哲学の本など読まなくても己の中に哲学は無いか?
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\ (´・ω・`)また難しい話してる…
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し \:::
\ 学問の体系を知りたいの?
哲学って別の意味でハゲ使ってる可能性ない? なにかの一流の人って経験によって哲学って構築されて行くものなの?
それともある程度一流になる前に哲学を持ってるもんなのかな? 東大で物理専攻してたが、教養課程の哲学すらよくわからんかった。 分からないことがあったら何でも訊いてくれ、実家が鉄工所だ。 せっかく21世紀に生きてるんだから科学の本読んどけ
ギリシアの哲学者が喉から手が出るほど欲した知識の塊だぞ 哲学の面白さが理解できないのは単に頭が悪いからだろ
馬鹿が首突っ込んできにくいようにしてるんだよ 考古学が追求するのは "Fact(事実)"である
"Truth(真実)"を追求したいものは哲学科へ行け >>8
哲学の意味は哲学科の中でも分野によって違う。
時代にいっても違う。プラトンの時代は根本は
数学の応用であって根本は幾何学だった。
だからイデアは人の構築した論理の世界。今の
時代ほど数学が学として構えられず、学問の
根本分野として受け入れられてた時代の概念だよ。 いまさら… 生き方を変えられん …大人とはそういうものだ… >>1
おまえが自分にもあると思うなら尚更だが人類の遺産に敬意を払うべきだな >>13
そうそう。哲学って手放しで言う人ってアタマ悪いよね。
自分が何を知らないか理解できないんだろ、アンタw まずは自然哲学から始めよか
デカルト以降はまた次の機会に そもそもなにかの役に立てるために哲学を学ぼうってのが頭悪すぎる。
役に立つわけねーだろ
そんな俗物には哲学なんて向かねーよ >>27
なんでそういう学校行かないの?
一人で一冊読めば何か自分で得られると思うタイプ?
本一冊で学問体系の入り口に立ったと実感した経験ある? さっき丁度、一ヶ月半掛かって、マイケル・サンデルのこれからの「正義」の話をしようを読み終えた所だ。
哲学って机上の空論じゃないって、こりゃあ面白かった。はまりそう。 >>17
そりゃあ中世じゃあるまいしアリストテレス=アクィナスから始めるのは実際的に無理があるが、
今の時代精神が求める潮流ってどこにあると思うんだ? 俺は素人だけども、
デカルトのコギトエルゴスム
カントの純粋理性批判
ニーチェのルサンチマン
ヴィトゲンシュタインの独我論
には興味があるな。
というか、AIが本格化すれば、心脳問題はまた活発に議論されるに違いない。
脳と心の関係は謎すぎる スレタイ、その通りかもな。
社会や政治、法律なんかの中に哲学は生きてるわけだから
普通に生きてるだけで、特に哲学の本など読まなくても哲学は身についてるはず。
逆に無いならただの馬鹿だから早く死んだ方が良い >>8
他の人を真似しても一流には成れる
その時には哲学は無くても良い
他の人のレベルを超えて何か成し遂げて一流と言われる人はその過程で何らかの哲学をみにつけるんだと思う >>9
2ちゃんの哲学板はゴミだった
虚栄心としったかのすくつ ソクラテスで完成してしまってるからな
今生きてる奴の哲学なんて聞きたくない センズリした後に会いたいって思える女と結婚するのが俺の哲学やで。 私、とはなんなのか。
いやホント、これ考えるとアタマが狂いそうになる。 >>17
日本には紹介されてないからな
翻訳しようとする日本の哲学部の教官が理解できないから
数学と情報科学と認知科学と言語学の素養が無いだけだけど >>33
そういう興味から、デカルト,カントの流れを見る向きもあるけれど、
むしろヘーゲルやった方がいいんじゃないか?いっそペンローズも
デカルトのコギトはむしろ自身の思考に対する思考から生じたと今では解釈されたりしてるから混迷するぞw
――その場合の「故に」以降はオマケ扱い
日本人の訴訟嫌いを逆手にとって
訴訟で脅迫して言論の自由を奪おうとする悪徳弁護士
相手の言論を勝手に「デマ」だと決めつけて
ついでに示談金めあての卑劣な恐喝までしている
朝日新聞も似たような方法で批判を封じようとしている
パヨク(ゴキブリ在日韓国人)の常とう手段とは言え
余りの卑劣さにあきれるばかりです
自分の思い込みなんて
答えを言われてからそうそう俺もそう思ってた、くらいのもんだからな >>38
ソクラテスで完成なわけない。
お前かじったばかり過ぎだろ >>43
半分数学者じゃん。
デカルトは論理学の礎だし。 >>43
いや、実際カントが何言ってんのか1ミリもわからん。
ただ、不思議に興味をひかれるというか、何か人間の認識の枠組みに関するガチのものがそこにあるような、気がして、いつか勉強したい。 ニーチェ入門みたいなのコンビニ本とかで売っとるが、危険思想だと分かっとるんか
本気でニーチェやったら社会生活出来んくなるやろ >>48
アウトラインだけ知りたいなら数学史からデカルト前後の論理学と演繹法の変遷を学べ。
デカルトの言葉の当時での意味を知りたくてもそこから入って著書と当時の数学の本を読んでいけ。 まぁ古今東西数多の哲学者が様々な論議を重ねてきたが、俺が無職童貞な時点で何の意味も力も持たない。
要は戯言の歴史ってこった。 ニーチェって有名だけど
さいしょによむにはむかんとおもうわ 純粋に真実の探求やってた頃はよかったのぉ
エウレカエウレカ叫びながらフルチンで走り回ったり
サイエンス部門が哲学の懐から巣立ってからは内省の日々や >>47
AIと哲学に興味ある人が人性二分説ベースの思想だけに触れるのは余りにも結果が見え過ぎるように思えるだろ 過去の知識体系が役に立たない新しい時代になったときに哲学や新宗教が生まれるんだよ
古代ギリシャ、春秋戦国、鎌倉時代、
産業革命、近代社会の到来 キルケゴールは読まなくても良いけど
プラトンくらいなら読んでみたらイイと思うぞ
プラトンは話としても面白い作品があるしな >>13
哲学ってちょっと理屈っぽいのと専門用語が多いから敬遠されがちだけど、
割と実生活の感覚や考えで役立つ所があるからハードル下げてほしいわ
「ニーチェの言葉」みたいなのじゃなくてもう少し気楽に体系的に学べる本が欲しい >>57
決め付け?単なる提案しかしていないけれど
おまえはそういう風に決め付けたいんだろうねw >>62
うん、じゃあ聞くから最初から話して?AIがどうしたって?
俺があなたを知らない人ということを忖度してくれると嬉しい。
冷静になって。 私とは何なのか。
私とは本当に存在するのか。
そもそも存在するとはどういうことか。
あとは、世界の仕組みが人間に理解できるのは何故か、因果律が成り立つのはなぜか、究極の話、なぜ何かがあるのか。
死ぬ前に納得いく説明を聞きたい。 80年代に哲学がおしゃれなものとして扱われたw
吉本隆明、浅田彰、中沢新一とかがアイドル扱いだったw >>60
片方はまさはるという人名
そこまでは分かった 人生哲学と学問の哲学は違うことぐらいは本でも読んで分かっとけよ
ざっくりと解説するなら、学問の哲学とは本来数式で表現できないことを数学的に証明することだ
そうしたことを経て新しい学問が開かれていく
まだ記号化、概念化されてないものを記号化、概念化するための手法
記号化、概念化された瞬間から、それは新しい学問となっていく >>63
おまえのレス見てそういう気になると思ってるの?
屑にしか見え無いよ ヘーゲルは読まなくても良いぜ?
あれを持ち上げるのはその継承者たる唯物史観に染まった文系学者
日本の文系大学には沢山いるけど 自分てわ何事にも疑問を持って自問自答していって導き出すのが真の哲学だろう。 >>65
社会批評としては面白いよ。
哲学と言い切るかは本人らの出自でしかないし。
でもあの頃のライターのテキストだったガタリは政治批評でしょ。
一般論化する軸がなかったから哲学という人もいるくらい。
時代が時代なら思想家と言われたかもしれない。 >>73
いつも思うけど日本語の学の使い方を間違えてる人が多いと思う。 >>69
ほらなw
おまえからレスして来てるのも頭に無いとはねぇ 哲学って大体が西洋哲学の話になるよね
諸子百家とかはあんまり出てこない >>80
学なんだから分類次第でしょ。
Phylosophyを考えるとヨーロッパの数理哲学が本流じゃないの。 ないな
すべての考えは
他人の哲学
自分オリジナルは存在しない 教養課程で哲学の講義履修したけど、「哲学者学」だったわ
自分の哲学ってより、過去の話ばっかりで最新の研究の話聞けなかったんだけど、院クラスだと聞けるの? >>1の記事は、半分賛成。半分反対。
アウトプットだけ学んで、なんででしょう?は、自分で考えればよい。
かえって哲学できる。
>>1のスレタイはアレだ。
お風呂のお湯って、また入れるときがくるにしても
捨てるだろw 哲学というのは抽象化である
物事をそれそのままに見るのではなく更に深く掘り下げてそれに対する問いを発する行為である
それは知能よりも性格に帰因するように思われる
哲学的な思考はできるというより「してしまう」ものであり
多くのそのように考えない人たちからは、ほとんど絶望的に理解してはもらえない
多くの人にとって哲学は、哲学者の本を読むことであったり人生論であったりノウハウ集であったりするが
それは哲学の成果物(というか搾りかす)であって、本来哲学は深く更に深くと考えていく行為の中にある 5.6歳ぐらいの子供こそ哲学している
私とは、なにか?
世界とは、なにか?
死とは、なにか?
盛んに問うている
だが、大人になるにつれ、多くの人は、その問いを捨てていく
浮世を生き抜くには、邪魔な問いであるから
その問いを取り戻すため
既存の哲学書が役立つこともある そもそもお前のやる事なす事自体が客観性を持ち得ないだろって元も子も無い考え方が好き >>61
日本(東洋)は学問体系が近代に西洋文明と衝突していびつになってる。
だから哲学が切り離されて精神分析論と混ざった感じの考えすぎるメンヘラが好む同好会みたいな扱いになってる。
リベラルアーツという西洋の文系理系という東洋の枠組みではない学問体系を理解すれば
哲学のハードルは下がるで。
さらに言えば、日本が、まあええわ。
続きはまた今度な。 オリジナルの哲学があるとしたら
生まれた瞬間
誰の教えもなく
いきるやつだけ
そういうやつはいない 哲学を勉強する理由は、巨人の肩の上に乗るためだよ。
哲学だけじゃなく、あらゆる学問がそういうものなんだ。 >>91
己の思考を弁論したり著述するのに言葉を使う時点で、言葉の制約を受けて純粋な形には発露できないと思うね
だから芸術があるんだろうけど、それはそれで受けての主観の物になってしまう >>67
前者の哲学の方が有名な気がするんだけどビジネス書のせいかね ニーチェを読んだけど、たいしこと言ってないなコイツ。ただの屁理屈。
時間の無駄だった。この程度のことしか言ってないのに持ち上げあれてるのか。 インド哲学とか東洋哲学を読むけど、西洋の哲学者のインド哲学にたいする知識は酷いな・・・・・。
ショーペンハウアー、ニーチェの言ってることはインド哲学や仏教の基本的なことすら理解出来てない。
インドの哲学者がブチキレそうなくらい酷い。 >>96
岩波文庫のツァラトゥストラを読んでみたが、日本語として読みづらい実に下手な翻訳だった 小説は好きだけどそれ以外の本とか退屈で読む気にならんw
まぁ中島らものエッセイはそこそこおもしろかったけど >>94
ややこしいことに著名な哲学者の名言集的なものもあって、彼らが残す名言的なものは自らの学問における哲学を端的に表すものとして機能してたりするから余計に哲学の何たるかを誤解されやすい
けどそれはシュレディンガーの猫の話は知ってるけど量子論のことは全く理解できない状態と変わらない ショーペンハウアーやニーチェのインド哲学や仏教の知識は、専門家ですらお粗末だって認めてるからなあ・・・・・。
ニーチェは、ニヒリズムとリアリズムの区別すら出来てないし。
専門家にハッキリとお粗末だと書かれてるレベル。しかも、欧米人にそう書かれてる。 あるよ「仏性」は誰にでもある
そこに気づくかどうか
己を見つめ知り尽くすと見えてくる >>102
メタサイエンスもあればメタ政治もある。
昔は数学が先でそれを現実に持ってくるのがフィロソフィーだった。
説はいろいろあれど一本化はよくない。 >>103
お粗末な物はお粗末なんだから仕方がないだろ。 ニーチェが人気が出たのは、
ワーグナー全盛の時代にそれに対抗する存在として特にフランスでの事なんだよな
いっそ詩人として読めば?衝撃あるかもよw 西田哲学は学ぶ必要ないで?
こいつの問題意識はもうどうでもいい >>108
ぶっちゃけ、量子力学とAIがそれ以前の哲学を完全破壊した。
20世紀前半以前の哲学なんて、もう古典だ。 エロ画像は高画質であればあるほど抜ける
ただし動画はその通りではない 大昔の働かなくていい暇持て余したアホが時間つぶしにやってたのが哲学なんの意味もないよ
考える葦であるとか wwwwwww いきなりサルトルだのニーチェだのは難解すぎるだろw
その前提となる哲学の流れを知らないと何言ってるか判らない
古代ギリシャのソクラテスなどソフィスト達の原始哲学、アウグスティヌスに始まる神学論争、近代の無神論的モダニズム
この3つは別物として分けないといけないw
特に真ん中の宗教論争は完全に無視してもいいw 学生の頃は夢中で哲学の本読んだり哲学的な事を考えたりしてたけど、おっさんになって働き出すととどうでもよくなってくるんだよなあ >>113
逆だろ。
もはや完全論破された砂上の楼閣のほうが覚えるだけ無駄で
宗教哲学のほうこそ、「無知の状態では人間はこう考えがちである」、という意味で
歴史的に意味がある。 ウパニシャッド、ヴェーダ、とかインド哲学も読んだ。それと、シャンカラ、タゴールの本も持ってる。
西洋哲学は、理屈っぽい印象を受けるね。 哲学は袋小路なんだよな
答えが無いし、自分が納得できないものは理解できても腑に落ちない 正直、哲学は、科学に論破される歴史だからなぁ。
今わかっていることを基にして考えるとこうなる、というだけであって、
それをひっくり返すような事実が判明するとぶち壊される。 >>115
宗教哲学はアウグスティヌス以降は無駄でいいんじゃないか
人効を棄てて、教会にその役割を振り分けた時点であまりにも無意味だよ
かと言ってそれ以前のも情報としては混迷し過ぎてるけどね カトリックの神父、カトリックの宣教師、プロテスタントの牧師。コイツらが、軽く論破されてるのを見るとこの程度かって感じだな。
神学を学んでも、新井白石を軽く論破されてるくらいだし。プロテスタントの神父も、スリランカの僧侶に論破されてるしな。
パーナドゥラ論争の話だけどね。 >>101
ニーチェは単にショーペンハウアーの受け売りじゃろ
ショーペンハウアーはフランシスブキャナンがビルマ仏教を翻訳の翻訳で紹介した無いようの受け売り カトリックが神父、
プロテスタントは牧師、
イギリス国教会は主教、
ではロシア協会の聖職者は何と呼ばれている?
ぐぐらずに答えられれば、ちょっと尊敬する。 問題意識が同じで自分よりはるかに頭が良くて
深く掘り下げてくれる人を見つけると楽しい 関連した実用書が多いということはそういう学問なのか、というイメージを持たざるを得ない 哲学論理は意味がないものだ
各自の使う語句の概念が統一されていないから
哲学の全体像が世界の象徴のようだ >>121
プロテスタントは神父じゃなくて牧師だったな。 >>112
アリストテレスは教師したらアレクサンドロスみたいな化物やエジプトプトレマイオス朝の初代王を育て上げたんやで?
哲学最強だわ 思考の体系を知るのにはいいと思うけどな フィクションだと思って読むくらいがちょうどいい 欧米のコンピューターサイエンスの本読んでるとたまにプラトンやアリストテレスの話が出てくる >>132
枢機卿はカトリックの上級職だよ
デュマの三銃士にも出てたでそ?
俺はアニメで覚えたけど
神品っていうんだよ 六師外道の教えを知ると面白い。これね。自分では気が付いていないけど、現代人は知らず知らずのうちに六師外道の考えをしてることがある。 よく、死ねば無になるって言うだろ。これはアジタ・ケーサカンバリンの考え。
死ねば無になるって考えは、現代人多い考えだが2500年も前にこういった考えがあったのが興味深い。 現象学→ゴミ
実存主義→ゴミ
構造主義→ゴミ
ポストモダン→ソーカル
これでええで?
一方、分析哲学は今も学ぶ価値がある 哲学は必要としてない人には全く無意味
しかし求める人には金銭以上の価値がある
そんなもの >>143
いいね、バカからカネを巻き上げる「付け込む隙」ってやつだな >>136
パラダイム論とかやる科学哲学はメタ哲学にして哲学じゃろな お前らに一番合ってるのは「それから」の長井代助だろ >>143
価値観の問題意識に直面しないと哲学は生まれないからな
3.11でこれまでの己の生き方を見直した人はみなプチ哲学してる筈 ないよ?
あってもそれは哲学者では無い
ただの詭弁 西洋哲学があるから宗教は必要ないって人がいるけど、キリスト教を抜きにして
欧米の文化、芸術、哲学、学問を語るのは無理。 ニーチェはワーグナーとショーペンハウエルとエマソンの融合体 >>148
シュレーディンガーとかはショーペンハウアーの影響を強く受けてるんだよな 陳腐だけど色々あって人間関係の本質は、ギブ&テークに尽きるという事に至った
親子、兄弟、友人、夫婦・・・
相手に何を貰うか期待するのは、人それぞれで現金払いか出世払いかも人それぞれ
話も合わない、将来自分の助けにもなりそうにない相手と誰も友達にならないだろ >>157
それもう行動経済学として20世紀中盤から提唱されてまふー
おばかちゃんは車輪の再発名が大好きすー >>157
日本だと二宮尊徳がそれを理論化してるな 生活していくには科学で充分なわけやろ
せやけどそれでも「何故なんだ?」と問わずにはいられない変人が過去にはいたわけや
結局切実に「何故?」という問いをもたない人間に問いを持てということ自体、無理なこと
考えなくても生活していけるのにそれでも問いを持ってしまい考えてしまう、一種の癖みたいなもんよ
だから問いが切実でない人間には難解だったり意味不明だったりするわけやろ 西洋哲学を理解するには、まずキリスト教を勉強しなきゃ駄目。聖書に書いてある神とか悪魔とか、比喩でも何でもなくそのまんまの意味だから。
なぜか、欧米では仏教を哲学だと見てるけど、これは間違い。原始仏典に神とか悪魔とかでてくるけど、比喩じゃなくてそのままの意味。なぜか、欧米では神とか悪魔の部分を切り捨てて哲学ってことにしたけど。
釈迦は、神とか悪魔とか霊魂と言った非科学的、非合理的なことは説いていないという誤解は
欧米が理想化した仏教解釈から始まった。
近代になるまで、神とか悪魔、霊魂は身近な存在だったから。近代化に伴ってそういった物を否定してしまった。 >>161
リア充で現世を楽しく生きてる間は哲学的はいらないよな
リア充を妬ましく見つめ疎外真っ只中にいる者こそ哲学する
トーマスマン的な世界 >>162
あと哲学やるなら日本語はダメだよな
論理的思考には日本語はてんで向いてない
情感を伝えるのには豊かな言語ではあるけど
厳密性と論理性と構造供述が不得手 十代くらいには哲学の本も読んだ方がいいと思う
二十歳すぎて読んでたらちょっとアレだけど
二十歳越えたら自分の哲学を持たないとね >>162
キリスト教がなかったら中近世の哲学はもっと違う方向にいってたのかなとは思う
中近世のヨーロッパの哲学者はどいつもこいつも神や魂は実在するとか人間と動物は全く違うとか述べてやがる >>22
哲学は死んだ。これが最新
実証科学の時代に思弁哲学に回顧する人間は
神学的時代の考えに固執する人間と同様アナクロ
大学の教養科目にも、成績は良いが精神疾患としか思えない
病的なのがゴロゴロ居て、半年間苦痛だった
教員も社会性を持たない人で、他の職業は無理だろう
その程度の範囲しか知らないが、哲学には二度と関わりたくない >>164
そういうことを言ってる奴に限って数学が苦手という経験則があるが、
君は純粋な理論で微分方程式を解けるかね? >>164
訳書だと細かなニュアンスが伝わらないしな
哲学書読んでると、誤訳じゃないんだろうけど何かもう少し違う表現あるんじゃないのかって場面がよくある >>165
まったく、ちょっとアレだよ
自分の哲学を持つのは結構だが
他者には話さない方がよい
何の価値もないから 学生の頃はキュルケゴールやヤスパースにどっぷりはまった。
>>164
これは正しいかもしれない。昔のキュルケゴール本は訳が直訳的で非常に難しかったが、だからこそ読み込めば意味がわかった。最近の新しい訳はさらっと優しく丸めすぎていて、あの本の本意がこれでは伝わらないと思う。
哲学やるならせめて昔の直訳的な本使ったほうがいいと思う。
あと、哲学は他の学問と一緒にやるのがいいと思う。理系文系問わず。哲学だけ勉強するのでは、哲学はなかなか成り立たない。 >>164
別に言葉によって考えてるわけでもないし
あんま関係なくね?
それって結局、別に考えてるわけでもないけど、哲学くらい知っとかないとって
書かれたもんを読んでるだけだから気になるんちゃう? 哲学と言えば江戸時代までは武士は、論語の暗記とかしてたみたいだね。
インドのバラモンはいまでも、ヴェーダの暗記をしてるし。
論語は子供の頃に暗記しても、さっぱりわからんだろうけど人生を積めば積むほど理解が出来るようになってくる。
何でもかんでも西洋のやり方が正しいってワケではないと思うね。
近代化に伴って、西洋の考えが無条件で素晴らしいって価値観になっちゃったから。いまは、それはおかしいのではないかって気がつき始めたけど。 今でも通用するのってショーペンハウアーとニーチェくらいじゃないのってくらい、中近世はキリスト教や欧州文化を肯定して他を否定してるのが多すぎる >>162
> 比喩でも何でもなくそのまんまの意味だから
正しいと思うけれどそれは非常に難しい事だぞw
あとキリスト教と一口に言っても歴史的変遷まで抑えるのは相当な労力になる
公会議での福音の取捨選択やどの様に改竄されたか等も知っておかないと全貌は見え無い
最近になって原始キリスト教時代の福音を正しく翻訳するプロジェクトも始まったけどな 個人的には「哲学」と大括りにすること自体に無理があるように思う >>177
哲学って考えたり実験した結果の副産物なイメージがあるな
デカルトとかバリバリの理系だし 実は中近世のキリスト教哲学といっても、その根底はキリスト教だけではなくユダヤ教も含め数千年前から続く同じ問題意識だと思う。 キリスト教実存主義やその対比としてのニヒリズムは数千年前のタルムードや旧約聖書にすでに非常に色濃く示されている。 >>171
明治時代の文語の訳文は関係代名詞や接続詞や仮定法の表現が豊富なんだよな
これは当時の知識人は漢文ゴリゴリやってたから漢文由来の論理記述を使えてたから
戦後教育で漢籍の教育をばっさり切ってしまったか日本人の論理能力水準が低下してるんだよ
明治以前の日本の思想家は漢文で論理記述してたわけでそれを全部捨て去ったら日本語はバカ用言語になってしまうのにな >>181
なるほどあれは漢籍の功績だったのか!言われてみれば確かにそれだなあ。 本来、知の暗黒時代に、知の枠組みを決めるための学問が哲学だったんだよ。
だから学問の代名詞が哲学で、現代でもPh.D.という学位にその痕跡がある。
だが、外部から与えられた枠組みが学問を主導する仕組みが、
宗教(カトリック)が学問を主導する枠組みに変節した。
それを打破したのが15世紀以降だ。
世界を航海した船乗りが持ち帰ってきた事実が、内内で練っていた「哲学」を破壊した。
そこから哲学の放浪の時代が始まった。
そしてそれ以来、科学が哲学を破壊するようになった。
誰かが枠組みを決めても、現実を観測した結果、それが実験的に成立しなければ、
必死に何を考えたとしてもバカみたいに無効になってしまう。
全ての知の上位となっていた形而上学から、
エビデンスを重視するサイエンスへと哲学が堕ちたと言える。
いまや「哲学」は科学の理解無くしては考察すらできず、
理系学問を理解できないバカがこね回した理屈は、常に現実に裏切られる。
理系学問の思考の枠組みを決めていた科学の母が、
理系学問によっていつでも否定される科学の奴隷になった。 エーリッヒフロムが「自由からの逃走」の冒頭で引用したタルムードの句(うるおぼえだけど)
「私が私のためにいなければ誰が私のためにいてくれるだろう
私が私のためだけにいるなら、私に何の意味があるのだろう
今でなければいつだというのだ」
キュルケゴールからニーチェまで、必死になって書きまくった著作群、いろんな意味でこの3行で言い尽くされてるような気がする。 21世紀の最も偉大な哲人は今の所は
ピータードラッカーでいいよね?
まだ超える奴が出て来ていない >>184
残念ながらのーうwww
同時代のオルテガ・イ・ガセットも「私とは、私と私の環境である」と述べているし、
その一連の思想はいわゆる「近代的自我」の超克のプロセスと見るべきだ。
その結実がヴィトゲンシュタインだろう。
アフォーダンスに関する知見は、主体論としては精神分析に負けた感があるものの、
行動を導く現代デザインの中に生きている。 >>185
あと81年あるのに今決める理由があるのかい? キリスト教も初期の頃は輪廻転生の思想があったってらしい。でも、教会の聖職者たちに都合が悪いからそういった書物は外典として削除されたらしい。
聖書もそうだけど、キリスト教の教え自体が矛盾だらけで辻褄が合わない教義が多々見られるから。
キリスト圏で幽霊が目撃されるし。シェイクスピアの小説でも、幽霊を説明するのに苦労してたらしい。 哲学は偉大な先人によって本になってたりするけど、同じ答えでもやはり自分で自問自答して導き出した哲学こそ本物。
人の考えを読んだだけじゃ真髄まで理解できなかったりするし、浅い。
受け売りの知識でしかない。 >>188
えっ?w
研究者を見ていると全然思わない
しかし、人間というものを考えるには、哲学より史学に1度は触れるべき、とは思う。哲学は、その時代時代の屁理屈で普遍性なし >>188
ばかって面白いねw
古代、本来学問と言えば、いわゆる三学四科だよ。 >>190
論文書いたことがない人間が夢想する「知」「学問」ってそうだよねw
見た瞬間に低学歴だと分かる。
君をまともな師の下でまともな学位をとるといい。
一度でもまともな論文を書くとその考え方が糞だと分かる。 >>187
ドラッカー的には理由はもちろん説明可能 >>194
論文、低学歴、
もう、いかに頭悪いか、自己紹介すんなよ いい感じで反「論」できないヴァカが食いついてきたねぇw >>200
ダメだなあ
全然わかってない。
おまえ、共産党だろ? まぁ哲学なんて脳内活動をまとめたものだからあってもなくてもたいして意味はない
発明する奴は哲学なんて関係なく発明するし、発見する奴も哲学なんて関係なく発見する
有名になったらなぜか「哲学博士PhD」とかいう称号が降って湧いてくるだけ >>186
これはキリスト教実存主義やニヒリズムが問うてきた、また旧約聖書やタルムードの時代から問われてきた「存在の意味の探求、確認」という問題に対して答えているのか?
それとも、その問題設定そのものを拒否しているものなんだろうか。 >>203
いやいやおいおい、高校生くらいの時にちゃんと勉強しなかったんかいー!
答えちゃいないさ、ただの歴史に過ぎないのだよ。
分かりやすい(そして思春期の時に悩みやすい)問いの一つが
「自分とは何か?」というクソみたいな君みたいな低知能者が悩むアレなんだが、
その思想の歴史上の最大のピボットになってるのがいわゆる「近代的自我」ってやつなのさ?
で、社会から独立した意志を持つ存在であり、自由な思想を持つ一個の人間である、という理想像が
破壊されていく過程の一部をお楽しみいただければと思うのですが、
続きは学問で。 >>204
ほら、共産党w
人間の気持ちがわからない、内観すらできないから、外部に答えを求める。簡単に洗脳される。自分がわからない、自分がない まぁ実際、現代哲学がマルクスの影響を受けてることは事実だよねぇ。
経済学としては完全死亡だけど、哲学としては生きているよ。 >>207
頑張れな
友達、小さい頃からいなかったか、少なかったんだろ。人の言動がわからない、感じることができないから文字に逃げた。 >>207
哲学より、自分の感情、感覚、
五感使ったほうがよいよ。 >>207
唯物論史観、その価値判断はともかくとして、それまでのものすごい長い間の人間の歴史の流れを断ち切って新しい価値観をかかげようとした勇気は買うんだけれど、唯物論史観というものじたいがなかなか理解できない。
人間を現象、あるいは社会的、有機体的な機関(天皇機関説の機関と同じ意味で)としてとらえるようなもの? バカにアンカー付けたくないから普通のレスで書くが、
各種の研修で、思い込みで決めつけるのが悪い癖だと指摘されなかったんだろうか?
されなかったら、独立経営者か下層だろうね。 このスレを見りゃよく分かるよね
今の日本で哲学やるような奴は虚栄心から他人をマウントするための武装として哲学を選ぶ
背景には自身のバカコンプレックスがある
だから権威主義的で一見小難しそうで愛の無いチョイスを好む >>210
おお、君は唯物史観決めつけ君だな?
他人が(自分でも理解できる)糞みたいな思想の持ち主だとよく決めつけられるね?
それいつまで続けるんだい?
1年?
10年?
無論、死ぬまで? >>194
受け売りばっかりだと君みたいな知ったか無能野郎になってしまうということを、身を以て証明してくれてるわけか。 >>211
強がるなよ
人の気持ちがわからないから、分類わけして、ながされているだけ。それが、お前の処世術。人をばかにして、
俺より下と思わないと生きていけない。 >>214
ちょっと真面目に言うと、
あなたが(私でも理解できる)糞みたいな思想の持ち主だと決めつけていないからこそ
>>203 >>205 >>210 の質問をしてるんだよ。
でも、はぐらかしたら誤解されてもしょうがないよ。 >>215
もう一歩踏み込む話は仮説になるんで、軽々しく言えないのさ。
分かってほしい気持ちも多少ありつつ、論文を書かない身分にはわかるまいという事実も理解している。 >>214
おい!自分の考えがあるなら臆さずに自信をもって戦え! >>219
揚げ足取られて君みたいな低学歴に侮辱されると酒がまずくなるんで…… >>218
救いようがないなあ
理系じゃなくて、バカな哲学でまだよかった。まじに。 >>222
俺、理文のダブル学位持ちなんだけどねw 後から振り返って21世紀で最も名が残る思想家はレイ・カーツワイルになるからな?
シンギュラリティだけの一発屋だろwとお前らがいくら馬鹿にしてもだ >>223
あー、なら、本気で頭悪いや
孤独マックスだな。頑張れな 俺は絶対この人!て言える哲学者や思想家を持っている人は実に良い。
俺はキュルケゴール。あれは生涯童貞で通したはずだ。 >>224
いや、相転移として化学的に認められた現象をアナロジー的に用いただけだと思うが?
それほど創造的な発想でもあるまい。 >>226
わかる。
俺もいるけど、言うだけで超絞られるマイナーな人なので言えない。 ある特定のポイントで大きく切り替わる事象がある、ってのは20世紀の発見で、
物理学ではさまざまな分野で見られ、数学でもカタストロフィー理論として結実してるね。 >>228
そう言わずに言えよ〜w
俺の予想ではホワイトヘッド、どうだw >>230
絡むねぇ。
そんなメジャーどころじゃねえんっすよw
海外には、原文読めるレベルじゃないと知らない人がいるんっすよ。 >>227
おまえ、大学にいて、共産党で高学歴だとちやほやされるから、心の安定求めて彷徨っているな
生来の気質の問題だからしょうがないが、文字より生身の人間に触れよw
文字に安住するなよ。 >>231
違ったかw
けっこう合ってる気がしたんだけどな。 >>227
後世において人類史上の大事件を説明するキーワードになるからやで
名は残るとは言ってるけど俺は偉大だとか優れてるとかは言ってない >>234
カタストロフィーの発見なんて大したことないだろ。
それが人類史上の大事件になったら、俺にとってはその事実のほうが大事件だわ。
知の現実を揺り動かす、揺り揺らららら揺る揺り大事件だわ。 >>235
そういう概念の発見の話じゃなくて
人類史そのものの直接的な転換だぜ 今日の教訓: バカにとって、崇拝者の言動はすべて偉業に見える どうでもいいが哲学の教授は簡単に単位をくれるから好きだった
あいつ髪ボサボサで明らかに哲学者ってビジュアルだった
やっぱ哲学者は外見が大事だよ。あいつは何言っても哲学者な感じがしたからな 埼玉さん
>>186の後半がすごく気に入ったのでコピペにさせてもらっていいですか?? >>236
わかる。
俺が何を言っても、ダサ共に、イケメンのファッション哲学だろ?みたいな反応しか得られなくて
真面目に就職して今ようやく税引き前の年収が1000万を超えた。
尖った外見をしないと認めねえ、的な風土は滅びるべき。
どこからどう見ても普通の俺の居場所がねえええええええええ >>242
イケメンでダブルメジャーで税引き前の年収という新概念を創造するほど頭が良いのに意外に心が狭いですね!残念です >>243
人間、完璧じゃダメなんだよ
一つくらい弱点があったほうがいいんだよ
俺は、弱点として、心が狭いんだ >哲学の本など読まなくても己の中に哲学は無いか?
まったくですな
ただ、その事を呼び覚ましてくれる目からうろこの一冊『子供たちとの対話 ― 考えてごらん』はおすすめだよ たった一人の異性も誘惑できず子供も作れないおまえらが
『子供たちとの対話』などという本を真面目に読んでる姿を想像すると、
正直、失笑を禁じえませんw 何を夢見て子供を持っても、10年ほどは対話なんて成り立たないんだよね。
プレティーンなんて、集中力が他に行ってしまうのを必死につなぎ留めながら
頑張って教える、というレベルの対話度。
小学校高学年になってようやく長時間の対話らしき対話が成り立つ。 AIはどうしても命や魂を持ちえない
魂入れの儀式のような、今ではオカルト呼ばわりされる過程を経る必要がある
カールなんとかよりオレの言葉の方が後世では常識だろうな 子供育てるとわかる
子供の方が遥かに賢く尊い
わかったフリした大人は根拠のない上から目線で滑稽ですらある 新宿古着屋ワタナベはキチガイですから哲学なんてものはありませんよダイバクショウ
ここに新宿古着屋と書かれたら自動的に発狂するただのポンコツマシーンですダイバクショウ 定型文
○○とは○○である。
○○の所に適当な言葉を入れると哲学の言葉みたいになる
。もちゃんと付けるように
適当な外人名と生没年月日を入れると尚良し >>252
なんで機械に魂入れる必要があるの?
しかも定型で魂が入ると思うの?
なんで錯誤が常識になるとか言っちゃうの?
よかれと思ってひとを殺すタイプの思考に近いから犯罪者にならないように気を付けてね。 自己啓発セミナーいくような馬鹿と自分で会社を起こすような人間とは別だからな
前者は独学じゃ無理なだけ >>256
カレーとはラーメンである。 ――ジョン・スミス(1920-1985) 哲学者のような顔つきで、スケベなことばかり考えてる人になりたいな。 >>257
ハ?AIに対するひとつの明確な答えですよ
何かむきになられる必要ございますか? >>257
AIが進化した場合に政治であれヒトの将来であれどこまでの意思決定をさせるか
ってなった時に必ずあたる問題と思うけどなあ ピュア?な哲学より政治哲学とかの方が好き
身近に当てはめやすいし 自分の人生経験に基づかず
他人の言葉をベラベラ喋って賢くなった気でいるやつは信用出来ない >>262
明確な魂を定義するAIの実装はまだないよ。
>>263
定義できない魂を、さらに儀式で定型でいれる
という言い方は錯誤によるものとしか思えない。
それだけ。
錯誤を無自覚に主張し続ける人は、そのうち
よかれと思って人を殺す犯罪者予備軍だよ。
ご用心。 >>31
俺も哲学専攻ではないので間違ってたらごめんだけど、善悪とか正義というのはもう倫理学や社会学の話で、哲学からは切り離されてると思うよ >>266
だから命や魂といったものが未だ定義できない以上
まあ魂入れなんて現状の科学で不可能な話だよねという例えに過ぎないじゃん
犯罪予備軍?失礼な人だよね >>83
哲学専攻じゃないから間違ってたらごめんだけど、哲学は基本的に絶対疑えないスタート地点(数学で言えば公理)から始まって、帰納的にではなく演繹的に論理を積み重ねる学問だと思うわけ
なので、最新の研究を学ぼうとすると「この研究はどういう前提に基づいてどういう論理を積み重ねてさらに既存の研究のどの部分に対して新しいことを言ってるか」を咀嚼しないといけないっぽい
やっぱり最初からやるしかないのかも
物理とかならね、観測した事実を並べて法則導きだせば良いけども、哲学は基本観測できない事柄に対して思考を巡らせるものだと思うから >>268
簡単な話。錯誤は認知異常を生んで、よかれと
思って人を殺す思考を育ててしまう。それを
防ぐために自分の言葉を一般化して、自分が
自分で意識できない感情や認知異常によって
おかしくなってないかチェックするものだよ。
普通はね。 >>269
俺の知ってる分野だと、フィロソフィーには理はあるけど公はなかった。
あるのは幾何の公式だけだけどそれも完全に証明されたものばかりでも
ない状況で使われてた。公理をベースに論理そのものを扱っていくのは、
デカルト以降じゃないのかな。 牛も馬も人間など一撃で倒せるのに
人間に飼われている。おそらく人間に
操られてる自覚も無いだろう・・・
にんげんよりかしこくなったAIは人間が
気づかないうち人間を操ってしまうと思われる。
その意図は永遠に知りえないし、疑いを持つものは
迷える子羊が牧羊犬に誘導されるように、AIに操られた
人間によって、AIの意思に従って処遇されるはず。 >>118
それは好ましいことじゃないの
哲学は常に現在のテクノロジーが解明できない問題を整理し仮説を立て侃々諤々言う学問で
新たな事実がわかってから考えるのではなく、新たな事実がわかったらすぐ道筋が生まれるように先取りして思考しておく行為だと思う…たぶん >>270
悪いが何を言いたいのかわからん
今までも良かれと思って人を殺したことはないし今後もないと思うけど? >>276
だから気を付けて欲しいと言ってるだけさw 553 ←594: 名無しさん@13周年 [] 2013/09/18(水) 01:06:44.39 ID:JiLCuo9xP
カントを何も分かってないアホばかりだな
カントの基礎は
合理論と経験論の双方を整合・克服することから始まってるんだよ
それは極めて緻密で完成度の高いもの。
純粋理性批判→実践理性批判→判断力批判
と最低限この順に読み進めなければ語る資格は無い
594: 名無しさん@13周年 [] 2013/09/18(水) 02:47:53.85 ID:BMi0/Cto0 (2/3)
>>553
口論(純粋理性批判)→殴り合い(実践理性批判)→銃を抜いて殺し合い(判断力批判)
うむ。正しい順序だな。 >>163
社会を拡げるのはやはり社会の縁にいる者なんだろうね
リア充は現世に尊ばれるが、開拓者は後世に尊ばれると信じたい 武田邦彦「哲学や経済学はその理論が正しいか実験できないから科学でも学問でもない」 >>172
脳内言語ってのがあるんじゃないかな
日本語が向いてないかは知らないけど、母国語にいろいろと制約されることはあると思って自然に思えるけど、俺は哲学専攻ではないので間違ってたらごめん 地方色豊かな文化など日本においてはありえない
標準化や一般化を免れるには忍者的な性質は抜いて徹底して個人的なものとならねばなるまい こういうスレって書き込みが増えるたびにキチガイがわいてつまらなくなるんだよな キチガイというか自分が何を知らないかについて
無頓着な人が多すぎる。言葉を振り回して理解
したつもりになっている人が多い。 ちゅーかさ、ドイツとかフランスとかキリスト教じゃん
神を信じてる、あるいは信じていない、をすごく意識する文化圏だよね
日本てそこらへんぼやーーっとしてる
ニュー速だと、神なんか信じてるとかバカだよねー、みたいな感じだよね
それが何でも適当に語っちゃう土壌なんじゃないかなと
適当に言ってみるw 5chの大阪スレって、大阪マンセーに絡めて日本叩きと中国韓国マンセーしまくる奴が絶対出て来て連投しまくるよな。
それだけ今の大阪は中国人韓国人に侵食されてるということ? >>289
でもわかることわからないことは区別できるでしょ。
デカルトのまとめた論理のお話は、誰でもメモ置いて
ルールを使ってまとめれば、理解してる範囲が解ると
いうもの。
自分が何を知らないかに無頓着なここの人の特徴は
決して日本人の特徴じゃない。
だって普通に現代教育受けてりゃ小学生でも分別できる話だもん。 >>290
ACの数学者哲学者はむしろキリスト教とソリが会わない人が多かったはず 哲学ってなんなんだろう?
信念や信条、座右の銘と似ているもの?
それとも考え方、認識の仕方のカテゴリー分けの方法? フィロソフィーを体現した自動車は売ってるけど
フィロソフィーの学位がついてくる自動車は売ってないよ 最初は幾何学だったよ。
当時の世相で、まあヨーロッパらしく
激情や野生や自然が怖い傾向がある人
らはルールを守る整然を好んでいたよ。
でも指針がなかったから幾何から派生
した考え方を農業にも人生指針にも
政治にも生かしてた。だから人の論理
や理路整然とした思考を持て囃してた
んだけど、その根っこは幾何だった。 大事なのは、哲学じゃなく、哲学すること。
自身の哲学なんてのは皆誰もが持っている。
だか、そこに深さはあるのか、ちょっと擦っただけでハゲてしまうような薄いものじゃ意味がない。
ただ人間は、その薄いというものを自身は認識出来ておらず、自らの帰依するところにしている。 ACになってから純粋な論理の世界は
凍結され、考え方は失われないけど
なにも新しい考え方は生まれなくなるよ。
静香な、でも劇的な変化をもたらしたのは
デカルトという人だよ。この人は思考と
現実と「理論体系」を繋げる方法を
考えたよ。それまでなんとなくの推理で
ものを考えて、数字の話なら後から
検算するという繰り返しを検証し、
応用可能な論理の一般論を作ったよ。
その考え方は即座に数学の理論に組み
込まれ、あらゆる物理量を数式にして
物性的にできることなら何でもすぐに
設計、実現する現代工業の祖にもなった
よ。
また手放しで論理検証ができる計算方法
を発明したことで、現実を知らない
コンピューターに現実のなかの答え合わせを
させるというAIのメイン処理のお手本にも
されているよ。 宗教がひょっとしたら狩猟の道具であるかもしれないという疑念を誰も口にしない事実に注目を覚える >>301
工場の作業で目鼻が利くひとを、
設計の才能があると言っちゃう
職人さんはいないよ。
過去の人が積み上げたフィロソフィー
とあなたがおっしゃる哲学には
なんの関連もない。
なのでそういう話を哲学と想うのは
いいんだけど哲学と関連付けても
話がややこしくなるだけだとおもうよ。 >>1
一言で言うならば
カマホモクイック最低だな! >>304
持論は書こうよ。
僕が思うこの考えをだれも口にしないのはおかしいってほかの人が書いてたらあなたは怪訝に思うんじゃないのかな。 支配の本質は責任を転嫁する意思にある、この外部にという意志が客観性を担保する 一応、哲学の入門書は読んどいたほうがいいぞ。
ポストモダンあたりまで読むと、まあ要らん罠と気が付くが() >>310
俺は哲学と手放しでいう人が嫌い。
背景なきゃいまの世になんの意味もない。
一つ言えるのは「一般化されたフィロソフィーはない」ということだよ。 知れば知るほど知らない事が増える
哲学書読み漁っても意味はない
俺は正法眼蔵だけで十分 哲学って前人の言うことを否定することから始まるから
本読まなきゃ始まらないのでは 正法眼蔵はウンコの後の尻の拭き方が書いてあることしか知らんわ。 >>315
逆で積み重ねることが多いと思うよ、
俺が読んだ本のなかじゃ。 学校から外に出て言われる哲学ってなんなんだろうね。
フィロソフィーじゃないのはわかる。
事例としては、酔っぱらいが「考え方」を哲学という。
まあコピー機がゼロックスって言われるみたいなもんだ。
もう一つは広告のコピー。
「メーカーの哲学を体現する」とかね。
まあ爆誕と同じようなもんだw
それでもわからんのはお前らのいう哲学。
お前らって頭いいからフィロソフィーくらいは
知ってると思うけどそうでもないんだなw 木っ端微塵に砕かれたこの世の理を拾い集める落ち穂広い、それが哲学
この世の物は意味があって別れた存在で違う観測点を無数に持つ、これを繋ぎ合わせる事で
不明瞭な多角的な視点を持つ事が出来る、生態系の違いや戦争とか縦割り行政や死や別れや
違いを整理して意味を知り対処法を学ぶ、生存戦略
だから哲学というものは学問ではなく考える事そのものになり、己の中に哲学の無い者はいない >>1
自分の中に内臓があって色んな健康状態があるけど、知識が無いとそれを知ることは出来ない
医学書を読むことでそれらを知ることを出来る
哲学書を読むってそれと同じなんじゃない? >>323
数学の思考方法や政治批評読んでも身に付かないでしょ。 哲学でデカルトやカントの行った方向は不毛だってことに気付いてるのが現代哲学
大陸哲学はその問題提起の呪縛と闘って無駄な消耗してただけ
デカルトの科学における貢献、カントの法哲学における貢献は偉大だけど哲学の主流はもう彼らを継承してないし現代哲学は彼らが何で陥穽に陥ったかは説明できる
大陸哲学はもはやスコラ学派と同じ哲学史上で学ぶべき対象程度 >>323
そのアプローチなら哲学書よりまず認知科学を学ぶべきだな 他者の哲学に学ぶことを哲学というんだろw
学ぶはまねぶだ
自分の哲学でいいんなら無視でいい 哲学書を読んでも、主観や万能感が強くなって、「〜である」と決めつけることしかできなくなる。 >>328
考えれば考えるほど決めつけることはなくなるよ。
おれの経験だけど。 >>323
解りやすい例えだな
哲学とはつまり良心を文書化したものだろうから >>224
カーツワイルから派生した思想家でおすすめある?
ユヴァルノアハラリは読んだ 歴史を勉強することは無意味かな
哲学とは人類が辿った思考の進歩や歴史のようなものだろ 先生
哲学者の名言を暗記すれば
おりこうになれますかっ 今や現代哲学の正統な系譜はプラトン→アリストテレス→ウィトゲンシュタイン→分析哲学だよね
間は無くても良いくらい
反面教師としては
アウグスティヌス→デカルト→カント→ヘーゲル→マルクスや
カント→ショーペンハウアーや実存主義→ポストモダン→ソーカルとかも
理解しておくべきかもだけど ハイデッガーの存在と時間人生のバイブルにしようとしてるんやけどあかんか?(・ω・) >>339
いいんじゃね
ベルグソンはハイデッガーの噛ませ犬やし >>332
同じことを考えているのは自分だけじゃなかった、とかそういう見方もあるのかという愉しみがあるから良いと思う 他人に影響されたくない、あるいは他人に影響を受けたと認めたくないが
他人に影響を及ぼしたい、っていう考えの人が多そうなスレだな 見ててそうだよね
あと俺の方が頭良い、俺の思考が正しいって
ワザと判りにくい知識、単語披露してない? >>345
小池百合子がそれをよくやるよね
アウフヘーベンとか言いだしちゃったり >>251
「アジアはひとつである」
まるっきり嘘、でまかせでした 哲学っていうのは論争なんだよ
バトル
戦いの過程だから、格闘技やスポーツを見ているような一進一退の面白さがある
哲学者が言っていることは、たいてい何かに対する批判、アンチテーゼなんだよ
だから批判されている元のテーゼを理解してないと、「この人なんで必死にこんなこと言ってるの?」ってことになる
背景を理解して初めて面白さが出てくる
有名な「我思う、ゆえに我あり」も、「この世にたしかなものなど何一つない」という絶対的懐疑論に対する、「いや、たしかなものがひとつだけある。この世は本当は存在せず、夢幻なんじゃないかと疑っている自分自身の存在だけは絶対に否定できない」という批判だし
絶対に否定できない確実なことだから、デカルトはこれを哲学の「第一原理」と呼んだ
日本の思想家の吉本隆明の「国家は共同の幻想である」という国家幻想論も、それだけだとなに言ってるんだこいつ?ってなるけど、国家幻想論は、「国家とはブルジョワジーが自分たちの既得権益を守るためにつくった暴力装置である」というレーニン的な国家論に対する批判なんだよ
有名なフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」も、ヘーゲル・コジェーブ主義を持ち出して、マルクス主義的唯物史観を批判するためにつくったものだ
だから、たとえ自分の現実的で目先の利益にならなくても、論争だからどっちが正しいんだろうというドキドキ感はあるよ
でも、哲学のなかでも「実存主義哲学」といって、個人はどう生きるのかという人生訓みたいなジャンルもある
個体幻想哲学は、あくまでも自分個人にあうか合わないかだから、そういうのはただの好みの問題になる
論争というよりも、好き嫌いの話になるしね
個人にかかわることだから、議論するだけの普遍性、一般性がないんだよ
芸術の好き嫌いみたいなもので、議論するのは不毛だし、第三者的にはどうでもいい
だから大事なことは議論に適したテーマか、議論に適さないテーマなのか、混同しないでちゃんとジャンルをわけて扱うこと
哲学っていっしょくたにしたらいろいろ誤解が生まれるよ >>338
実存主義って反面教師なの?
わりと感銘受けたんだけど うちの社長が使う「哲学」って言葉は、単なる「おれの生き様語り」であって、学問としての哲学の緻密な理論体系なんて微塵もないぞ。 意識高い経営者と人生上手くいってない奴が取り付かれてるイメージ >>350
実存主義はデカルトの主客観論やカントの認識論で提起された矛盾の継承者であり
近代以降の人類が抱える問題の切り口の一つだよ
感銘を受けたというのは近代的な価値の何かに疑問を持っているからだと思う
だがそれは既に2世紀前に取り上げられた切り口で
その実存主義の先に良い発展があるかというともはや無いと思うのよ
着く先はソーカルだったりするわけで
辿るべき道を間違ってたというこっちゃな
結局トートロジーや自己言及のパラドックスの中で踊ってるに過ぎなかったり
言語の限界に突き当たって本人は考えてるつもりで不毛な浪費をしてただけだったりして思弁的議論はもはや何も生み出さない
とかいう分析・言語哲学の立場、あるいはプラトンへの回帰 >>352
哲学はお前みたいな無学の人間を救う学問だよ
無学な人間は賢い人間がいないと生きてはいけないからね
無理して理解しなくていいよ そりゃビジネス書として哲学書読んでも面白くないわ
別に生き方とかどうでもいいし >>8
経験と挫折
スクラップ&ビルドの繰り返しで
一流になる
でもこれ周りからの視点ね
本人は折れてない 哲学なんて暇人がどうでもいい事を適当に言ってるだけか、当然のことを大喜利みたいに言い換えて遊んでるだけ
タメになった事なんてミリも無い >>361
技術屋は一度、教養書で舐めるだけでいいから科学史の一環として
調べてちょっと学んだ方がいいと思う。 よく何で哲学科なんかへ行ったの?って聞く奴多いけど、聞かれた方は行きたかったから、としか答えられないよね(´・ω・`) >>353
無学だから言ってることの半分も分からんけど、とりあえずこのまま進んだところでどん詰まりということでいいんかな
光明が差したと感じられた分なかなかショックではあるわ >>366
個々人にとっては無益では無いで?
シャカや孔子やトマス・アクィナスとかの言うことでも今の人の助けになることはあったりもする
でも学問てしての「哲学」の中で実存主義の方向にこれ以上期待するのは哲学という学問世界にとってもはや不毛じゃね?ってことですわ 哲学は科学じゃないからな
だいたい科学ですら限定的に今ある条件下では、正しいとしか言えないもの
哲学の歴史たどるといかに科学っぽく見せかけるかの、詐称の歴史だ
マルクス主義がいちばんひどかったが、科学でないものにはどんなふうに願望が入り混じるかの好例だ 俺が発見した3大哲学を披露するかな
1.形のあるものは人の心であれ必ずバランスをとっている、その原理は循環することによる周期の発生である
2.この世界にあるものは全て壊れて行ってる、作り続けることで維持されている
3.意味というのは本質でも根本でもなく知識同士の繋がりに過ぎない、繋りを除いてしまうと何も残らない >>361
実際のところ、金持ちの有閑マダムが「うちの男はこんなに賢い」
と言うために囲っていたのが哲学者だと聞いたよ
ヘーゲルは家庭人として生きながら哲学をやったという点でも評価が高いらしい アハハハハハ!wwwサヨクもウヨクもリベラルもテロ党もカクマル党もなんみょーホーレンゲ党も自民売国党も○進、お前ら日本人じゃ無いだろ党も皆一緒だろが!
キチガイ官僚がアメリカを支配している奴らに完全に操られているからどの党が政権取ろうがノータリン議員は何しても無理!
本当に日本を良くしようとすると中川大臣や石井こうき議員のようにされるだけ!もう詰んでるだろ!この国マジで!
戦後から国民を騙し洗脳して来たのだがもう難しくなったみたいだな!自分の親も自分達も
税金の名の元に奴隷にされ搾取されて来た事実を!嘘だと思うなら「特別会計の闇」で調べてご覧!
戦後からこの国は主権国家じゃ無い事実を「日米合同会議」で調べてご覧!
自分の国の真実の姿を目をそらさずに見てご覧!← ここ一番大事な所!
http://www.youtube.com/watch?v=A-cKT-sKly4&;;list=PLTEQ4LklraVRq1fq3xbolEhHFm4lhBYVM
https://www.youtube.com/watch?v=RUZCJ9olciw
https://www.youtube.com/watch?v=YApc0SeMlK8 >>367
そうなのか
なんかモヤモヤするけどとりあえずボチボチやっていくわ 哲学思想が科学のように反復可能な知ではないから役に立たない
それだと歴史の勉強も役に立たないってことになるね 哲学は思想じゃないから
日本人が完璧に誤解・誤用してる 思想とは人間の考えのこと
哲学とは人間の考えを体系化したもののこと
これらに関しては単に枠を決めただけの話であって別に対比するものじゃないでしょ 俺は哲学検定1級もってる!
哲学検定のために参考書も買ったし、たくさん暗記した! 蚊がお前の血を吸っているとき
お前も蚊に血を吸われている >>369
まあ、科学というよりも定義する学問なんだと思う
科学が成立するには、反証可能性を有するぐらいの厳密な定義が必要だ
それを定義するのが哲学だ
テクニックというよりも、ルールを話し合う学問だな
ルールそのものは技術ではないが、ルールがないと絶対に技術は成立しない
幾何学的に円を研究するには、円とは何か定義しないといけない
生命を研究するには、生命とは何か定義しないといけない
経済を研究するには経済とは何か定義しないといけない
科学的な研究を行うには、科学とは何か定義しないといけない
パポーの科学とは反証可能性を有したものであるという、定義つけは見事だと思うよ
マルクス主義がダメだったのは哲学だったからじゃなくって、理論に反証可能性がなかったから 哲学は科学ではない
っていうのは哲学で導き出されたことだわな
ゲーデルなんかもそうだけど一番外側の枠組みを考える必要は常にあり、枠組み自体も時代と共に変わっていくものでもあるからね >>101
ニーチェの仏教に関する知識なんてこの程度だよ。
>>仏陀およひ仏教についての解釈が的を射ているところもあるが、いずれにせよニーチェが触れえたのは、仏教のほんの一面であり、中国・日本で展開された大乗仏教とその「色即是空」の妙有の世界には予感すら??
なかったのであるから、公正に見てその多くがピント外れであるのも無理はない。(ニーチェ事典 弘文堂)?? >>仏陀および仏教についての解釈が的を射ているところもあるが、いずれにせよニーチェが触れえたのは、仏教のほんの一面であり、中国・日本で展開された大乗仏教とその「色即是空」の妙有の世界には予感すら
なかったのであるから、公正に見てその多くがピント外れであるのも無理はない。(ニーチェ事典 弘文堂) >>369
科学とは分科学
そこでは既にその分野における価値基準が定まっていて
その基準に沿った論理の上で進む学問
哲学はそういった価値基準を問いなおして再構築する学問であり
分野の垣根をもたない、あるいは超えて行われるもの 西洋哲学の悪いところは、善と悪、楽観と悲観、強と弱。なんでも、二元論で考えるところだな。中国の陰陽論も陽と悪で分けて説明する
二元論だけど。
どうしても、欧米人の考えは極端な方向に走りやすい。 キリスト教の裏書きがある哲学は何となく違和感があるのは否めないのでフィクションだと思って読んでる 誤解がないように言っておくけど、二元論の考えを否定するつもりはない。
機械のスイッチも二元論だし。日常生活でも、二元論はある。
ドイツのメルケルの政策を見ても分かる通り、これも二元論だよね。
中道という考えがないから、こういったことになる。 >>7
ならば愚民どもにダイヤブロック与えてみろ! 維摩経の不二法門は面白い。一言で言えば互いに対立する概念は一つなんだという考え。
これは、政治だけじゃなくてビジネスや日常生活にも当てはまるんじゃないかと。 ようするに自分に自信がないんだろ?
有名人の偉いお言葉がないと不安でしょうがないわけだよ。 >>392
人間の認識は記憶に基づいている
つまり記憶にマッチするかしないか、それが認識の始まりであり思考はそれに引きづられる
突き詰めれば人間の考えることは全て二元論に集約される
ただし二から三を生み出すことはできて
対象と観念(主観)という二元から、(対象と主観)と観念(客観)という三元を
自分の中に構築できれば、あなたのいう中道のような考えを持つことができるし
さらに四元、五元・・・と上位観念を加えていくことで、より高度な客観性や抽象性をもって
事物や世界を認識していくことが本当の哲学なのだろうと思う いま読んでみたい書物が言志四録。
関係ない話だけど、近代化に伴って西洋の考え方が素晴らしいって教育をされてるよね。
最近になって、それは違うんじゃないってことになってきたと思う。 西洋人の思考や思想を知る上では西洋哲学を学ぶ価値はあると思うよ。ただ、西洋哲学は頭でっかちになりがち。
理論だけで人としてどう生きるかとか、そういった部分がかけてるんじゃないかと。
〜しなければいけない、〜するべきだ。ここまでなら、西洋哲学であるんだけど。その先がないんだよ。西洋哲学の本をあんまり読まないけど、人としてどう生きるかに重点を置いてる東洋哲学の方がその点は優れてるかもしれない。
ただ、一概にどっちが優れてるとか一概には言えないけど。 >>398
真理はそれを受け入れる義務を我々に強要する
万人に直接に通用する客観的真理を探究してきた西洋哲学は我々に義務しか提示できない
自由意志についての論争はあるが、西洋哲学から導出できるのはその否定しかなくて
あとはそれを感情として受け入れられるか受け入れられないかの話でしかないようだ
自由を肯定的にとらえる視点がないと「その先」へ進むのは難しい気がする 人間が受け入れられる真実は客観性を含んだもので、原初はどうか、根源は何かという
科学的な分化の方向性を最初から持っているんだよ
人の知覚構造が物事を分化して調べていくものだ
ところが人の認識は気づきであってパターンの理解であり、主観的なものである
客観的な物事が全て自分に向いた出来事であったとわかる時、神や宗教知が出てくる
そこに行くともう論理は役にたたない >>401
そう言えば西郷隆盛は言志四録を読んでたらしいね。
あと、葉隠を読んでみたい。三島由紀夫の葉隠入門なら読んだけど。
原文を読んでみたいよね。 西洋哲学の本も何冊か読んでるよ。
例えば、カントの「永遠平和のために」とかルソーの「人間不平等起源論」とか読んだけど。
永遠平和のためにも、思想そのものはいいんだけど、カントのいう通りにしたら武力で侵略される。
理想論止まりなんだよな。左翼はこの手の哲学書が好きだろうけど、そのまま実行しようとしたら欧米のリベラルみたいになりそうだし。
純粋なのは、悪いことではないと思うが、あくまでも哲学書は哲学書。孫子の兵法の方が、はるかに実践向き。 >>403
いや、カントの安全保障論は、孫子の兵法とはそもそもスタンスや視点が違うものだろう
孫子の兵法は、敵よりも強ければ攻め込まれないという現実主義的観点で書かれた物だが、カントのはそもそもなぜ戦争が起こるのか? そしてどういう原因を取り除けば戦争はおきにくくなるのかを分析したものだろう
例えていえば、運転教習所教官的に車の安全運転技術を教えているのが孫子で、カントには車自体に安全装置やセンサー、カメラをとりつけたり、車開発メーカー的な視点で安全運転を研究しているのがカントだよ
孫子は戦術的戦略的に戦争を取り扱って、カントは政治的、外交的に戦争を取り扱ってる
安全保障問題についての根本的解決につながるのは、むしろカントのほうだろう
しょせん、戦争は政治の一部でしかないんだから >>402
講談社学術文庫版には西郷の抜粋して持ち歩いていた番号も書いてある
ただ、あの版は解説が微妙〜な感じだな >>344
んな事はない、朱に交われば赤くなるから逸脱しない程度に曖昧に残しているはずだ
覚えられない事もあるから、短いに越した事はないけどな >>382
面白い視点は一つではない、これを全てに応用できればいいが
如何せん主観的をモットーとする感情論者は身の内にあるとした場合
これを観測する者はおらず痒いという結果だけが残る、結果が残る内は逆算する事も出来るが
結果を観測する事の出来ない人生というものは、誰の観測する所でもない 成績は良いがが徳がない(性格が悪い)馬鹿のために哲学はある
カントの相互倫理なんてまさにそう
人に迷惑かけちゃダメ、お天道様に見られても良い行動を心がけよう
これがどういうことか先天的に備わってない能力が高いだけのある種の障害者のためにある 哲学関係なく一昔前までの学者・大学教授が書く学術論文は無駄に難解に書かれているからな
その延長で彼らに翻訳された哲学書も入門レベル含め同じように妙に難解になっている印象
子供向けの英文の哲学書を読む方が、例え英語が苦手でもまだわかりやすいという何という 日本で児童が読むレベルの哲学の本はあまり見かけないね >>409
哲学はその時代の課題を一般だよ。
徳をルールにする人もいれば政治のルールを考える人もいれば科学を論じる人もいる。 >>413
基本はわかりやすく翻案された伝記でいいんじゃないの。
中身は触れなくていいと思う。
特にこの日本だと、学問史としての哲学よりも、高度に一般化抽象化された例えばなしを哲学っていう流れがある。
そういう哲学も過去にはあったけど、そればっかりで哲学を学ぶのは惜しすぎるし、学問の世界で一般化っていうとなに?って知識の子にそれを望んでもしょうがないと思う。 >>413
安野光雅の絵本とか不思議な感覚で今思えば哲学的なエッセンスがあったな >>415
さらに細かい世界に対象を移すことになっただけとも言える >>415
こういう量子トンデモをブロックできる
という点だけでも哲学には価値があるな >>96
ニーチェの持ち上げ方なんだろうね?
プーさんと読むニーチェの本見て驚いたわ
「くまのプーさん 前向きな心をつくるニーチェの言葉」でぐぐると出てくる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています