2018年8月1日、鳳凰網は、なぜ旧日本軍の戦車は豆戦車と呼ばれたかについて分析する記事を掲載した。

記事は、「第2次世界大戦初期の日本の目標が戦闘力で当時の米軍の70%に達する海軍を建設することだった」と紹介。「島国である日
本は制海権がないとすべてが終わってしまうためで、この目標のために637隻の軍艦と多くの輸送船、7万機以上の戦闘機を造った」と伝えた。

そして、「軍事力が海軍に偏ったため、陸軍の装備はお粗末になった」と分析。「旧日本軍の陸軍は、歩兵銃と性能の劣った少量の機関銃で中国軍と戦う羽目になった」とした。

記事は「こうした現状のため、九四式と九七式という2種類の『豆』戦車が中国での戦闘専用に設計開発された」と紹介しており、これは
九四式軽装甲車と九七式軽装甲車のことを指しているようだ。記事は「九四豆戦車と九七豆戦車の主な目標は戦場での偵察としての使用
で、対戦車の任務を担う戦車ではなかった。その主な攻撃対象は、機関銃と通常の軽装歩兵の小隊で、装甲強度を落としており、多くのピストルポートを設けて中国の対戦車決死隊に対応した」と分析した。

また、「一種の軽戦車として、装甲は10〜12ミリの厚さで、これは通常の中国部隊が使用する武器には十分に耐えることができた。し
かも、機関銃と37ミリ砲を装備し、榴弾を使用することで、中国のトーチカと機関銃の火点にとっては大きな脅威となった」と紹介。
「軽量な車体ゆえに輸送も簡単で、中国のさまざまな地形にも容易に対応できた」とした。

記事は「しかし、装甲戦闘車両の攻撃を受けると、すぐに破壊されてしまう程度の防御力しかなかった」と指摘し、「そのため、日本の九四式と九七式は、本当の意味で『豆』戦車となった」と結んでいる。(翻訳・編集/山中)
https://www.recordchina.co.jp/b630438-s0-c10-d0062.html