李氏朝鮮第4代王の世宗は、朝鮮固有の文字の創製を積極的に推し進めた。しかし、その事業は当初から事大主義的な保守派の反発を受けた。
世宗が設立した諮問機関の集賢殿副提学だった崔萬理は1444年に上疏文で、
「昔から中国の諸地は風土が異なっても方言に基づいて文字を作った例はない。ただモンゴル・西夏・女真・日本・チベットのみが文字を持つが、これらはみな夷狄(野蛮人・未開人)のなすことであり、言うに足るものではない」
「漢字(中国文字)こそ文字であり、民族固有の文字など有り得ない」
と反対した。
しかし、世宗はこのような反対を
「これは文字ではない(中国文化に対する反逆ではない)、訓民正音(漢字の素養がないものに発音を教える記号)に過ぎない」
と押し切り、鄭麟趾など集賢殿内の新進の学者に命じ、日本の対馬の阿比留文字を参考にして、1446年に訓民正音(民を訓える正しい音の意)の名でいわゆるハングルを頒布した。