【恒例】沖縄・翁長前知事の県民葬で安倍首相の追悼の辞を代読したガースーにサヨクが罵声浴びせる
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「故翁長雄志沖縄県知事県民葬」のライブ中継(録画)
https://ryukyushimpo.jp/pages/entry-815987.html
一番上の動画27分頃〜
菅義偉官房長官が安倍晋三首相の追悼の辞を代読し、沖縄の基地負担軽減に取り組む決意を示した際、参列者から「うそつき」「いつまで沖縄に基地負担を押しつけるんだ」などと批判や抗議の声が相次いだ。
菅義氏は「翁長知事は文字通り命懸けで沖縄の発展に尽くされた」と功績に敬意を表した。
さらに、翁長さんが沖縄に米軍基地が集中する状況を打破しようと力を注いだことに理解を示し「沖縄に大きな負担を担っていただいていることは到底是認できない。政府として基地負担軽減に向け、一つずつ成果を出す」と語った。
翁長さんが沖縄に米軍基地が集中することの不条理を全国に訴え続けた一方、沖縄の基地負担は軽減するどころか、沖縄が反対の民意を示しても名護市辺野古での新基地建設を強行しているというのが実感だ。
菅氏が追悼の辞を読み終える前から、会場の四方八方から「うそつき」といった声が相次いだ。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/326934 条件は、「14歳以上でかつ自らの志願であること」です。
しかし、実態は志願とは程遠いものでした。
元護郷隊員の証言では、彼らは校庭に集められ、
軍人から護郷隊に入ることを勧められた際、
「帰ってもよい、しかし帰ったらはがき一枚で呼び出して死刑にする」と言われました。 護郷隊に配属された少年たちには、軍事訓練だけではなく、
死を恐れない従順な兵となるよう、徹底した教育が施されました。
一人が敵を10人殺すまで自分は死んではならない「一人十殺」の精神を叩きこまれました。 は山嶽(さんがく)よりも重く 死は鴻毛(こうもう)よりも軽しと覚悟せよ
(義務は山より重く、死は羽毛より軽い)
を引用し、命令には絶対服従で、死ねと命令されればいつでもしななければならないと教わりました。
また、死んだら靖国神社に送るから喜べという教えで、上官による暴力も交え死に対する恐怖感を徹底的に抜きました。 1945(昭和20)年4月1日、アメリカ軍は沖縄本島に上陸。
18万の上陸軍のうち、5万の兵力で本島北部の攻略を行いました。
護郷隊は恩納岳(おんなたけ)、多野岳(たのたけ)に合計約1000名配置されました。 子どもであることを利用し、アメリカ軍に近づいて敵陣地の情報を調べ、襲撃を行ったりしました。
子どもでありながら、敵と殺し合う体験は、次第に少年たちを変えていきます。
親友の死を目の当たりにしても悲しみも感じず、他人を心配する余地もなくなっていきました。 突然死の卒中や心不全でもないのにガンで余命が分かっていて
死ぬまで権力の座にしがみついた独裁者 ただひたすら命令を一生懸命こなすだけになります。
友に対する優しさも、死に対する恐怖も感じなくなっていきました。
恩納岳山頂付近の野戦病院では、意識ははっきりしているものの、自力では歩けなくなった少年兵を軍医が拳銃で撃ち殺した瞬間を目撃した隊員もいました。 安倍政権最大の失政を問う
亡国の「移民政策」
<激論> すでに世界4位の“隠れ移民大国”
これが人口減少社会への答えなのか──
http://bunshun.jp/articles/-/9185
▼新宿区新成人の45%は外国人
▼ベトナム、ネパールが急増中
▼留学生=労働力では世界の恥
▼悪徳日本語学校は野放し
▼技能実習生は行方不明年間7千人
▼ドイツ、韓国に学べ
外国人比率トップ群馬県大泉町の悲鳴
「コンビニ外国人」は何しに日本へ このような壮絶な体験は、元隊員を戦後もずっと苦しめることになります。
少年時代のあまりにも辛く苦しい体験だったため、多くの隊員が戦後ずっと家族にも話すことができずにいました。
当時16歳だった元隊員は言います。
戦争はまるっきり異次元の世界 人間の尺度があてはまらない 沖縄における日本軍の組織的抵抗が終わる前日の6月22日には、「義勇兵役法」が成立。
子どもであっても男子15歳、女子17歳から戦闘に参加させることが、正式に法律で決まります
義勇兵役法によって動員できる人数は2800万人にのぼり、
まさに「一億総特攻」のかけ声通り、全国の子どもを戦場に送ることが出来るようになりました。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。