18歳で侯爵家の長男・松平康愛と結婚。久美子は「結婚式で十二単(ひとえ)を着たのですが、
はかまの丈が短く、その中に蚊が入ってきて、かゆくてたまりませんでした」と裏話も。
夫は海軍少尉として出征。自身は空襲時、疎開先の八王子で火の粉が飛ぶ中、バケツを持って
屋根に上がった。「戦争中は大変でした」。敗戦の玉音放送を聞きながら、「ほっとしました」と実感したが、
翌年、夫の戦死が確認された。

 戦後、華族制度は廃止され、戦火を免れた「第六天」は国に物納された。
47年、亡夫と成城高校アイスホッケー部で仲間だった医師の井手次郎と再婚。
徳川家のお姫様は病院の仕事で多忙となる。

「泌尿器科の患者さんも多く、包茎だ、パイプカットだという言葉も平気になったのですから、人は変わるものです」。
50年生まれの長男・井手純は「特殊な所に生まれても、庶民の生活に飛び込んで慣れも早かったところが、
おふくろの気性というか、今でもこうして生きていられるということなんじゃないかと思いますね」と順応性を指摘する。