
1947年12月、敗戦後初めて被爆地広島に入った時の天皇裕仁。 何の痛痒も感じない能天気な無責任ボンクラおやじにしか見えません。実際、後年そのような発言をして顰蹙を買っています(本文参照)。
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昭和天皇裕仁(ひろひと)は、日本史上最も軽蔑に値する人間だと幼い頃から考えていて、その思いは今もまったく変わりません。
以下のことは、これまで何度も書いていますが、どれほど書いても書きつくせるということはないでしょう。
1975年10月31日、日本記者クラブ主催の公式記者会見の席上、天皇裕仁は、広島の原爆被災についてきかれ、「原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、
どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。」と他人事のように無神経な発言をして物議を醸す。
そして当然のように被爆者団体から抗議を受けました。
また戦争責任については、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。」
と戦争責任を 「言葉のアヤ」 と解し 「文学方面」 の問題と茶化したような不真面目でしらを切った返答をして、記者に呆れられています。
裕仁の記者会見時の映像(抜粋):
→ https://www.youtube.com/watch?v=NQhVOTS0j7A&NR=1 (Youtube版)
→ http://www.n icovideo.jp/watch/sm23125825 (ニコニコ動画版)
なお、記者会見全記録など詳細は 「原子爆弾と昭和天皇裕仁氏」(2013. 8. 6.) をご覧ください。→ http://ameblo.jp/hirai-h/entry-11587135933.html
この記者会見からも分かるとおり、まさに昭和天皇裕仁は、百田尚樹の言葉を借りて、「人間のクズ」というべきでしょう。
この裕仁という男は、死んで25年余り経た今なお責任を追及すべき対象であることは、これまで何度も述べた通りです。
江戸時代、一般民衆には忘れ去られていた天皇が、大日本帝国憲法(明治憲法)によって突如、統治権の総攬者となり、国民は全て天皇の臣民とされ、現人神として崇めることを強要されました。
そして日本陸海軍が天皇の直属に位置づけられました(後にこれが大問題を生みます → 統帥権干犯問題等 )。
ただし天皇の地位はかなり名目的なものだったのも事実で、実際には天皇を取り巻く組織が輔弼(ほひつ)する形をとっていました。要は天皇は無能ボンクラでも務まったのです。
(事実、大正天皇は脳の障害により実務に支障があったものの、政治は何ら支障なく運営されました。)
要は、政権や軍の中枢が天皇の権威を盾に、自らの意に沿った国家運営をなしたと見るべきです。本当のワル(実力者)は天皇に心酔などしていません。利用することを考えたのです。
https://ameblo.jp/hirai-h/entry-11917515735.html