李舜臣は凡将とは言え人品は靖将と呼ぶに相応しかったらしいぞ
当時の朝鮮は武家に対する社会保障が無かったから戦死できない軍隊だったんだよ
働き盛りの官僚男子が早死にすると戦死でも家門の零落に直結して居たかららしい
そこに当時世界でも最高水準の戦力を誇る豊臣軍が襲来したんだから連戦連敗は当然の結果
各地で苦労して兵を纏め戦い精根尽き果てて都に戻ったら政敵に告げ口されてて李王からの信用を失って失脚状態だったので
(結局やっぱり零落したが)家名家門を護る為に命を捨ててでも勲を推して交戦するしか無くなって帰り際の豊臣陣営に斬り込んだんだよ
日本の武家と同じ価値判断基準で交戦したら漸く豊臣勢の大将首を一つ取れて自分も討ち死にした
これを20世紀に明治士族系日本軍人が天晴武門の鑑で在ると持て囃したのが李舜臣復権の始まりだったんだよ