不倫報道をはじめ、このところ、メディアとネット民の双方による過剰なバッシングが目立つ。
その背景にある要因を、精神科医である岩波明・昭和大学医学部教授に聞いた>

政治家や著名人の不祥事や失言を糾弾するのがメディアの専売特許だったのは今は昔。
インターネットが普及した90年代後半以降、
匿名という特性を活かしたネット民による過激な発言は苛烈を極め、数々の炎上騒ぎを巻き起こしている。

そんなメディアとネット民の双方による過剰なバッシングに、
日本社会から寛容さが失われていると感じる人も多いのではないか。

なかでも不寛容さが垣間見えるのが、芸能人の不倫報道だ。
昨年も大手週刊誌が毎週のように芸能人や著名人の不倫現場をスクープ。
今年に入ってからも早速、大物ミュージシャンの不倫疑惑が大々的に報じられ、引退に追い込まれている。

不可解なのは、不倫関係が明らかになった当事者の謝罪会見だ。
憔悴した表情で涙ながらに深々と頭を下げ謝罪の意を表するのが慣例だが、
本来、謝罪すべき相手は自身や不倫相手の伴侶であり、なんら迷惑を被っていない視聴者や読者ではないはず。

もちろん、芸能人だけに広告に起用した企業や出演番組などの関係者、
そしてファンや支持者に向けてのことかもしれないが、果たしてカメラを前に謝る必要があるのか、
なぜ人々が他人の不倫をこれほど糾弾するのか、違和感を覚えてしまう。

なぜ日本人はこれほど不寛容なのだろうか。

専門である精神疾患を題材とした多くの著作を持ち、
『他人を非難してばかりいる人たち――バッシング・いじめ・ネット私刑』(幻冬舎新書)では精神科医の視点から
不寛容な日本社会に切り込んだ、昭和大学医学部の岩波明教授に話を聞いた。

「多民族で構成され、さまざまな価値観と触れ合う欧米諸国と違って、
ほぼ単一の民族で構成され、比較的同質的な集団の中で育っていく日本では、
思考や価値観が似たものとなり、そこから外れた異質な存在を排除する傾向にあります」

つまり不寛容さは、日本特有の「同質性社会」が大きな原因ということ。学校であれ会社であれ、
中心人物の意見を無条件に尊重し、それに合わせた言動が暗黙的に求められる。価値観を共有するその集団の中で異を唱えれば、
「空気が読めないヤツ」と排除されてしまうのだ。


ニューズウィーク日本版
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