麗しの島から
日本人よ、私たちを忘れないで

 終戦からまもなく73年。軍人や軍属として戦争に参加した台湾人の大多数が90代となり、生存者はわずかとなっている。台湾籍元日本兵・軍属は、
戦争中は「日本人」として約20万人以上が従軍し、3万人以上が戦死した。だが戦後、台湾が日本領でなくなったため、十分な補償を今も受けられないままだ。
軍属としてミャンマーなどで従軍した趙中秋(ちょう・ちゅうしゅう)さん(90)=南部・高雄市=と、上海の陸軍病院で従軍看護婦だった廖淑霞(りょう・しゅくか)さん(90)
=台北市=に今の思いを聞いた。

「お国のため、天皇陛下のため」と軍属に志願

 「僕の話を聞いてください」。趙さんは取材中、私の目をじっと見て、何度も何度も繰り返した。すべて流ちょうな日本語だ。

 1928年3月生まれ。日本による台湾統治が始まって30年以上がたっており、すでに日本語教育が行き渡っていた。「日本人として、お国のため、天皇陛下のため」
と志願し、軍属として従軍した。43年3月、高雄港を出発し、ビルマのラングーン(現在のミャンマー最大都市ヤンゴン)に着いたのは同年5月末。
ビルマやタイで主に建設工事を担った。ジャングルでの行軍も経験した。「食べ物が本当になくて、栄養失調やマラリア、かっけで同じ部隊の者がバタバタと死んでいった」

(中略)

 趙さんは語気を強めて言った。

 「僕は日本人として命がけで働き、日本人としての責任を果たした。軍属として最前線まで行った。兵隊以上の仕事をしてきた。(日本政府は)日本人には補償をする。
台湾人は(日本国のために)尽くさなかったというのですか? 不公平だ。日本として無責任です。僕は何回も何回も日本に行ってお願いした。外務省も行った。
厚生省(現厚生労働省)にも行った。政治家のところにも行った。『政治問題』と言われた。政治と私たち、何の関係がありますか! 憤慨します! 
なにゆえ、その資格がないのですか。僕はあと何年生きられるか分からないけど、こういう人がいるということを、日本の皆さんに話したい。私たちを忘れないでほしい」

全文
https://mainichi.jp/articles/20180809/mog/00m/030/014000c