なぜ旧日本軍の戦車は豆戦車と呼ばれたか
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2018年8月1日、鳳凰網は、なぜ旧日本軍の戦車は豆戦車と呼ばれたかについて分析する記事を掲載した。
記事は、「第2次世界大戦初期の日本の目標が戦闘力で当時の米軍の70%に達する海軍を建設することだった」と紹介。「島国である日
本は制海権がないとすべてが終わってしまうためで、この目標のために637隻の軍艦と多くの輸送船、7万機以上の戦闘機を造った」と伝えた。
そして、「軍事力が海軍に偏ったため、陸軍の装備はお粗末になった」と分析。「旧日本軍の陸軍は、歩兵銃と性能の劣った少量の機関銃で中国軍と戦う羽目になった」とした。
記事は「こうした現状のため、九四式と九七式という2種類の『豆』戦車が中国での戦闘専用に設計開発された」と紹介しており、これは
九四式軽装甲車と九七式軽装甲車のことを指しているようだ。記事は「九四豆戦車と九七豆戦車の主な目標は戦場での偵察としての使用
で、対戦車の任務を担う戦車ではなかった。その主な攻撃対象は、機関銃と通常の軽装歩兵の小隊で、装甲強度を落としており、多くのピストルポートを設けて中国の対戦車決死隊に対応した」と分析した。
また、「一種の軽戦車として、装甲は10〜12ミリの厚さで、これは通常の中国部隊が使用する武器には十分に耐えることができた。し
かも、機関銃と37ミリ砲を装備し、榴弾を使用することで、中国のトーチカと機関銃の火点にとっては大きな脅威となった」と紹介。
「軽量な車体ゆえに輸送も簡単で、中国のさまざまな地形にも容易に対応できた」とした。
記事は「しかし、装甲戦闘車両の攻撃を受けると、すぐに破壊されてしまう程度の防御力しかなかった」と指摘し、「そのため、日本の九四式と九七式は、本当の意味で『豆』戦車となった」と結んでいる。(翻訳・編集/山中)
https://www.recordchina.co.jp/b630438-s0-c10-d0062.html 豆戦車は別に日本軍戦車の蔑称じゃなくね?カテゴリだろ 当時の中国の戦車は弱かったから日本側もハイスペックな戦車を作る必要がなかった >>1
そもそも100年前、世界で初めて空母を作った島国日本は戦車など興味が無かったんだよ ノモンハン事件でソ連のT-26やKV-1と戦ってなかったか? >>19
横からだが、あったよ
ルノーとか1号戦車とか かわりにドイツは海軍がポケットだったな
金がかかるんだな >>19イギリスやアメリカが中国に供与していた 戦闘機もな
第二次大戦の始まる直前の各国の主力戦車は比較すると
どれもこれも砲は貧弱、装甲は薄い、エンジン出力は小さい物が大半だ
そこから僅か数年で戦車は一気に進化する
日本軍戦車や日本軍の対戦車対策はその進化に完全に取り残された
M4シャーマンを相手にした日本軍の悲惨さはもはや笑えるレベル 一式中戦車とか、登場が10年早ければ結構活躍したんだろうな >>19
この記事に出てくる戦車より古いやつなんだけど
九二式重装甲車(所謂軽戦車、武装は13ミリ機関砲)2台と乗用車1台トラック1台の計4台で臨時に編成された戦車分隊に
数日間、合計140kmも追い回されて戦死者500名、負傷者1000名出すレベル。
戦車戦?何それ?って感じ。 >>25
M4シャーマンを、日本兵は2階建て戦車と呼んだというな
まあ4号戦車(独)やT34は低姿勢だったから、2階建てには見えなかっただろうが
でもそれはアメリカが生産性を重視したからで、M4の性能自体は良く
ソ連軍では供与されたM4をエリート部隊に配備したという 日本は海洋国家だから海軍に重きを置くのは至極当然。
その反面陸上戦力の機械化は欧米列強に大きく遅れを取っていたのは事実
中国軍や東南アジアの植民地軍相手には十分な戦力だったけど、それが限界だった 97式軽装甲車テケたんは、愛らしいからなぁ。
ttp://dotup.org/uploda/dotup.org1606845.jpg >>17
馬鹿ネトウヨ
それは本当に在日なのか?
よく考えてみろ
お前はお前にとって都合の悪い存在を
全て在日認定してるんじゃないか?
お前に働けと言う親を在日と呼び
お前よりバカだったはずなのに結婚して幸せに暮らしてるアイツを在日と呼び
自分が世界で一番優れた人間なのにそれを認めない世界を在日と呼んでるだけなんだろ
いい加減に目を覚ませ
お前は誰よりも劣ってるんだと気付け 意図して無かったけどジャングルの中走れたりデカい駆動音も相手ビビらせたり利点も有るんやで オイ車や5式中戦が登場してたらイメージ変わったと思う 国土の狭い日本は上陸された時点で負けだからな
制海に力入れるのは間違いじゃない 海軍が対英米7割とか阿呆なこと言ってきかないから
国内の生産設備が更新できず物資の大量生産できない
体制のままで総力戦戦うはめになった
国力考えたら大陸、南方と本土の連絡航路の護りに特化した海軍力を充実させるべきだったのに お前等の股間の豆戦車は遂にベールを脱ぐことは無かった >>40
それに気付いたの開戦して暫く経ってからだしな
それまでの海軍はきたる艦隊決戦に備えての海軍力の整備にしか注力してこなかったし、ソロモン諸島の攻防戦で無駄に駆逐艦を消耗し過ぎたから護送船団に回せるだけの余裕が無かった ドイツでも最初は2号とか35tとか可愛い戦車ばっかりだったからなあ
必要なければそのままでいい >>40
陸軍と海軍が連携して可哀想な人アピールができれば対米講和まで持ってけたのに。 戦車は甘え
あんなものトラップと肉薄攻撃でどうにでもなるよ
携帯型の対戦車兵器の開発ができなかったのが悔やまれるね
歩兵に護衛されなきゃ前に進めない缶詰なんて役に立ちません >>25
> イギリスやアメリカが中国に
> そこから僅か数年で戦車は一気に進化する
> 日本軍戦車や日本軍の対戦車対策はその進化に完全に取り残された
> M4シャーマンを相手にした日本軍の悲惨さはもはや笑えるレベル
今はアメリカのIT技術に立ち向かう日本のIT産業だな。
個人の根性に頼る会社は無能 >>47
独ソ戦後半のドイツ軍は月産150万発のペースで(あらゆる戦車を破壊できる)パンツァーファウストを生産したが、ソ連軍にはほとんど通用してない。
携帯火器の問題点は短射程である事で、車載機銃が極めて効果的であることと、速度を活かした危険箇所通過が効果的だとわかった。
このため、怪しそうな箇所を山盛り掃射したのちにタンクデサントによる歩兵射撃とともに高速前進する事でほぼ無傷で通過でき、包囲された残存歩兵は投降した。 装甲とか大砲とかよりも先に
エンストが酷くてまともに動かないからな・・・
そもそも動かない;;
∩( ・ω・)∩ チハタンばんじゃーい
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|ミ/// / ~~|ミ|丘百~((==___
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((◎)~~~O~~~~~O~~(◎))三)──)三)
ゝ(◎)(◎)(◎)(◎) (◎)ノ三ノ──ノ三ノ >>42
あの広い戦線を支えつつ、南方とのシーレーンを護衛するなんて作戦、そもそも無理だぜ。
でかすぎる占領地、そしてでかい占領地がないと戦争できないような戦争、それが日本の敗因ですわ。 >>53
どんどん先に進んじゃって
兵站が伸び切って
補給が出来なくて自滅する
という、紀元前くらいからの伝統的な負け方だね
とにかく大本営がアホすぎでどうにもならん >>54
よくある話と違うのは、大東亜戦争とは資源を求めての戦争なので
広い資源地帯の占領に資源の輸送とアメリカ軍との戦いを同時に行わなければならなかった。
どんどん先に進む必要があった。
結果どうしても広い太平洋に散らばって、補給が伸び伸び、その上前線はスッカスカで・・・という
戦争の原因ってレベルで失敗してる。 >>47
まぁそうだな
嘉数の戦い(かかずのたたかい)とは、
太平洋戦争末期の沖縄戦において、嘉数高台をめぐって1945年4月8日(7日)からの16日間に行われた戦いである。
この戦いは沖縄戦最大級の戦闘の1つとしても知られるほどの激戦であった(前田の戦い他を含むことがある)。日本軍は低地に「反斜面陣地」を構築して極めて組織的な戦闘を展開し、アメリカ軍戦車に襲いかかった。
日本軍村落陣地の中心付近へ進入した戦車隊は前後から攻撃にさらされ、
狙撃兵や歩兵がシャーマン戦車のハッチに集中的に狙撃を行ったため、偵察中の戦車長の多数が死傷した。
シャーマン戦車はもともと視界が悪いため、この被害によって行動不能となって進撃出来なくなってしまった。さらに、日本軍の特攻兵は陣中で急造した爆雷を抱えて突っ込み、戦車のキャタピラを破壊。
これがアメリカ軍にとって大打撃となった。動けなくなった戦車に日本兵が群がり、天蓋や操縦席のバイザーブロック(のぞき窓)から手榴弾を投げ込んだり拳銃を乱射したりしたほか、
速射砲(対戦車砲)による至近射撃(零距離射撃)も行い、戦車に対し壮絶な近接戦を展開したという
アメリカ軍の歩兵は嘉数陣地によって有効な行動がとれないようになっていたため
歩兵による支援が無かった戦車隊は、
3時間近くに及ぶ戦闘により戦車14両が破壊され、退却できた戦車は当初の30両のうちわずか8両であった。
また、勝ったとはいえ日本軍の損害も大きかった。 >>55
そもそも真珠湾攻撃が駄目だし
宣戦布告が遅れたのもアホ
宣戦布告する前に攻撃するとか、あり得ないし
もっと言えば、国連脱退したのがそもそも駄目すぎで
完全に最初から負けるフラグしか立ってないからな・・・ >>37
チリはまあ良いとしてオイはどうだろ…。
ホイとかの対戦車自走砲がもっと充実させたほうが良さそう。
あとは10cm砲のホリが間に合っていれば…。 カーデンロイドやカルロベローチェみたいなもんだろ
米軍ならスチュワート戦車の役割 日本陸軍が100トン戦車(オイ車)の試作車1両造ったけど試運転で壊れて計画が中止になった >>47
こんな事言うバカを論破してやりたいけど朝鮮戦争で実際これやって中国軍がアメリカ軍を押し返してるんだよな >>30
陸海空全部で一線級の兵器開発できたのは
米英ぐらいだしな
さらに数をそろえるとなるとアメリカしか無理だった >>49
だってPFってその辺の臨時徴兵されたおっさんが使ってたんだもん
そら、まともに当たらんやろ >>56
沖縄に展開してた日本軍10万人のウチ6.4万人が傷ついて沖縄戦敗退が決定した戦いだよ。 内容がまとも過ぎる記述で拍子抜けした、まったくその通りで修正箇所が無い >>30
>日本は海洋国家だから海軍に重きを置くのは至極当然。
貧乏な海洋国家な。
だから海軍は一回こっきりの戦闘で戦争の決着をつける艦隊決戦主義しか採れなかったし、
港湾インフラが貧乏なりでしかないから、結局は貨物船備え付けのデリックが「海外に持ち
出せる戦車の重量」を決めた。
>その反面陸上戦力の機械化は欧米列強に大きく遅れを取っていたのは事実
チハたん作ってたときは、世界的に見ても十分でかい戦車だった。
チハたんの重量が15トン。同時期の3号戦車は24トンだが、じゃあ他の国はどうかというと、
ドイツと直接対峙したフランスがシャール2Cで69トンとか作ってたが、これは歩兵戦車であ
って機甲戦力がどうたらとう話にはならず、同じ重戦車としてシャールB1が30トン、ルノーD2
で14トン、まともにドイツと戦車戦をやったFMC36で12トン。イギリスは「88ミリでしか撃破で
きない」マチルダ歩兵戦車が27トン、Mk-IV巡航戦車が15トン。アメリカに至っては13トンの
M3軽戦車とM3軽戦車と同じ砲塔を積む19トンのM2中戦車しかなかった。ソビエトでさえ、
冗談みたいな多砲塔戦車を除くと14トンのBT-7しか残らない状況で、列強以外ともなれば
10トン少々の戦車がほとんどとなる。 >中国軍や東南アジアの植民地軍相手には十分な戦力だったけど、それが限界だった
タラントからトリポリまでの航路など1000キロ程度だし、泣き言をならべたマルタ島とてシチ
リア島からの距離は100キロを切る。九州から1000キロ程度の中国大陸に、日本がどれだ
けの戦力を展開してどんだけの期間、戦争をやってたのかを考えれば、あるいはアシカ作
戦をなぜ実行できなかったのかを考えれば、戦車の性能以前にやることやれという話にし
かならない。
戦車を敵前揚陸できるけど航洋性の怪しい小さなフネを大量に作り、かつそれを護衛する
艦隊を揃えられるかどうかがチハより強い戦車を戦場に持ち込めるかの分かれ目になるん
だから「植民地軍相手には十分な戦力だったけど、それが限界だった(どやっ」とか、半可
通が半端なく、痛々しくて見てらんない。黒歴史確定だろ、これ。お前、いつ自殺するの? 豆タンクはむしろ日本が英国軍等から鹵獲したカーデン・ロイドとか日本軍の場合は重装甲車の事なんだが 今の自衛隊には豆タンク成分が足りない。(>_<)
ドイツのヴィーセルを採用しよう。 94式は戦車ではなく装甲兵員輸送車の奔りと解釈したい >>1
ティーガーTをライセンス生産するだけで勝てるのにアホだよな >>79
勝てねえだろw
1両作る間にT34/85が30両生産されるんだぜw
あー、T34ライセンスならかなりいけるか。 3号戦車も4号戦車も15トン級戦車で開発が始まっているから
15トンが世界標準だったんだろうな。 >>80
T34のV2ディーゼルエンジンが生産できないと思うわ。
日本がソビエトのディーゼルエンジンの性能に追いついたのが
昭和50年代に入ってからって日野自動車の技術者が書いてた
それほど日本のディーゼルは絶望的だったみたい でも、機構師団を編成したのは日本が最初だったんだよな
あっという間に開発競争で負けちゃった訳だが 帝国陸軍のチは実質歩兵戦闘車、オからが対戦車戦に本格対応可能なはずだったが、一両も前線に送られてないでござる
というか試作車しか無い
せめてチトさんが量産できてればな >>33
占領後のサイパンでM4の背中に載ってる写真を見たことがある。 大型化する車両に積む500馬力クラスのエンジンが開発できない
生産できないのだから、どんな仮想戦記でも戦車はどうにもならない。
工芸品のようなワンオフで1台1台手作りしていくくらいしかない。 >>22
実家のこたつはまだ豆炭だわ
買える所が少なくなって困ってる あのなあ、当時の日本はまともな自動車も作れなかったのだよ。
トラック程度だった。
太平洋戦争が始まって米領グアム島を占領、遺棄された米軍の
ブルドーザーをみてコピーしようとあれこれやったが結局出来なかった。
そんなレベルだった。豆戦車しか作れなかった。
中国軍相手ならそれでもよかったがノモンハン事件(1939年5月)で
ソ連軍の重戦車にボロ負けした。しかしその戦訓は生かせなかった。 >>11
だよな
たぶん、中国では日本の戦車の蔑称として使ってるんだろ 九七式チハなんて、中型のイロハニホのハ、三番目やで
ドラクエで言えば、ひのきのぼう→こんぼう→どうのつるぎ←コレ相当
どうのつるぎ(九七式チハ)でスライム(国民党の雑兵)などは無双も出来る >>90
ノモンハン事件でのソ連軍の重戦車ってどの戦車だよ
T-26もBTシリーズも重戦車じゃない、軽戦車だ
しかも火炎瓶攻撃食らって結構損害出してる >>90
コマツが開発しその翌年の18年1月にG40形小松1型均土機として完成。
その後各占領地に送られ陣地構築や飛行場整備に活躍した。 >>79
ドイツ戦車を使ってたのは中国軍だぜ。
中国軍は1号戦車。日本軍は89式中戦車とか94式軽装甲車とか。当時は世界的にまだそのレベル。
1937年当時の日本陸軍の装備は1の記事が言うように「海軍に資材を取られて貧弱だった」ってわけではないな。
これが1944年なら当てはまる。 エンジン弱いし燃料も不足してたから大きい戦車作っても無駄だったかも 大排気量の空冷ディーゼルだと寒い満州ではいいけど、
南方だと油温計を見ながら走ることになっただろうね。
当時の日本の技術水準では空冷の方がメリット大きかっただろうが
12気筒の1つ1つを組み立てるわけだから生産性は激悪だな。 チハ戦車の空冷エンジンの騒音がすごくて
マレー戦では戦車の大軍が迫ってる様に英軍側には聞こえて
英軍が待ち構えて居ると、銀輪部隊が大回りして挟撃
所謂サソリ戦術で英軍を翻弄。
シンガポール上陸戦でもチハ戦車を夜間
偽の上陸地点で走り回らせて英軍を集結させ
ベンセイ粛々夜海渡った別の日本軍部隊が挟撃
大勝利に貢献と言う、シュトウーカみたいな運用してた >>93
チハ改は中国人民解放軍最初の戦車だからな使い方整備の指導は旧日本軍
https://i.imgur.com/zlYZMYF.jpg まだノモンハンボロ負け説信じてるやつがいるのか…
当時のソ連の大本営発表で日本側の死者数が18000人超でソ連側の2倍の損害とか宣伝してたけど
崩壊後に資料漁ったら日本側の分析とほぼ一致してただろ。
ソ連は兵数で4倍超、装甲戦力で10倍も持ってたのに
死者数で2000人多い約一万人、戦車も300両近く撃破されてた。
ソ連軍指揮官の報告でも日本は練度が高くて東部に進行してきたら
進軍を止めるのは不可能だったから国境争いの小競り合いで済んで本当にラッキーだったって。
あと火炎瓶ってのもデタラメで実際は砲兵がやった。
BT-5は榴弾が当たるとよく燃えたそうな。
鹵獲しようにもBT-5は160両近く撃破して持て余したから放火して再利用不可能にしたみたいだな。 >>73
>>74
>>30は何も戦車に限った話しではないと思うぞ
現に開戦してから日本陸軍の機械化と自動車化は欧米に遅れをとっていたのは事実だろ。戦車の重さ云々ではなくて性能面とかでさ >>74
痛々しく見てられないのはお前のその長々とした自己満足うんちくだけどな
お前友達いないだろ? >>90
この記事の豆戦車って軽戦車より小さい戦車のこと
ポケット戦艦と同じようなもんだから
本当の意味での豆戦車ってのが意味わからんけどな 塹壕越えっていう本来の役割は果たしてるんだから十分だわな >>101
でも鹵獲したスチュアートがチハが登れない坂を楽々登ってびっくり 当時のキャタピラー車輌の故障率を知らんのか
ドイツのチェコ侵入の祭なんか戦闘はまったく無かったのに全車両の70%がエンコしてしまい
グーデリアンを暗澹とさせこの問題を解決しない限り電撃戦など絵に描いたモチだと嘆かせた
ところが日本軍の軽戦車は広い中国や満州を走り回ったにも関わらず最初から故障が問題になったことがない
この点にもっと注目すべき 対戦車戦車では無かった。
単なる対人用移動トーチカだった。 >>107
ソ連の名将ジューコフが「一番きつかった」と言ってたくらいだからね
でも、その後のプロパガンダを含めるとソ連の戦略勝ちなんだよな
典型的な「戦闘に勝って戦争に負ける」パターンという意味で反省が必要な話 >>117
細かくてあれだがクロウラーもしくは無限軌道な
キャタピラーは社名だ チハタンの装甲は俺のパンチで凹むくらい薄かったみたいだ >>128
装甲板じゃなくて普通の鉄でいいから25mmの鉄板をパンチで凹ませて見せてくれ。 >>117
初陣のときは運用方法がはっきりしてなくて歩兵の支援しかしなくて特に問題にならなかったけど
熱河作戦のときは稼働率アレだっただろ。
八九式軽戦車(八九式は中戦車だが、初期型は軽戦車として作られた)は戦車隊から全部トラブルでいなくなって
作戦直前に残ったのは九二式重装甲車たったの二両。
まぁこの二両に追いかけられた中国軍は、1500人も死傷者出すんだけどな。 >>125
弱いとは言え、前面12ミリ側面8ミリなのでライフルじゃ無理。
重機関銃側面なら抜ける。 >>133
対戦車ライフルというのがあった。
大型の狙撃銃だよ。12ミリの装甲なら楽勝貫通。 >>117
ダイムラーベンツのエンジンなんて糞だろ チハバカにしてるけどマレー半島ぶち抜かれて打通もやられてとどめに米軍の中国侵略から共産党の逆転に持ち込んだのもチハなんよ
なので想定通り歩兵支援用として活用した時は強敵なんだよ
イギリスが対人射てない対戦車用戦車を派遣して苦戦してた様に元々ソフトキル用の長駆戦車なんだし
チハが当時の戦車としてヤバかったのは長距離走り続けれた上に走りながら照準を合わせて射撃出来たからってのがある
当時は走行しながら狙って撃つのが構造上難しい物があった 中国軍は戦争の初めと終わりを除けば
対戦車砲も戦車もほとんど使ってないよ
対戦車ライフルに関してはまったく持ってない
中国軍がやったのは時々嫌がらせをしながら
ただひたすら中国の奥地へ逃げることだった
そうすれば日本側の兵站が切れて自滅するし
攻勢は米英軍の役目 核爆弾2発で数の理論をひっくり返されたんだから負けは負けなんだろう
核が開発されなければ一人で200人殺せば勝ち的な特攻が続いたろうし >>138
それでも帝国陸軍支那駐屯地軍は敗戦後、
大陸最大の武装勢力で11月まで武装解除に応じなかったけどな >>139
いや、ソ連参戦の報が届いた段階で降伏は決まってた
そもそも敗戦の年はしぜんさいが 敗戦の年とその前年は自然災害と凶作で戦争どころではなくなってた
国民の戦意は低下していていつ反乱が発生してもおかしくない状況だったし 零戦や戦艦大和、空母赤城は、伊四○○潜水艦なんかは
アメリカの戦闘機や軍艦と比べても恥ずかしくないんだが、
日本軍の戦車は米独に比べるとオモチャみたいに見える。
「プライベート・ライアン」で、日本軍の戦車が相手なら
狙撃兵のジャクソンは死なずにすんだんじゃないか。 >>134
ドイツの3号戦車や4号戦車も独ソ戦当初はソ連の対戦車ライフルで簡単にやられたな。 >>124
そのソ連軍を苦しめた一因が日本軍が配備してたいわゆる「アリサカライフル」だったんだとか
日露戦争では30式、ノモンハンや占守島では38式の弾道低進性や射撃精度にソ連兵は恐れ慄いた
今でもアリサカライフルの逸話はロシア軍の中で残っているらしく、ボスニア・ヘルツェゴビナにSFORとして展開してたロシア軍駐屯地を日本人記者が訪問したときに案内役の将校に尋ねられた
「そう言えば日本軍は今でもアリサカのライフルを使ってるんですか?」
記者が「いえ、今は豊和という会社が作ってますよ」と答えると「えぇ…?ホーワ?知らないなぁ…アリサカじゃないの…?」と納得行かない様子だったそうな >>91
国民党軍との戦いに使って博物館にも展示してるんでなかったっけ? 陸軍の主敵は国府軍だしな
アメリカは海軍の担当という認識だった
国府軍が戦車を運用してないのだからチハ以上のものは必要なかった
実際チハで無双できた
国府軍がシャーマンを使ってたら日本側も対抗するため四式五式の開発が早まったと思う 陸軍は国府軍相手には8年連戦連勝で大陸打通という大規模な作戦も成功させ完勝状態だった
終戦時にも105万の大軍が健在
負けたという認識がないから降伏にも反対してた
勝っているのに降伏するとは兵隊たちも狐につままれたような気持ちであったろう >>1
ライト兄弟の12年前に飛行機の設計図を完成した二宮忠八
100年前、朝鮮人の移動手段が徒歩だった頃、日本は世界初の航空母艦を建造していた。
しかし、21世紀の現代チョンは未だにエンジンが作れない。
もう一度言う。糞食い土人グックはエンジンが作れない馬鹿民族である。
繰り返す。
自称先進国のホルホルゴキブリ朝鮮人は、車のエンジンすら作れない糞食い乳出しグック原始人である。
ゲラゲラwwwww >>151
日本は技術・工業レベルが低すぎて列強基準に達してる火器や兵器が殆どないからな
だからまだ比較的マトモだった三八歩兵銃や零戦ぐらいしか誇る部分がないという悲しい現実がある >>154
中国共産党が第二次大戦終了後に、わずか4年で国民党を大陸から駆逐したのに
8年かけても蒋介石を打倒できないのなら、大陸での軍事戦略に問題があったと考えられる
日本軍にプランがあって戦争をしていたのなら、あと何年戦えば勝利にたどり着けたんだよ
結局は大陸の戦争が長引いたから、アメリカとの戦争が避けられなくて負けたんだろ >>156
末期のイメージと数々の作戦のアホさでマイナスイメージ強いけど、分隊火器構成としては先端行ってたんだけどね。
96式や99式などの軽機関銃を分隊に配備、これを分隊火力の中心としてバカスカ撃つ運用をした。
このため、米軍のBARとは異なり銃身交換ができるようになってる。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/48/Type99LMG.JPG
その他の歩兵は弾薬の運び役として機能し、入れ替わり立ち代り弾薬を機関銃主に運ぶ。
これは現代の分隊支援火器の思想。 >>158
中国ではいい感じで機能したけど、兵站の失敗と弾薬構成のアホさで南方では初期構想通りにバカスカ撃てなかったけどねw 死んだ爺さんのが陸軍時代の話、この兵器は明治時代かよ!?
みたいな話してたのを思い出した >>158
確かに帝国陸軍の小隊レベル火力は世界最高水準
優秀な軽機関銃に擲弾筒、精度の高い小銃
かなり強い、小隊レベルでは
が、これが米軍相手になると超強力な師団砲兵と航空支援、艦砲射撃がもれなくついてきます >>161
アウトレンジから一方的にやられるだけか >>161
煽り抜きで中国や東南アジア進駐の二線級相手には無双できるけど
欧米の一線級相手にどうにかなるほどのもんでもない >>161
「戦争に一番役に立ったのはジープだ」と言った人いたな。
米軍は小隊に1台のジープを配備してた。
↑
小隊が武器弾薬食料を車で運んでいた事を意味する。
https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/037/145/973/37145973/p1.jpg
少尉殿が自分用に乗り回してるイメージあるw >>158
九九式軽機になってから銃身はボルト止めになっているから
銃身が焼けるほどバカスカは撃ってなかったんだろうな。 米軍との対戦の結果は兵器の優劣の前に撃つ弾が尽きたのが原因で
兵器評価の基準にならんのだよ >>168
純粋に技術評価で見るべきものなんかないんだよなあ >>168
技術が決定的に違うから
レーダー
近接信管
だけで、決定的
さらに日本兵は機密保持の概念が無いから
作戦内容を全部日記に書いてやがった
馬鹿を通り越してる
アメリカは日本兵が残した荷物を調べて
日記から、作戦内容が全部筒抜けになってた・・・
戦術も戦略も技術も
全く相手にならんレベル 陸軍はいらなかったら。
筋トレさせて行進させるだけ。
ドイツとイタリアみたいに寒暖差激しい砂漠は無いでしょ?
クーラー無くても暖かく。 なんかむかし婆さんによく揶揄みたいな感じで「この豆タンク!」と言われたのだがいまだに意味がわからぬ >>158
せんせー
分隊支援火器にも銃剣って必要なんですか〜? >>158
>大陸での軍事戦略に問題があったと考えられる
そんなものは無いよ。
あったら日中戦争は勝って終わってた。 日中戦争と日清日露戦争の違いは戦略が無かったこと。
圧倒的に優勢な清やロシアに勝てたのは戦略があったから。開戦から講和まで色々と問題は起きてもおおむね計画通りに進んだ。
日中戦争で圧倒的に勝ってたのにだらだら泥沼やってたのは戦略がなかったから、最初は上海を攻撃されたから救援に行くという
地域紛争のつもりで出かけて、スパイに騙された近衛が近衛声明を出すと軍部は政府のアホっぷりに呆れて勝手に動き出す、
それで場当たり的に戦線が伸びて行って補給線が伸び切ってる状態。
普通なら総反撃にあってボロ負けするところだが中国軍が戦うってレベルじゃないほどにボロボロになってたので反撃を受けなかっただけ。 >>173
銃身の跳ね上がりを緩和するオモリになるんやてー ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています