公文書管理法が施行された23年4月1日は、くしくも菅内閣だった。
前月11日に東日本大震災が発生し、東京電力福島第1原発事故も起きた。
菅首相は原発事故について「薬害エイズの構造とそっくりだ」などと東電や経済産業省を批判していた。

同法施行日の閣議で当時の蓮舫行政刷新担当相(50)は
「東日本大震災への対応は多忙ではあるが、
関係省庁においてしっかりとした文書管理を行ってほしい」と述べ、
その後も政府内では関係する会議で文書管理の徹底が確認された。

ところが、野田佳彦政権の24年1月、震災関連の15会議のうち
「原子力災害対策本部」「政府・東京電力統合対策室」「緊急災害対策本部」など
10会議で議事録が作成されていないことが判明した。
原子力災害対策本部を含む3会議は議事概要すらなかった。

首相官邸のホームページの「主な本部・会議体」で「原子力災害対策本部」を閲覧できるが、
同本部は震災当日の初会合から23年12月まで計23回の議事録が掲載されていない。
議事概要も「各種資料等を元に、2012年3月1日に整備」とされており、
議事録の未作成がばれた後になって当時の関係者の記憶を頼りに急遽、作成されたのだ。
(中略)

公文書管理制度のつまずきは結局、菅内閣にあったのだ。
議事録を作成すらしなかった菅政権の責任は極めて大きく、隠蔽や改竄よりも罪は重いだろう。
https://www.sankei.com/premium/news/180502/prm1805020005-n4.html