星野にたて突いたパウエルの末路
ドラゴンズにかつてアロンゾ・パウエルという選手がいた。1994〜96年に3年連続でセ・リーグの首位打者になった名選手だ。
そのパウエルが、星野がドラゴンズの選手に対していかに暴力的に接していたかを私に話してくれたことがある。
星野のパンチは相手チームの選手や審判だけでなく、彼に服従を強いられている選手たちにも向けられていた。
パウエルがドラゴンズに移籍したのは1992年で、星野が最初に監督を辞任したのと入れ替わりだった。
4年後の96年に星野が監督に復帰したのは、パウエルが2年連続で首位打者を獲得した直後で、
彼はセ・リーグで最も恐れられるバッターの1人だった。チームでいちばん体格がよく、他の選手たちにとっては父親のような存在でもあった。
そのパウエルは、星野が日本人選手を絶えず言葉と腕力で攻撃することに耐えられなかったという。
最初の年には、パウエルは星野の暴力に対して何も行動を起こさなかった。しかし2年目の1997年には、
もはや黙って見ていることができなくなったという。
先日、パウエルは電話で私に次のように語った。「シーズン中に新しいピッチャーが入り、2回連続でリリーフに失敗した。
2回目の後、星野は彼を自分の部屋に呼ぶと口のあたりを殴りつけた。かわいそうに、部屋から出てきたときは血だらけで、
病院に行かなければならなかった。確か3針縫ったんじゃないかな」
その翌日、パウエルは星野の部屋へ行き、次のように言ったという。
「自分がそんなに強いと思うなら、私を殴ったらどうだ。救急車で病院行きになるのはあなたのほうだぞ。
これ以上、ほかの選手を殴るのはやめてくれ!」
パウエルによると、その後、1997年のシーズンはあまり試合に出されなくなったという。
そして、98年には阪神タイガースに移籍し、それが日本で過ごした最後の年となった。
星野が自分にたて突いたパウエルを厄介払いした可能性もある。
日本の選手がこのような暴力行為に耐え、それをほとんど「美徳」と見なし、
過激な体罰を黙って受け入れることが、私にはどうしても理解できない。