2020東京オリンピック
ボランティアはなぜ無償なのか

http://maga9.jp/171206-1/

本来はきちんと対価を払って、コストをかけてスタッフを整備すべきだと思います。
スタッフとしてきちんと雇用するとなると、まず採用が大変だし、労災保険に入ってとか、最低賃金はとか、残業代はどうするんだとか、雇う側としてはいろいろ責任も生じてきます。
それがボランティアだと、労働者みたいに法律で守られるわけではないから、かなり自由に使えますよね。
そういう意図もあるんじゃないかと思います。

ボランティアの名を借りた無償労働。

「ボランティア」というとあたかも社会的に「いいことをしてる」という美しいイメージですけど、それに惹かれて行ったら、待っているのは単なる強制労働という。本当は「ボランティアの名を借りた無償労働に参加しませんか?」ですよね。
これから、各地でオリンピックのプレイベントなども行われるだろうし、「オリンピック成功させよう!」という空気がどんどんつくられていく。
気が付けば多くの人がそこに取り込まれていって、ボランティア参加を拒否するなんていえば「なぜ協力しないの?」と詰め寄られるようなことにもなるかもしれない。
オリンピックに反対する人いわば「非国民」をあぶり出す装置としてボランティアが機能してしまうのかもしれません。
組織委員会と連携協定を結んだ一部の大学では、オリンピックボランティアに参加することで単位が取れる、なんていう話も出てきていますしね。そうなると「参加して当然」という雰囲気になっていく。
このボランティアの問題には、やっぱり二つの側面があるんですよね。一つは、これだけ協賛金を集めておきながら、市民をボランティアとして利用することでコストを下げようとしているという問題。
そしてもう一つが、今述べたような国家主義的な問題です。ナチスドイツ時代のオリンピックでも、非常に「ボランティア」が重要視され、市民が主体的に国家に協力するという形をつくるためにオリンピックが利用されています。