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1. 『後漢書』……倭
2. 『三国志』……倭
3. 『宋書』………倭
4. 『隋書』………倭
5. 『旧唐書』……倭・日本
6. 『新唐書』……日本
7. 『宋史』………日本
8. 『元史』………日本

神野志隆光『「日本」とは何か』(講談社現代新書)では、『唐暦』の記載をもとに、
702年の遣唐使から「日本」が使用されたと述べています。
小林敏男『日本国号の歴史』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)でも、ほぼ同様の指摘が行われています。

この当時の唐は則天武后による統治の時代を迎えています
(ついでに、王朝の名前も一時的に「周」になっています)。
さらに神野志は、736年にできた『史記』の注釈書である『史記正義』の中に、
「則天武后が倭を改めて日本とした」とする記述があることを指摘しています
実際には、ヤマトの側が倭から日本への国号変更を申し出て、
それを則天武后が承認した、ということなのでしょう。

そういったわけで、おおむね700年前後に「倭」が「日本」となったと考えられます。