慰安婦を性奴隷だと最初に言い始めたのは日本の左翼弁護士
それをすすめたのは社会党の参議院議員

【慰安婦問題の原点】 火付け、たきつけた日本人たち〜婦人矯風会・高橋喜久江、弁護士・戸塚悦朗、参院議員・本岡昭次[05/25]
https://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1401000205/

日教組傘下の兵庫県教組委員長出身の本岡は、元年から兵庫県における「朝鮮人強制連行」の実態調査を
開始した。その過程で慰安婦問題にも着目し、3年12月に神戸市内で韓国人元慰安婦の金学順と面会した。
その時のことを、本岡はこう振り返る。

「『国会議員でしょ。本来ならあなた方が解決しなきゃいかんことじゃないですか』とやられた。
『そこまで言われたら、国会議員としてやれるだけのことはやってみせます』とたんかをきったんですよ」

本岡は以後、慰安婦問題に本格的に取り組む。13年8月に参院副議長に就任するまでの間、
慰安婦と日本政府の法的責任をめぐる国会質問は20回以上にのぼった。

 「日本で問題にならないなら、ジュネーブの国連委員会に議論を持ち込もう」

こう考えた本岡が白羽の矢を立てたのが、英語に堪能で、国連に人脈を持つ弁護士、戸塚悦朗だった。

戸塚は4年2月、ジュネーブの国連人権委員会に対し、慰安婦問題を取り上げるよう求め、初めて慰安婦は
「性の奴隷」だと主張した。「龍谷法学第45巻第2号」の中で、戸塚は「この問題を国連に報告すべき時期が
到来したと判断した」と説明している。

別の雑誌では「性奴隷」という言葉を用いた理由について、こう記している。

「『従軍慰安婦』問題に関する国際法上の検討がなされていなかったため、これを法的にどのように評価するか
新たに検討せざるをえなかった。結局、日本帝国軍の『性奴隷』(sex slaves)と規定した。直感的な評価だった」

戸塚は、7年までに少なくとも15回以上欧米などに渡航し、国連などで活発なロビー活動を展開した。その結果、
8(1996)年2月、国連人権委は、慰安婦を性奴隷と認定した「クマラスワミ報告」を採択するに至る。それが2007
年7月の米下院慰安婦決議などにもつながった。