ちな
普天間第二小学校問題は本土
海兵隊移駐から危険になっとるやで

第二小は69年、
普天間小敷地内に暫定的に設置。
翌70年、普天間飛行場に隣接し、滑走路延長上にある現在の場所に一部校舎が完成する

常駐機、数機の
普天間基地が急激に、駐留機と訓練回数が
激増しだすのは、60年後半からの
「本土米軍基地反対運動」をうけて
沖縄に海兵隊が移動してきたから

宜野湾市・第2小学校側
移転を選択しても、学校用地費は計画当初の25億円から50〜60億円に高騰
市が要求してきた国の補助は認められず、移転はいつになるかまったくめどが立たない

普天間第二小のPTA会は92年に開いた
臨時総会で
「これまで宜野湾市に毎年のように求めてきた校舎移転を断念し、現在地での建て替えを求めることを決断せざるを得ない」

当時、校長の比嘉岳雄さん(81)は
「天井のコンクリートがはげ落ちて落下する。鉄筋はむき出し」
比嘉校長は、新校舎落成記念誌に、
沖縄に米軍基地が集中している現状を踏まえ、国から用地費の補助が出なかった無念さをこう書いています。

 「当時の関係省庁は沖縄の実情を全く組み入れず、全国共通メニューで操作していて、政治的配慮に欠けていたと思う」