0383名無しさん@涙目です。(神奈川県) [GB]
2018/09/11(火) 13:03:05.06ID:MTkMYkU80↓
武士(さむらい)が発生した当初から、武士道の中核である「主君に対する倫理的な忠誠」の意識は高かったわけではない。
なぜなら、中世期の主従関係は主君と郎党間の契約関係であり、「奉公とは「御恩」の対価である」とする観念があったためである。
この意識は少なくとも室町末期ごろまで続き、後世に言われるような「裏切りは卑怯」「主君と生死を共にするのが武士」といった考え方は当時は主流ではなかった。
体系付けられたいわゆる武士道とは言えず、未熟である。[要出典]