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人身事故に「死ぬ時間考えろ」 この社会、政治家は何を
編集委員・高橋純子

2017年11月27日15時34分

 10月末、つるべ落としの秋の暮れ、千葉邦彦さん(66)は神奈川県で所用を終えて東京都内の自宅に戻るため、電車に乗った。扉脇に立ち、到着駅を確認していく。
「座間というのはここか」。翌朝のニュースで、9人の遺体が発見された地として連呼されることはもちろん知る由もない。
 あ、電車が止まった。人身事故のためとアナウンス。
やれやれ、まいったな。胸のうちでひとりごちる千葉さんの耳に、制服姿の女子高校生2人の会話が飛び込んできた。

 「死ぬ時間考えてほしいよ。この時間は死ぬ時間じゃねえだろ。2時ぐらいに死ねよ」
 「そうだよね〜」
 2人ともスマホの画面を見つめたまま。
どうやら渋谷をめざしているらしく、手に提げた透明の袋からは、ハロウィーンの仮装用とおぼしき衣類がのぞいていた。
ど、同じ土壌で育ったものだろう。共感、共生の感覚が細り、やせてしまったこの社会の土壌。
 「共」の醸成は、政治の大きな役割のひとつだ。それは政策とか対策とか予算の額とかに回収される営みでは全くなく、要は、メッセージ。
 共に生きる、生きよう、生きてほしいという有形無形のメッセージが絶えず発せられることで社会はうるおい、肥え、人はのびのびと根を張り、自分らしい枝を自由に伸ばすことができる。
 政治の言葉は本来、社会を豊かにする力をもっているはずなのだ。それなのに。
 安倍晋三首相のさらさらと流れる所信表明。「死ね」と、きゃぴきゃぴ炎上を商う国会議員。
政治家が保身と目先の人気取りに専心し、そのためなら敵意をあおって社会を分かつこともいとわない。
 なんなんだこれ。誰のための政治だこれ。悲しい、情けない……なんか違うな、空しい、悔しい……ああそうだ。
惨めだ。五臓六腑(ごぞうろっぷ)にしみわたる、惨めさだ。
 2人の女子高校生は何に仮装したのだろう。かりそめの自由を満喫し、きっともう、人身事故にイラついたことなど忘れているだろう。
そりゃそうだよね。私たちは毎日忙しい。いちいち覚えてなんていられない。でもね、事故のその人は、生きているよ。