いじめの原因は常に100%いじめる側にある
いじめの原因はひとえに、いじめる側の「心の狭さ、未熟さ、貧しさ、そして多様な個性を認め受け入れる寛容・包容力・忍耐力・想像力・思いやりの欠如」である

「いじめられる側にも原因が」という主張は、これらのいじめる側の欠陥から目を逸らすための言い逃れ・責任転嫁であり、いじめる側の罪の意識と自省の機会を奪いいじめを助長する間違った考えである
またこの考えはいじめられた側に罪悪感を与え、他人に相談したり公にしくくするため、実態が隠蔽され発覚が遅れ、しばしば周囲が気付く前に事態の深刻化を招く

仮にいじめられる側に何らかの非や落ち度があったとしても、それをいじめによって対処しなければならない必然性はどこにもない
いじめの目的はいじめる側の快楽であり、結局はいじめられる側に社会不信と人間不信を与え人格形成に歪みを生じさせ、時に悲劇に繋がる

以上を読んでも尚「それでもやはりいじめられる側にも原因が」と主張する人は、要するに「自分自身の落ち度を認め(理解し)たくない」のであり、そういう人が少なからずいるからこそ、いじめが無くならないのである