し、それを連れ戻し再び劉邦に推挙した蕭何の言を受け入れる度量の大きさを評価すべきだろう。
>>190
寧ろ曹叡。
後継者の指名を間違わなければ司馬懿も王朝を建てずに曹の末裔に忠誠を誓ったかも知れない。
血縁関係のない者を皇帝に立てようとした決断は、軍略で司馬懿と対等に話せるほどの曹叡が犯した最大の過ち。 陳平が賄賂にだらしないと耳にした劉邦が真偽を確かめようと余人を交えず問答した。
劉邦:噂は事実か?
陳平:はい、事実でございます。
劉邦:なぜか?
陳平:私は項羽の陣営から逃げ出した身なので資(もとい)する物がありません。
それ故に賂で身の回りを整えたのです。
劉邦:分かった下がれ。
この後、陳平の軍略が優れていることを認めた劉邦は、陳平に金3万両を与え「出納を報告するに及ばす」と言い渡した。
受け取った陳平は、兵や兵器にそれを使うことはせず、項羽とその側近を切り離す為に費やした。
范蠡もその策に嵌められ項羽の信頼を失い去ることになる(太牢小牢)。
漢に使いして項羽に復命する使者が買収されていたのである。 >>137
人種が違う
現在のシナチョンは
三国志等の時代には蛮族とされていたゴミクズ人種だぞ
現在のシナチョンを見たら判るだろ
三国志が終わり晋になるが
漢の6000万人から人口が100万人へ減ってる晋は
人手不足解消のために
蛮族を利用する
蛮族に知識と文化文明を与え
使役していくんだが
晋のトップは権力争いに没頭して
政治は腐敗して行きボロボロ
そこで蛮族が晋(西晋)を倒し
五胡十六国時代へと突入する
五種の蛮族と東晋の時代だが
東晋はこの時代に滅亡する
そして三国志等の子孫も同時に完全に滅亡 >>193
何で張良が手本としたとも言われる過去の偉人である范蠡が項羽陣営にいるんだよw >>174
本人存命中は生かしといて問題なかったからいいんじゃないの? 悪い意味で情が厚そうな二人だけど将としては項羽が上手なんだろうな。対秦戦や劉邦に空き巣された時の兵力差ひっくり返すところをみると。
呂布は演義と正史と武将としての質は違うからな
正史的には個人武勇というより北方(に近い)騎馬兵の頭ってことだけだったんだろ? 漢以降と以前では儒教の強さが違う関係で忠義が絶対になるからな
楚漢のころはまだふわふわしてた >>149
共産党中国の発表を鵜呑みにするとか頭お花畑すぎんだろ
ウイグル人チベット人も殺してませんてか? 楚漢以前はふわふわといっても刺客列伝にあるような忠義の示しかたがあるから侮れない
ただ春秋戦国時代は国家や王公といった組織に対する帰属的忠義は結構薄いよね。特に合従連衡といった舌で生きた人達 趙の虞卿は低い身分から才能だけで宰相までのし上がったのに、友人の魏斉が当時最強の秦の昭王と范雎の恨みを買って、
命を狙われた際、助けを求められると趙では秦に抗えないと悟って宰相の地位と領邑を投げ捨てて一緒に亡命した。
その際、魏の信陵君を頼ったら、信陵君が秦を敵に回すのを憚って会うのを躊躇い、食客の侯嬴に「虞卿とはどういう人物か?」と聞いてきたので、
侯嬴が「人に知られるのは難しいが人を知るのも難しい。虞卿は才能だけで宰相の地位に登りつめたのに、一度命乞いされると宰相の地位を投げ捨てて一緒に亡命
する程の人物なのに、今、そのように問われている。本当に人に知られるのは難しいが人を知るのも難しい」と皮肉を言っている。
結局、魏斉は絶望して自害し、虞卿も憂悶のうちに虞氏春秋と呼ばれる歴史書を書いたが、これが司馬遷に影響を与えたという話。 >>192
劉邦は補給を重視したんだよなぁ。
蕭何がいたからこそなのはもちろんだが。
対して項羽は補給を軽視した。 陳平に言わせれば、劉邦は気前がいいから
>頑鈍で利を好み厚顔無恥な連中が多く漢に帰属しています
ということで、もともと劉邦も彼らのほとんどについては信頼してなさそうだ
韓信も斉を平定したらそのまま現地の王になりますって通知してきてるし
(しかもその時項羽に包囲されてた)
そんなこともあったから自分が留守の間も、国を守り
裏切らなかった人間はそれだけ信頼できるってことかも
ところで、韓信の通知に劉邦が激怒したら、張良と陳平が劉邦の足を踏んで合図し
って書かれてるが、これは本当に足を踏んづけたんだろうか?ただの比喩的な表現なのか
2人が両側から足の甲を踏んづけてる場面を思い浮かべるとコントみたいだ >>195
恐らく范増と取り違えて仕舞ったのでしょう。 >>185
その辺り項羽の方が強かった要因もあるかもなあ
利に敏い奴等は少しでもヤバいとなれば当然逃げだすし死してまで戦おうとは思わんじゃろ
結局純粋さだけでは負けますよと言う好みではない教訓になってしまうが 范増が1番すごいんだよなぁ
劉邦が危険なのも、韓信の才能も、張良の策も全部見抜いてた。
言う通りにするだけで簡単に天下が取れたのに >>207
実際秦都を陥落させた頃は天下取ったようなものだったのだけどな >>207
項羽は自分で何でも出来すぎて、范増の献策ですら自分を少し補完するもの程度にしか考えてなかった。
一方劉邦はあまりにも自分が何も出来なさすぎて、張良や韓信の献策がとんでもなく素晴らしいものに感じ、ノーチェックでそれらを採用したのが結局うまく行った。 >>213
なるほどねえ
現代の会社組織にも通ずるかもしれん 項羽は冷酷なようで甘い
劉邦を軽く見てたのか警戒監視が甘すぎる >>17
悪く言えばそうだな。
よく言うなら気のいいおっさんで度量が大きく部下に色々と仕事を任せたので信頼されたんだろう。
孤独の中で疑心暗鬼に陥ってから別人になってしまったが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています