https://anond.hatelabo.jp/20180620193354
■大阪北部地震で表出した危険な愛国心

大阪北部地震で9歳の女の子が小学校の塀の下敷きになって亡くなった件について『可哀想だ』『痛ましい』といった声がネットに溢れている。

だが、そのような声を上げている人に敢えて問いたい。あなたは亡くなった子や保護者の知り合いなんですか。

亡くなった女の子の保護者や友達、通っていた学校の先生などがそのように思うのは当然の心理だ。そこを問題視するつもりはない。

だが、ネットで可哀想だと言っている人の多くはその子と何の関わりもない他人だろう。それなのになぜ可哀想だと思うのか。

「いや、幼気な9歳の女の子が亡くなったら誰だって可哀想に思う」そのような答えが返ってくるかもしれない。

だが、残念ながら幼気な9歳の女の子が事故や紛争で亡くなる事例は世界中に山ほどある。それなのになぜ、今回亡くなった子だけについて可愛そうだと思うのか。

答えは簡単だ。あなたにとって今回亡くなった子は、遠い外国で殺された9歳の子どもとは違い、『同じ日本人』だからだろう。

だが、あなたは気づいていないだろうが、そのような同胞意識こそが危険な愛国心そのものなのだ。

遠い外国で亡くなった外国人には心がさほど痛まないが、同じ日本人が亡くなったら心が痛むというのは結局の所、命の重さを”同じ日本人”>”それ以外”の外国人 と設定しているのと同じであり、

そのような感覚が『中国人の命や財産を奪い、代わりに日本人を裕福にして命を助けたい』という政策を生み、満州事変から太平洋戦争に至る一連の戦争で何千万人もの犠牲を生み出したのである。

日本人はもっとそのことを自覚するべきではないか。