【国号】8世紀の倭人、中華皇帝に「日本」へ国号の変更を申請 → 則天武后、これを承認 → 日本人誕生w
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https://www.excite.co.jp/News/it_g/20171116/Itmedia_nl_20171116015.html
1. 『後漢書』……倭
2. 『三国志』……倭
3. 『宋書』………倭
4. 『隋書』………倭
5. 『旧唐書』……倭・日本
6. 『新唐書』……日本
7. 『宋史』………日本
8. 『元史』………日本
神野志隆光『「日本」とは何か』(講談社現代新書)では、『唐暦』の記載をもとに、
702年の遣唐使から「日本」が使用されたと述べています。
小林敏男『日本国号の歴史』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)でも、ほぼ同様の指摘が行われています。
この当時の唐は則天武后による統治の時代を迎えています
(ついでに、王朝の名前も一時的に「周」になっています)。
さらに神野志は、736年にできた『史記』の注釈書である『史記正義』の中に、
「則天武后が倭を改めて日本とした」とする記述があることを指摘しています
実際には、ヤマトの側が倭から日本への国号変更を申し出て、
それを則天武后が承認した、ということなのでしょう。
そういったわけで、おおむね700年前後に「倭」が「日本」となったと考えられます。 日本の国号のルーツは旧約聖書の失われたイスラエル10支族の「日が昇るところ」だよ、間違いない。
豊葦原中国だって、イスラエル人のルーツのシュメールのことだし。 この記事には載ってないけど別の視点もある。
則天武后ってあらゆる地名を変更したんだよね。
元号も毎年変えた。
皇帝→天皇 皇后→天后と役職名なども全部変えたし
最後には漢字も変えた(則天文字)
だから彼女の性向に合わせて倭も「我が国を日本と呼び名を変えます」と
おべっかを使って喜ばせた節がある。 >>637
日本「倭って書かずに和って書いてね」
中華「OK...でも間違えちゃうなぁ」
日本「今度から大和になるからヨロ」
中華「OK大倭ね了解」
日本「何回間違えるんだよw日本にするわ」
中華「うち何回も変わるのにお前ら覚えるのダルいから倭でもいいじゃんw」 >>577
ウッホウッホ言うな〜〜もーほとちゃうねんで あくまで則天武后だから地名の変更を喜んでくれただけで
他の皇帝だったら「何、生意気言ってんの?もっと酷い名前にしてやるわ」
という展開も普通にありえた。
実際にモンゴルはゼンゼン(変換できないけど虫みたいなゾッとする文字)という名に
変えられたりしたし。 安倍ちゃんだったらトランプを喜ばせるために
我が国はこれから日本と書いてジャップと読ませます。
貴国ではジャップランドとお呼びくださいとかガチで言いそう United Chiinaと
United Koreaに名称を変えれば良いのに
良いコンビになると思うの >>1
日本史習ってりゃしってるでしょ。中国や韓国みたいに捏造しないけどね >>620
魏や漢から倭王印贈られてるやん
漢代のものは倭王なのか倭奴国なのか議論あるようだけど 中国様の資料がないと自国の歴史すらわからないんだから仕方ない もしかしたら隋に対しても則天武后以前の唐に対しても
「日の国」とか「日の本の国」とか繰り返し主張したけどガン無視されてた可能性があるな。
実際に聖徳太子が陽帝に対してそう主張したけどガン無視されてたし。
そこにたまたま則天武后が即位して「ほう。私の即位を祝して国名を変えてきてくれたの?ありがとう」と
なったのかもしれんし。 >>654
>委が倭
その通り。しかし倭と奴国はイコールではなく、倭>奴国(倭奴国)
建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬 安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見
建武中元二年(57年)、倭奴国は貢物を奉じて朝賀した。使人は自ら大夫と称した。倭国の極南界なり。光武は印綬を賜った。また、
安帝の永初元年(107年)に倭国王は帥升らに奴隷百六十人を献上させ、朝見を請い願った
>倭国の極南界なり Japanも日本がなまってヨーロッパに伝わった結果だからな >>655
いずれにせよ倭と刻まれた金印を二度も贈られてるんだから倭と認識され続けたのは仕方ないわ
日本から大陸に送った公文書にはどんな印を捺してたのかね >>658
当時の中国の王朝に倭と認識され続けていたことに反論してるのではないよ >>645
出典も何も
キンペーが今の地位になる前に
したこと >>655
帥升が倭国王だろ
別に王がいたわけじゃない
漢字使用が確認された北部九州の王と考えるのが妥当ではあるまいか
もうすぐ纒向から古いスズリがたくさん出土する悪寒がするが >>659
こちらが日の本を用い始めたのもずっと後なんだろ
いつ頃かは定かではないようだが
唐代になってようやくあちらの文書に日本と書かれ始めたようだし まぁこれは、これと同じだろ
↓
馬廷亮駐日大使「支那支那呼ぶな」
日本政府「じゃあ、日本文では支那共和国、漢文では中華民国って呼ぶわ」
中華民国外交部「支那という呼称を使うな」
日本政府幣原「おk」←なにゆーとんねんこら(日本国内)
日本政府「やっぱ支那使うわ。支那事変な」
↓
日中国交回復
日本政府「まー中国って呼ぶわ」 年号入り三角縁神獣鏡の存在で近畿でも3世紀頃から普通に漢字は使われてた気もするが 昔は、百余国あったんだろ。 大和朝廷が統一して、「日本」と名づけた。 支那はチャイナの漢字表記で別に悪い表現でもあるまい
石原慎太郎が悪いものにした 日本「おいシナ」
中国「中国と呼べ」
日本「許可してあげる」
こういうことも認めないとね 天皇陛下の年号をずっと使ってた日本なのだが・・
8世紀以前も
それでないか
シナの皇帝の年号を120年前まで使ってたチョンと一緒にするなw >>663
帥升が奴国王で倭国王ではない
倭奴国=奴国が朝貢して金印もらったのが建武中元二年(57年)
その後、安帝の永初元年(107年)に
倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見
倭国王が奴国王の帥升たちに奴隷百六十人を献上させ、朝見を請い願わせたの 旧唐書「日本國者 倭國之別種也 以其國在日邊 故以日本爲名 或曰 倭國自惡其名不雅 改爲日本 或云 日本舊小國 併倭國之地」
日本国は、倭国の別種なり。その国は日邊(日出の処)在るを以て、故に日本と名を為す。
或いは云う、倭国は自ら其の名の雅ならざるを惡み、改めて日本と為す。
或いは云う日本は旧く小国で倭国の地を併す
>実際には、ヤマトの側が倭から日本への国号変更を申し出て、
>それを則天武后が承認した、ということなのでしょう。
↑
ならそう書くだろ 倭と大和朝廷の日本が同じ王朝なのかは議論があるだろうな。 >>678
それはいつの時代の大和朝廷か だろ
他は特に問題無い
この時代なら別に関係無い 倭というのは、紀元前から中国各王朝が日本列島を中心とする地域およびその住人を指す際に用いた呼称であって
、統一国家の名称としては使われていない。
現代の我々が中国らへんを中国と呼ぶのといっしょ。
その「倭という地域」の政治勢力はすべて水からを倭人、倭の「○○王」と呼んだわけ。
日本(やまと)は倭を統一完遂した大和朝廷が「国号として」中国にそう呼ぶよう要請したもの。 支那王朝からみた倭人とはその後の日本人のみを差している訳ではなく日本人全部を差している訳でも無い
江南地方あたりの種族も倭人と呼んでいる
北方の支那王朝視点では大陸南方と日本列島、朝鮮半島南端に住む民族をひとくくりの同族と見ていた
但しそう呼ばれた倭人同士の間で同種であるって意識があったかどうかは別の問題 倭というのは漠然とした地域を表す言葉。「日本国内」が統一される前からこの名称は使われていた >>3
お前自分で申請って言ってるのに自分の言葉も理解できてないのか そんなことはいいんだよ
江戸中期くらいには日本は統一されたんだ
だからそれで全部丸く収まってオッケーなんだよ >>3
聖徳太子が、「日の出づる国から、沈む国へ」っていう手紙書いて
中国に喧嘩売ったのが
日本の国名の始まりだろ てことは 今の日本は昔から日本だったということだよね
どっかで倭といわれていたのは 満州のどっかにあった国で日本は関係ないとかいう
説があるんだよ 卑弥呼は公孫氏だから日本人じゃないとかね ん?初代将軍の田村正和が日本を統一したんじゃなかったっけ? アイヌ民族、台湾の高砂族、エスキモー、アメリカインディアン
これらは少数部族間で言語が全部違う、少数民族とはそういうもの
しかし日本人は方言差はあっても薩摩も津軽も言語としては同じ日本語
日本人が単一の日本民族であることはこの一点からも明白
支那王朝にどう認識されていたかなどは傍証のひとつに過ぎない >>693
俺、今でも津軽弁わからん
沖縄のも全くわからん
あれ、別の国の言語じゃねーの? ちゃーすんが?
ちゃーすが?
どさ
ゆさ
日本語かよw まあ、こういう妄想でもやらないと人民が暴発しかねんからな今の中国 >>693
言語としては同じ日本語だよ、円滑に通じる通じないって話じゃない >>101
中華人民共和国と朝鮮民主主義人民共和国は日本が名付けた >>1「『日本』の呼称は中国由来!中国に承認してもらった!」
実際>>268
補足
「日本由来」かつ「日本に承認してもらった」国の例⇒『大韓民国』
・『大韓』の由来は過去に存在した『大韓帝国』からとった(共和制なので大韓民国)
@日清戦争の結果、清の支配から独立した事を切欠に、李朝の王(高宗)が、「皇帝就任」を望み、「大韓帝国」と改称した
A他国に「今後は大韓帝国と呼ぶように」要請したが、当然無視されて従来通りの「朝鮮」で呼ばれた
Bそんな中、日本のみ「大韓帝国」という名称を承認して、外交文書でも使用を始めた
C列強もそれにならい、「大韓帝国」という名称は列強も使うようになった
D日本の承認によって「大韓帝国」という名称は国際的なものになり、皇帝はいたく喜んだのでした 「阿片としての中華意識」高木桂蔵 静岡県立大学教授(「諸君!」2002年6月号)
しかし、中国人からみれば依然として朝鮮半島は“まごうことなき藩属国”なのです。
朝鮮という呼称も侮蔑的なものです。中国皇帝に対して朝貢し、朝鮮国王を授かったとき、「貢ぎ物少なし」とつけられた、「朝(みつぎもの)鮮(すくなし)」なのです。
これをいまも信じて変えないのも面白いことです。
https://awabi.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1344449850/384 日中はなんせメンツで争うからな。、
争う意味が外国にわからんのが日中。 中国人や朝鮮人は賎しい劣等人種なのは間違いないのだけど
まず、脳に湧いてる寄生虫を取り除いてから
人として転生しなおしてください
ただし太陽系以外で転生してね。 >>21
むしろ中国は日ノ本の国って名称にイラついてたんだが
自分ところは日本から日没の場所って言われてたんだし まあ、唐は歴代漢民族の王朝でも最も勢力のあった王朝であるから、当時の世界的に見ても、宗教、文化、学問等々において最先端の国家だった。
従ってこぞって周辺国はせっせと朝貢したわけだが、唐末から一気に中国大陸は大分裂時代に逆戻りし、一旦は宋王朝が立つも脆弱で、ついには異民族に侵略され近代まで支配され続けた。
一方日本は、7世紀から8世紀(奈良時代→平安時代へ移り変わりの時代)にかけては中国より取り入れた律令制度、行政機構を整備し、宗教、学問の発達、をともなって、遣唐使も廃れ国風文化が花咲いていく。
歴史の潮流を感じさせる話だ。>>1 >>145
中国が中心で中国で日本は日ノ本、東、東の端、極東ってことだろう 日本こそ中国と言う考えもあるんですよ
ややこしいな 現代の基準でも日本は一番東の端なんだから日の本で合ってるな昔の人えらいすごい >>292
どうやって戦勝国という立場を獲得したのか、そのプロセスには興味がある
とんでもない交渉力だ 歴史が断絶するガラガラポン国家
王朝が変わると歴史も書き直される どこの国でも過去に戻れば成り立ちはそんなもんだろ?
なにが言いたいの?ばかなの? >>1
俺
ID:cEVZcXlLOが論破してるから、
>>1ネタ知らない人は俺のレスを読めば大体わかるんじゃないかな 日本という国号を定めたのは天武天皇
国号を変えたことを承認させたってだけの話だろ
中国共産党政府を呼ぶときに中華人民共和国、略して中国と呼んでやるのと同じ 日本海もおなじぐらい歴史あるよな
なんだよ東海とか JRかよ 前都知事の舛添要一が
中国に行ってハンコを貰ったと大喜びしてたが、
要するに朝貢したようなもんなんだよな >>640
当時の人上手くやったんだろうなぁ
「日出ずる国」なんて中華の感覚じゃ怒られそうなのに おい>>1
『中国』がいつからか?書き忘れてるぞw >>733
日出ずる国、日没する国、てとこじゃなくて天子という言葉を使ってるところに当時の中国人は怒ったんだってよ
天子は中華皇帝ただ一人であって二人といないんだと 支那って日「本」に対して「支」なのが嫌だから名前変えたんでしょ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています